NEW MY DIARY


                         絵以外の私の日常・・・

        

        2008年7月

2008年7月22日(火)
  そして妊娠判定日。それがもう、試薬に出たラインはお話にならないくらい薄っすらで、ためつすがめつ。お尻をポンポン、「まぁまぁ、ちょっと落ちついて。座れば?」と笑われてはじめて気付く、突っ立ったままの私だった。あまりの薄さに先生と二人して「ほとんど心霊写真の世界じゃん?」と言い合う。それでも、「もしかして、プラス・・・?」と思っちゃうのが人情。その気持ちが解るからこそ先生も
 「・・・で、どうする?」と訊いてくれたのだけれど、私は思わず
 「ど、どうする、って・・・。患者に聞くなよ・・・」と答えてしまった。(笑)
 「だから〜。注射もそれなりにしんどいし。ラインがこの程度の薄さなら、もう、いいです、っていう人もいる。それは、その患者さんの、まぁ、自由だから。で。どうする?」
 「う〜ん。う〜ん・・・」
 と、結論のなかなか出ない堂々巡りをしばし続けたのだった。混んでるのに。待合室で待ってる人たち、ごめんなさいでした。
 結論。もう少し注射を続けて、土曜日に再判定。うう。それまで、ヘビの生殺し・・・。
 私の判定だというので、何人かの友達が病院に来てくれていた。本当はこの人たちと、喜べたら良かったと思う。「なんか、ね。せっかく来てくれたのにね〜。ハッキリしない事で・・・ごめんよっ」というと、「なーに気にしてんのさ。気にしてんじゃねーよ」と、わざと乱暴に言ってくれた(地か?)。
 そのままウチに乱入。カレンダーの明日の所には「みんなでウチ来る」と書いてあったのだが、中の1人がこりこりと、今日の所に「結果的にみんなでウチ来る」と書いていた。賑やかで、有り難かった。
 夕方になり、みな帰っていった。「静かになったなぁ」と思いながらすわっていたら、電話が振動して、メールが入った。
 『今日もお邪魔しました〜。また明日もお邪魔しまーす♪〜(中略)〜ところでどう?悶々してないかな!?いろんな意味で。寂しくなったり〜(中略)〜したら、ウチに避難して来なよ!!』
 思わず口元がほころんだ。ありがとうよ!アンタのその気持ちのおかげで、ガッツリ元気になったよ!

2008年7月21日(月)
  妊娠判定は明日。市販の妊娠判定薬の箱を前に「・・・・・。」と、立ったり坐ったり。もう、こうなると、妊娠したかったんだか何なんだか、自分の気持ちすらわからなくなってくる。友達は
 「精神衛生上悪いだけだからさ、フライング検査すんなって!」と言っていたが、ついに見かねて、私を祝日の一家団欒の昼食に招いてくれた。
 もの凄く暑い日だ。いっそのこと、焼肉にするという。あっつ〜。
 滝のように汗が流れて、あっという間に気分転換・・・と言いたいところだけれど、私の思考はなかなか、子宮周辺から離れきらないのだった。普段の私より、明らかにノリが悪い。ボーっとして人の話を聞いてなかったり、受け答えがパッとしなかったり。今日の私はイマイチ面白くない人だ。
 だけど、考えてみれば、この友達夫妻は、そういうことをわかって、というか、それだからこそ、今日の私を休日の自分達の家に招んでくれたのだ。こんな私を1人きりにしないように・・・。
 そう思い当たると、ここで気を遣ってあたふたするのは、かえって彼らの優しい気持ちを無駄にするようなものだと分かる。一日どっぷり、何から何まで、甘えさせてもらった。ありがとう!!!

2008年7月20日(日)
  潟上市、出戸浜駅の東にグリーンサムガーデンという所がある。むつみ造園のガーデンだと思う。この土、日はそこでイベントがあり、こむれみほさんやティーランカさん小松クラフトさんと知っている人がたくさん出店されているので見に行って、買ったり食べたり。フルートの演奏もあり、それは、ちょっと心にジインと来る響きだった。上手な人が、優しい曲を優しく吹くと、こんなにもいいんですね。
 その後、西木へ。角館プラザで、写真3人とイラスト1人(私)で4人展をやったときの仲間が、やっと集まる機会を得たのだ。クリオンというところでシャンソンの演奏会があって、その打ち上げに合流させてもらったのだが、当然ながら「こめたびさん」もいらして、久々に会えた。シャンソン歌手の人のお1人はコテコテの大阪弁で、話が合う合う。いや〜私、自分でも気付かないうちに、かなり言語がチャンポン化していたんだわ。そうそう、大阪弁同士の会話って、このテンポだったなぁ。・・・・と、夜は更けてゆく。
 どうせ妊娠中かもしれなくて飲めないので、夜遅くなったけれど、夜道をひたひたと秋田に帰る。明日(というか、もう今日)も朝一に病院で注射がある。
 4人展からだいぶ経ってしまったけれど、改めて。赤倉さん、竜くん、えりちゃん!ありがとうございました。

2008年7月19日(土) 
 友達に、能代の花火に誘って頂いたので、お言葉に甘え仲間に入れてもらう。合流は夜6時山本総合病院前なので、早めに病院にター坊を入れ、歩いて「ばりや」に行く。・・・その名のとおり、バリ雑貨のお店でもあるカフェである。私はここの服の大ファン。講演やTV出演などの数少ない(!)晴れ舞台には、よくここで買った服を着ている。最大限に高くて数千円というお値段も、お金の使い道が多くていつもぴいぴいしている私には嬉しい。一人なのをいいことに快調に試着していたらメールが入った。妊娠判定前の私の精神状態を気遣ってくれる治療仲間である。
 「今、私能代だよ」と返すと、「うそ、私も」「花火?」「花火!」。
 ということで、合流した友達ともども、会場で連絡を取り合って顔を合わせる。大笑いだ。これじゃ、ほとんど、病院の待合室じゃん!
 ジョイントさせてもらったお仲間も、とてもいい人たちだ。幸せだ。
 よく考えたら今日買った服は、もし妊娠したらとても着られないサイズがほとんど。まぁいいでしょう。妊娠してなかった場合の慰めになるさ。

2008年7月18日(金)
 注射の後、古巣の大曲に行く。大曲もいろいろ変った。大規模モール街も出来るらしい。身近なところでは、美容室ZENのあるイーストモールの奥に「BEANS」という地産地消の、野菜と豆腐料理中心バイキングのランチの店が出来た。私が大曲に住んでいる間にできて欲しかったと思ういいお店だ。「パン屋かとう」や道の駅雁の里せんなん、西木村のKimotoなどをまわり、夜は秋田市にとって返して「鍋っこ遠足」。
 夜8時頃から一の森公園に16〜7人の悪い(?)仲間が集まり、暗闇の中でカレーを大量に作って食べて、花火もするという、深夜のカレーっこ大会だ。
 この公園からは、私が通っている病院も見える。この間まであそこで凍っていた卵のうち一個が、いま私のお腹に入っている。あの病院にはまだ凍っている卵もある。あと、一つだけ、だけれど。
 凍結卵移植から一週間、子宮の中がどうなっているのか、すごく気になる。安静の誓いは少しだけ守った。とりあえず、ビールは我慢ですな。

2008年7月17日(木)
 朝は急いで注射。朝の外での予定は10時からというものが多いので、朝一に病院に行っても間に合うかどうか、なかなかに厳しい時がある。不妊治療は綱渡り?(綱島だから、という駄洒落を言いたい訳ではありません!)
 10時からお茶会。お茶会の後、お昼ゴハンを買って人のお家に行く。人のおうち、というと気を遣っているように聞こえるが、「スカート脱いでいい?」とことわって、ペチコート一枚でそのへんで買ったお弁当をパクつく私・・・ちょっと人様にはお見せできない格好だ。
 その後は、先日展示をした「茶香福」にて搬出。お世話になりました。こうして、次第次第に、この地でのいろんなつながりが出来てくる。もう私は、今更、誰一人知り合いのいない土地に元気よく引っ越して行けるだろうか・・・?いま秋田でやっている不妊治療が(どういう結果にしろ)終わったとしても・・・?

2008年7月16日(水)
 朝は八郎潟の「おおみちガレージ」に。さらに道の駅ことおかでシフォンケーキや名高いプリンを買い、11時半には泉の友達の家でお昼をご馳走になっていたからすごい(何が・・・)。
 さて、「輪茶(WACHA)」というフリーペーパーがある。輪茶の主催者の方石岡大輔さんとはひょんなことで繋がりが出来たので、次の号、7号で一緒に仕事をしましょうという事になり、一時半に私の事務所で会う約束をした。そこで、この泉の友人にプリンを託し(後から来る人のため)、中通のコミュニティサロン・クローバーへ向かう。
 初めてお会いする石岡さんは想像していた通りの方で、本っっっ当に忙しい方なのだが、瑞々しいエネルギーに溢れていた。ここは小さい子供連れの人が来れるサロンなので、ご自身のお子さんと来たかったのだが、発熱中だったというから残念である。だいたいの事をアバウトに決める。何しろこの二人だ。
 その後は2時から、「水曜クラス」のイラスト講座。もちろん「赤いもの」。
 赤は、実は、綺麗に色を出すのが難しい。一度にベッタリ塗ると色目が沈んだ感じになってしまって、それはもう、もとには戻らない。薄く塗って、乾かして、重ね塗り。薄く塗って、乾かして、重ね塗り。
 空の青でもどの色でもそうだけれど、赤は特に、遠回りなこの方法しかない。

2008年7月15日(火)ふたたび
 当然ながら注射のため、このところ毎日病院に行っている。私の車、ター坊は大阪ナンバーである上に16歳、しかもターセルは今や廃番となった車だ(しかも恥ずかしい事に車高は低い)。あっという間に駐車場係のおじさん達に覚えられて現在に至る。
 私が行くと、「うっす。今日も来たね。(トランシーバーに向かって)はいはい、大阪の人来ました(他の人は『シルバー、クラウン』とか言われている)。そっち空いてる?うん、じゃ、大阪人まわすから」。で、行く先では、「おっ。今日は早いのぅ」とか、「今日も尻に注射かい。頑張りな」とか、「今日あたり洗車してやんなさい」とか、「ん〜と、アンタは注射だけで直ぐだから、ここの縁石ンとこでいいや」とか、そういう話になるのだった。
 そして、言うまでもなく、私はこういうシチュエーションをこよなく愛している。
 こういう所でこんなふうに軽く友達になり、口々に「頑張りな!」と屈託なく掛けられる言葉は、宝石のようなものだ。そこには、深く付き合った友達同士とはまた違う輝きの心が流れている。会わない日があると、お互いに「どうしたのかな」と思う。思うだけで、もしどちらかが死んだら、それっきりだろう。そういう、一期一会というか、合縁奇縁というか、そういう関係性の中で、病気の人になら回復を祈り、私のように不妊治療の人になら明るいエールを贈る。
 最近、治療の終りを考える。今回妊娠していれば、もちろんそれで終りだ。今回は妊娠してなくて、もう一回胚移植をやったとしても、それで、終り。この人たちと会わなくなったら、それだけでも、さぞ、淋しい事だろう。

2008年7月15日(火) 
 若松亜紀先生の、とてもためになる「bP講師養成講座」。今日は変則的に私の家で開催し、終了後は私の焼くたこ焼きでランチという、楽しいプランだ。
 もちろん今日も注射はある。待合室には友達もいたけれど、待つ間に能代の花火のことなどを怒涛のようにしゃべり、注射のあとは急いで帰る。
 いつもながら、講座での発表はとても緊張する。本番の講演よりも。しかも今日はビデオに一人一人のスピーチを撮って、後で皆で検討するという楽しくも恐ろしい授業だ。映像の中の自分って、いろんなへんなクセが目について、「ひええぇ〜」というくらい恥ずかしい。緊張したり、恥ずかしかったりするけれど、講座内容はもとよりそういう経験を与えてくれるこの講座と先生に、感謝の気持ちで一杯です!
 夜はキャッスルホテルのカルチャースクールで、今度は私が先生となるイラスト講座。赤、という色との闘い方(?)をマスターするべく、テーマは「赤いもの」。左の写真に写っているたこ焼きの旗も、教材として持って行った。

2008年7月14日(月)
 12日、仙台で行われた倉橋ヨエコの「感謝的解体ヨエコツアー」に行った人から、もう本当に、倉橋ヨエコは「倉橋ヨエコ」を休止するのだと聞いて、とても悲しい(敬称略)。でも仕方ない。「売れているから、そのまま」という感じで創作活動を続けられる人でなさそうなことは、ライブを見た私にも想像がつく。そのときも、ものすごいテンションとエネルギーだった。本当のファンなら、受け入れられることだ。
 さて、それはそれとして、今日も注射。だんだん、針を刺す所がなくなってくる。
 気を取り直して、我が家でのパンランチ会。相変わらずつましい私達だ。普段はめったに会えない人も、こうして会うと、全然、久しぶりな感じがしない。そういう人って世の中にはいるもので、久しぶりに行った病院でも
 「久しぶりだね〜、あれからどうしてたの?心配してたよ」
と先生に言われたという。しょっちゅう見忘れられている人(私ですね)も、世の中にはいる。
 手軽で美味しいけれど、お昼にパンをテーマにランチしてしまうとみな夕飯が入らないので、次は炭水化物なしのランチにしようと誓い合って別れる。でも、デザートやケーキはOKというから、かなりユルいなぁ。
 夕刻からはトールペイント作家さんが我が家に来てくださる。嬉しい。ともに飲むのが好きな私達だけれど、今日は「ボランティア」というものについて、真面目に語ってしまった。

2008年7月13日(日) 
 ギャラリー杉で行われている、小牟禮尊人先生のガラスの展示を見に行く。澄んだガラス、その中にある造形物や気泡。じいっと見入っているとその世界の中に引き込まれてしまって、この世には帰って来られないような気さえする。各々の作品に関して、詳しい説明をお聞きできたのもよかった。
 私は自分の面は割れていないと思って「こそっ」と行ったつもりだったのだが、どうやら面が割れていたようだ。奥さまも、私の敬愛するガラス作家こむれみほさんでいらして、時々遊んでいただくので、そちらからか・・・。
 憩7でゆっくりしてから、濁川の「茶香福」(「ちゃこふく」)へ。私の絵が周りと合うように、場所や置き方など、工夫して展示して下さっていて、感激する。毎月、第2土日の2日間だけ開店の中国茶のお店(と、言っていいのかな。ご自宅でもある)なので、その日が楽しみである。 私は中国茶には(にも)詳しくはないので、こちらでお茶を飲みつつ、今飲んでいるお茶のことなど伺うのが楽しい。葉っぱも見せてもらい、「くんくん」する。
 一緒に行った友達がもうすぐ、ここからそう遠くない仁別に引っ越すので、そのままお家を見せてもらいに行く。山の中で、広くて、すごくいい。トトロや猫バスが出てきそう。こちら方面には、「あっけら館」や「ファーマーズキッチン旬」や、「ザ・ブーン」などある太平山リゾート公園に行く時、来るくらいだったが、秋田市内とは思えないくらい、遠くへ旅して来た気持ちにさせてくれるエリアだ。

2008年7月12日(土)
  今日と明日は濁川の「茶香福」で、私の絵の展示もある。絵そのものは6日に持っていってあるのだけれど、プロフィールや販売用のハガキ、教室のご案内などを朝早くに持って行くつもりでいた。しかし。昨日夜中まで「酒泉」にいた私に、それは無理だった・・・。
 とにかく、病院での注射には行く。休日は外来ではなく病棟の方に、朝8時半から9時の間に行く事になっているのだ。行くこちらも毎日ご苦労様だと思うけれど、今日も病院では多くの人が立ち働いていて、医療現場って凄いものだと思う。
 今日はイラスト教室の、「土曜日遊学舎クラス」の日でもある。しかも今日は野外スケッチなので朝10時から3時までと長い。「茶香福」には昼休みに行く事にする。
 初めての生徒さんをお二人お迎えし、教室は、私にとっても楽しい。ほんの少しのことで、誰でも、驚くほどの上達ぶりを発揮されるので、これもまた、凄いことだと思う。絵って、不思議だ・・・。 

2008年7月11日(金)
  午前中は来客があった。一人になって、午後友達にメールした時ついでに
「さすがに私も昨日と今日は出かける予定を入れずに家にいる。偉いだろー。」と打ったらさっそく、
「じゃ、今から行っていいっ?」と。こ、こいつめー。
 夕方になって彼女が帰ってから、今度はアトリエ木の実のオーナー菅原さんをお迎えする。早くここに菅原さんをお迎えしたかったので、嬉しい。さらに、二人で「酒泉」に出掛けて焼き鳥を食べる。驚いたことには、私がよく行くミスタードーナツのスタッフの方が同じカウンターで飲んでいらしたのだ。さらに、そのご主人が、私が多大のお世話になっている「酒庵田なか」のご主人と同級生だとか。皆で盛り上がって「田なか」に意味のない電話をしてしまう。
 こうして、人の輪が、あちらこちらでつながっていく。私はこういう瞬間がとても好きだけれど、それを息苦しく感じる人には、秋田は少し狭すぎて辛いという。人の感じ方というものは、いろいろだ。

2008年7月10日(木)
 みな、ふだん私がクレイジーなタイムスケジュールで動いているのを知っているので、「移植後はちょっとは安静にしなよ!アンタの場合は!」と釘を差されまくっている。
 「先生は『普段どおりの生活でいい』って言ったもん」と切り返してみても、
 「先生方は知らないから!アンタの『普段』ってのを」と言われる。そりゃそうだ。
 でも、一度、
 「すごく忙しいようだけど、大丈夫なのっ」
と先生に聞かれたことがある。な、なんでわかったんだ・・・!?(汗)
 まぁそういうことで、今日は朝病院に注射に行っただけで、ほとんど、じっとうずくまるようにして暮らす。うずくまっていると眠ってしまう。昏々と、合計すると一日に12時間くらい眠ってしまった。

2008年7月9日(水)移植
 そして移植の日。朝からは八郎潟の「おおみちガレージ通り」に(パワーを分けてもらいに?)行く。「今日これから凍結胚移植なんです」というと、「ええ〜っ。早く帰んなさい!」と驚かれる。ここでも、今なんでもない感じで普通に暮らしている人でも、誰もが簡単に子供を授かった訳ではないのだなぁ、と、しみじみするお話を伺う。エールを送られつつ退去。
 移植は、少し待って3時過ぎから。病院に出頭したところ、「解凍してみたら卵がダメだったので、移植はキャンセルです。今日はもう帰っていいですよ」と言われたらショックだろうなぁ〜と思いつつ行ったので、
 「ベッドがふさがっているので、もう少し待ってて下さい」と言われてホッとする。
 「ええ、ええ、いつまででも待ちますともっ!」という気分。(言わなかったけど)
 移植の時、見学(?)らしき若手の方が、私の足元から(というか、正確には股間から)かなり離れたところにいらしたので、「そこからじゃ大して何も見えないでしょう・・・遠慮しないでもうちょっとこっち来てもいいんですよ」と思ったけれど勝手に言うわけにもいかず、思っただけ。それ以上寄ると移植処置をしてくれている先生の邪魔になるのかも知れないし。
 そんなふうに気を紛らわせるべく、いろんな事を考え考えしていたけれど、やはり「痛がり×怖がり」の私はいつの間にか、手の平にじんわり汗をかいていた。
 それでも、移植完了し「これですよ」とモニターをこっちに向けて白い小さな点、小さいけれどくっきり白い点を見せてもらうと、「これがわが子か・・・」と妙に感動する。うう。悪いおかあさんでごめんよ・・・。もしこれが生まれてきたら、心を入れ替えて真人間になろう。

2008年7月8日(火) 
 暑いので、タンクトップに穴あきジーンズ、という服装で病院に行ったら、「おはようございます」と言っても言っても先生に気付かれてなかった・・・若作りしすぎ?もともと覚えられていない?「昨日とおとついは、『安い方』の絆創膏でしたよ」と言ってやっと思い出してもらう。
 家に帰り、既に来てくれていた友達と病院売店みやげの「ブラジルプリン味」のポッキーなどつまみつつ、後続部隊の到着を待ち、パンとスープとサラダで宴会。つましい私達・・・?
 今日の収穫。久しぶりに古紙の回収に間に合って新聞やダンボールを出せたこと。間に合って、というか、まだまだ収集日をよく把握していないのだ。時々、収集でもなんでもない日にゴミの袋を引っつかみ、勢いよく走り出てご近所の失笑をかっています・・・。

2008年7月7日(月)
 今日は七夕である。飯島の「サエラ」で、「織姫さんと彦星さんは会えるかなぁ」という話をする。
 人の顔、といのは不思議なもので、どんなによく知っていても、思っていても、しばらく会わないでいるとディティールを自分なりに編集して「その人の顔」というのを作っているようだ。ビミョ〜に編集したものを、頭の中に置いていたのだなぁ、そういえばこの人って、こういう顔で、こういう声で、こういう匂いだった、と思ったりする。織姫さんたちはどうでしょうか。

2008年7月6日(日)
 来週の土曜と日曜(12日と13日)、秋田市濁川の「茶香福」での展示・販売があるので、絵を持っていって搬入する。とはいえ、ほとんど船木さんのセンスにお任せすることにして、お茶を頂き、あとの事をお願いして下がる。「茶香福」とは、毎月第2土・日のみ開いている中国茶のサロンで、普段はご自宅である。ココラボラトリーでたまたまこちらのご案内ハガキを手にし、なんとなくそのまま、やって来たのが始まりで、最近まで、本当に全く存じ上げなかった。人の縁とは不思議なもので、そうしてお知り合いになってみると、共通の知人・友人があったりする。こういうのって、面白い。

2008年7月5日(土) 
 今日も病院で注射してもらう。今日の私の注射風景(?)は若手さんの研修に使われていたので、私のお尻に注射針を刺しつつ、先生がいろいろと説明される。
 「綱島さんの注射は、〜のため、〜です。成分は〜です(ほお〜)。液がこういう感じにどろっとしているので(そうそう)、ほらね、こう・・・かなりグーっと押さないと、なかなか入っていきません(痛てて・・・)。あと、吸収のために、かなりよく揉んであげないとですね・・・」
 といった説明を、今更ながら本人の私も「ふむふむ」と聞きながらの注射で楽しい。絆創膏を張ってもらう段になって、探しても探しても普段の医療用の絆創膏が出てこない。やっと登場した絆創膏を見て私が
 「あっ。普通の絆創膏や・・・」とつぶやくと先生が笑いながら、
 「いやっ。こっちの方が高価いから!」
 ・・・って、そういう問題でしょうか・・・?
 絆創膏は・・・全て終わって、起き上がった私の体の下から出てきましたとさ。
 (一番手前のコが、私のター坊)。

2008年7月4日(金)
 病院で、大急ぎで注射してもらう。忙しい注射の日々が始まったのだなぁ、としみじみする。
 午前午後、バタバタの道すがら、麻布珈琲で買った「waku」のパン・焼き菓子がとても美味しかったのが救い・・・何かというと、アンチョビと黒オリーブの乗った、ちょっとボソボソする生地の、あれは何と言うのか・・・ビスコッティ?ああ・・・ビール飲みたい。と、言う気分にさせる魔の食物です。(ワインも合う)。

2008年7月3日(木)
 病院で、再びの子宮内膜チェックを受ける。今回は一応の厚さに達していたので、今日から注射が始まる。この注射は、連日、6週間続く(妊娠が成立したとして)。その間、秋田を留守には出来ないので、遠方での用事はだいたい済ませたけれど、もちろん全てではない。妊娠してたら、それはその時に考えようっと。
 後の予定のために急いで帰り、昼からは、家でサクサクと働く。
 少し前(実はかなり前)のある夜、マックスバリューのお惣菜コーナーで、チーズハンバーグが半額になっていた。晩ご飯はもう出来ていたけれど、なんとなく心惹かれたので買って帰り、薄くスライスして平らに冷凍しておいた。
 今日それをチンしておやつに食べてみたところ、「ナゼに・・・?」と驚くくらい美味しい。私の冷凍庫で熟成されたのか?とにかく、自分がお手軽な人間で、便利でよかったと思う。(ちょっと、とほほ・・・)

2008年7月2日(水) 
 現在個展中の「おおみちガレージ通り」に朝早くから行く。販売用のハガキ、貼っておくための私プロフィールなどいろいろ追加するものもあるし、それよりなにより、何だか行きたくてウズウズするので。「畠栄のあんごま餅」も美味しいが、ホントの杵つきのこれ!「土橋開正堂」のあんごま餅もすっご〜く美味しいとスタッフが買ってきてくださる。
 道の駅「ことおか」で、6月24日も買ったシフォンを仕入れ、途中でお二人拾い、山王のミルキーウェイでのランチに向かう。さすがにミルキーウェイでこのあんごま餅は広げられないので、クーラーボックスへ。
 2時からは、水曜クラス、inコミュニティーサロン・クローバー。こちらにも新しい生徒さんをお二人お迎えして、賑やかにスケッチ教室。ここは私の事務所でもあるので、堂々とあんごま餅を皆で、お茶を入れていただく。すっ・・・すっごく美味しかった!
 教室を充実させるために、いろいろ考える。もっと楽しく、もっと、どんどんと前に、いけるように!


2008年7月1日(火) 
ガラス作家、角館カフェのオーナー、私の講演術の師匠、食の専門家であり料理家のアシスタント、そして私、といったような、まとまりがあるんだかないんだか分からない組み合わせで楽しくカレーを食べに行く。山王はティーランカ。スリランカのカレーである。
 子宮内膜が薄いので薬が追加になり、プレマリンを一日6錠飲む日が続いている。そしてこれは、ちょっと吐き気を伴って、いわゆる「食べづわり」状態を再現してくれちゃうのだけど、そんなものは跡形もなく吹き飛ばしてくれるカレーの美味しさだった。カレーのおかげだけでなく、強烈にリフレッシュされた集まりだった・・・。
 生き返り・・・じゃなく行き帰りで(誤変換が大好きな私。ボキャ天がなくなって悲しい)さらなる指導のお言葉もいただく。こんなに見てもらって、有り難い事だ勉強しなけりゃ!と強く思う。思っただけに終わりませんように・・・。
 夜はキャッスル内のカルチャーの夜講座。新しい生徒さんもお迎えして、張り切る。


         2008年6月

2008年6月30日(月) 
 お天気も良く、病院。とはいっても別に天気が良いから行った訳ではなく、この日に子宮内膜の厚さを測ってもらうことになっていたから。内膜はまだまだ薄く、無理に操作するまでもなく、移植は日程上私の希望するあたりになりそうでホッとする。
 そうこうするうち、突然、「綱島さん、テレビとか、いろんなトコに出てるよね?なんかあちこちで名前見るよ、活躍してて忙しそうだけど、大丈夫なの?」といきなり話が仕事方面にふられて、大いに照れてしまった。普段、仕事の時の顔と、病院のときの顔は無意識に付け替えているみたいで、こんな時は本当に照れて困ってしまうのだ。「イエ、そんな・・・も〜、バタバタしてるばっかりでして・・・イヤ、ワタシなんて・・・そんな・・・ぜんぜん・・・」と、突然打って変わってモジモジ、クネクネし始める変な患者の私・・・。もちろん、そのあと何を話したかなんて、覚えていません(笑)。恥ずかしっ。病院では単に治療日程との兼ね合いを気にされているだけなんだろうけれど、不意打ちは、照れるんだって。
 飯島の「サエラ」では個展最終日。額を撤去、搬出する。やはり腱鞘炎は治るヒマなし。しかも内診のあった日は足がつる、と云うのもパターン化してしまった。あちこち痛いことだ。夜は山王で「洋子さん」とパスタを食べて「恐ろしい。2食分くらいのカロリーを摂ってしまった」と口々に言いながら解散。 

2008年6月29日(日)
 秋田ヤートセの日。大町のニューシティにハガキを納品しに行ったところ、なんか駐車場がどこも満車だなぁと思ったら、そういうことだったのだ。ついでなので、楽しんでいく。ある人に「よさこいソーラン(私は北海道在住時代に大通りの近所に住んでいたので、イヤっというほど見た)と似てるよ〜」と写メールしたところ、「そらそうやろ。基本的に同じものやん」と返信。混雑の中、彩画堂にも行って、生徒さん用の画材を買う。
 ニューシティ第2駐車場を出ようとした時の事。前の車はお金を払い終わり、ゲートのバーは上がったのだけれど、交通整理の警官にしばらく留め置かれ、そのまま停車していた。ようやく制止を解かれ、いざ動き出そうとした時、しびれを切らしたようにバーが下がってしまい、もちろんその車に上から激突。バーは2箇所でぽっきり折れてしまった。あわてふためく、全ての関係者。ショックを隠せない表情で車を調べる持ち主。
 私は、その車を寄せてもらって出てしまったので後のことはわからないけれど、その車はベンツだった。(ジープの形をして、構造が複雑だったので、調べにくかったようだ)。でも、もしこれが16年もののターセルだったら、あんなに皆にあわてふためいて貰えたかしらん。16年ものゆえ、修理部品が胚盤に・・・じゃない廃盤になっていたら(車そのものはとっくに廃盤だ)、こっちの方が被害は大きいとも言える。前の人には悪いけれど、「ター坊でなくてよかった・・・」とちょっと思ってしまった。ゴメンなさい。

2008年6月28日(土)
 朝、歯石取りに行ってから秋田県立博物館「アイリスの会」の総会に出席。しばらくぶりに出席したところ、私の名札がなかった・・・のは、人様に片付けられちゃったのではなく、単に私が前回間違えて家に持って帰ってしまったから。いずれにしろ、名札がないくらいでひるむ私ではなく、機嫌よく自作の名札を手書きして臨む。今度の館外研修は三内丸山遺跡に行くことになる。日程が合わなくて私は行けないのが辛い。館外研修と泊り込みの忘年会が生きがいなのに・・・。(←こらこら)
 終了後、私の現在の個展会場でもある飯島の「サエラ」へ。
 さてこの日。歯石取りは終了し、「また何かあったら来て下さいね」と朝、見送られたのだけれど・・・。大人のクセにキャラメルを大胆に噛んだバチがあたったのか、今朝歯石取りしたのとは全然違う箇所の詰め物がキャラメルとともに「すぽん」と取れてしまった。まだ空いている時間で良かった。すぐに救っていただく。
 「また何かあったら」という機会は、意外と早く、こんなにも早く訪れたのだった。(もちろんスタッフの笑いを誘ってしまいましたとさ)。

2008年6月27日(金) 
 焼いています。とにかく無心に焼いています。この日ばかりは私の手に指輪は一つもなかった、それくらい(って、どれくらいだよ!)真剣です。
 でもたこ焼きは少しづつしか出来てこないので、お腹が空いている時には辛いもの。今度からは、先にどど〜んとお好み焼きを焼いておいて、皆がそれを食べている間にたこ焼きをしようと誓う。(←またやる気まんまん)
 私が広く明るい家で、元気そうに暮らしているのをみて、友達が「いい家だね、いい家だね」と何度も嬉しそうに言ってくれる。きっと私の事を今まで、相当心配していたのだ。私が至らなくて散らかしがちだけれど、確かにいい家だ。(念のため。借家です)。あろうことか、彼女たちのより広かったりする。みんな、それをニコニコして、私の為に喜んでくれている・・・・・。
 私が不妊治療に入っていなければ、出会うこともなかった人たちだ。
 これほどの「心」に、治療のおかげで巡りあえた以上、治療生活の最終的な結果なんて、もう、小さなことのような気さえする。・・・いや、でもやっぱし・・・小さくないかも・・・(笑)。

2008年6月26日(木)
 明日はお客をする予定である。そして、いくらなんでももう少し片付けないと、明日の人数は座れないことは火を見るより明らかだ。(しかも、まだ横たわる事しか出来ない月齢のチビさんたちも複数いる)。ということで、狂ったように引っ越したままの荷を片付ける。・・・片付けるというよりはほとんど、とりあえず一階の物をお客さんの目に付かない二階にせっせと運んでいるだけ。(その後調子に乗って来訪者に、恐ろし過ぎる二階もハナシのネタにとお見せしてしまったので、結局無意味だったかも・・・)。
 たこ焼き、お好み焼きの材料も集める。
 私が深く尊敬している具の一つが、「トップバリュ」ブランドの「あげ玉」。「えび、ほうれん草入り」と、小さい字で書いてある。マックスバリュなど、イオン系のお店ならどこにでも大量に並んでいて、値段も98円だったと思う。偉いものだ。これは、サクサク度が高くてお好み焼き・たこ焼きにも向くし、そのままポリポリ食べてもすごく美味しい。私は、おツマミはこれだけで、延々何時間でもビールを飲んでいられる。・・・けど、考えてみたらそれって、全然自慢にもならないことだったので、忘れてください。
 なんだかみみっち〜い話題も多くて申し訳ないですけれど、もし私のキャラに無用の幻想を抱いている人があれば、この機会にそれはすみやかに訂正されますよう。そんな人、いないと思いますが。

2008年6月25日(水)
 おおみちガレージ通りの、7周年感謝祭。まずは若松亜紀さんの披露される落語が凄かった。どんな時にも決して手を抜かないこの気力、悩みを超越した明るさはどこから・・・・?こんなに、「話し」「声」に長けた方を「師匠」と呼べる私(若松さんの、話し方講座を受講しています)は、幸せ者だ。師匠!一生ついて行きます!(ついて来られても困るって?)。舞台用のアドレナリンを放出する輝きは、昨日とは全然違う人みたいだ。
 私も、昨日は揃えられなかった販売用の品々、ハガキなどをやっとこさ用意。「天気の悪い日や梅雨時はプリンターの調子悪くて・・・」という私に、とある方、「かすみさんのプリンターってリウマチ?」う〜ん、そうか。私のプリンターって、そうだったのか・・・。
 感謝祭は盛況。新聞社の取材の方も来られていて、美味しいお店談義に花が咲く。
 帰る前に来月の美術祭イラスト講座の打ち合わせにも行く。これは八郎潟青年者異業種交流会∞メビウスの主催になる公開講座だ。おそれながら、講師は私つなしまかすみです。こういう時って、2時間の講座ためにも、決めなきゃいけない事ってこんなにあるんだなぁ〜と実感する。
 夕方5時半には手形の歯科で歯石を取ってもらわなきゃいけないのだけれど、さすがにそれは間に合わず断念する。

2008年6月24日(火) 
  河辺の教会のオープンガーデンに連れて行ってもらう。秋田にもこんな所があるんだ、というような清里のような別荘地の中に。知る人ぞ知る、心洗われるようなところだ。バラの咲く中で、おそれ多くもガラス作家のみほさんと制作上の悩みのような事も語り合う。この方と、私のような昨日今日のペーペーとは悩みのレベルが違うとは思うけれど、悩みは悩みだ。そんな私達の悩み話なぞを横で聞いて「元気をもらった」と言って下さる奇特な方も存在する。う〜ん。この世に悩みのない人生は存在しないのね。教会にふさわしい話題だったと言えるかも・・・知れない(?)。
  その後は、額を積んで八郎潟町のおおみちガレージ通りに搬入に行く。明日は7周年の感謝祭だ。なんとか搬入を終え、ちょっと北上して「道の駅ことおか」に「メロン漬け」を買いに行く。その他に衝動買いしたのが左の写真。ちょっと、これらは、もの凄く美味しい。とうふシフォン・緑大豆シフォン。黒米ロール。謎の「麦巻き」。どれも息が止まるほど美味しい。凄いものに巡りあったかも。
 とうふシフォンは、車の中で「ちょっと一口味見」のつもりが、美味しさのあまり半ホールの1袋を一気に食べてしまい、「さっきの食べちゃいました」と改めてもう一度買いに行く。口の周りのシフォンくず、という証拠物件のおかげでお店の人にも、それが嘘でない事がわかったようだ。たいへんウケてしまった。
 ところで、生まれて初めてドキドキしながら食べてみたメロン漬けは、想像したような甘いものではなく、要するに瓜のお漬物のようなものでした。ちゃんちゃん。


2008年6月23日(月)
 で、今日はなぜかすでに秋田にいる私。注射期間が始まったら、本当〜に秋田を留守にはできないんだなぁ、という事を前回の移植周期で知ったので、今回は用心して、用事をなるべく注射前にかためて済ませている。
 遠くから帰ってきて、溜まっている新聞の折込チラシをみて、留守の間に安売りが終わってたりすると、「がっくし・・・」となる。(みみっちい)。
 そして、「あっ、しまった、病院行くの忘れてた!」と思って一瞬あせってしまったけれど、よく考えたら(よく考えなくても)病院の予約券は来週の月曜なのだった。うっかり走って行ってたら、とても恥ずかしかったと思う。

2008年6月22日(日)
 で、今日はなぜか新宿の世界堂で、生徒さん用の画材を買い集めている私。各メーカーのバラ売りの固形絵の具などをたくさん買う。世界堂では、買いすぎが怖い。スケッチブックなどは、前に買ったのを使い切ってから次を買うようにしようと思うけれど、「アルシュが○○割引」「ストラスモアが○○割引」といわれると、買わなきゃソンなような気がしてつい買ってしまう。「愚かな消費者」の見本のような私なので、よい子はマネしないようにね。

2008年6月21日(土)
 で、今日はなぜか仙台のロフトでケロリン桶と、ある会社のステンレスの洗濯バサミ、という、しょうもないけれど秋田では見かけないものを買っている私・・・。いつの間に移動したのかって?夜中に高速を走ると、交通量は少ないし暑くないので、夜走りを愛用しています。前沢SAで試食に出ていた「田むらの梅」は美味しい。

2008年6月20日(金)
 朝から歯石取りをしてもらいに行く。手形住吉町なので、手形のグランマートにも寄れて、大変便利だ。夜だったら「おもろ」で飲みたいところ。
 まだ吐き気の実感はそんなにない。と思っていたら、私が薬を飲み忘れているだけだった。慌てて飲む。不良患者だなぁ。 

2008年6月19日(木)
 今日から、薬を飲み始めることになっている。プレマリン。小さな小さな白い粒のくせに、しっかり、私を気持ち悪くさせるヤツ・・・。でも、始めは一日2錠づつなので、大したことなし。それに・・・忙しいのに(忙しいからか?)体から抜けきっていないメニエール症のせいで吐き気がするのかプレマリンのせいなのか、よく分からない。
 どちらにしても、作画が進まないことにかわりはないのだった・・・しくしく。
 本当〜に、真剣に、困ってるんです・・・。
 それはともかく、今日は羽後牛島駅の近くへ、紅茶の勉強会に。私は伏見先生の博識も、お人柄も好きなのでこれは毎月一度の楽しみである。昨今のバター不足も、早く解消されるといいな、と思う。このへんにもいいお店はいろいろあり、だいぶ詳しくなった。

2008年6月18日(水)
 話し方講座の日。講演の一つの雛形があり、今日はそれに沿った「モデル講演」を一人ひとりが制限時間内で発表することになっている。なのに私は雛形のプリントをなくしてしまい、ぶっつけ本番を覚悟する。
 結果的には、他の生徒さんからプリントを見せてもらえたけれど、この発表には本当〜に、緊張した。ある意味、本当の本番(お金をいただいてする講演)よりも。
 やはり、「生徒」と云う立場になり、「先生」の前に立つ、という状況には特別な緊張感があるのだろう。また、「先生」には「先生」の緊張感があると思う。内容を学ぶことも、もの凄く大きなことであるし、こういう双方向の緊張感を与えられる事も、大きな宝物だ。この講座の「アメとムチ」の「アメ」の方は、今日はパティスリー・ストーブのケーキである。勉強にも力が入る私達だった。
 急いで帰って、昼からは絵の水曜クラス。(私が先生だ)。今日は趣向変って、とある庭のステキなお宅を舞台にさせていただく。水曜クラスも今日は締めの日で講評。絵の講評会、というのは、描く以上にお互いに集中力を使うかも。でも一番意味のあるのがこの日だ、という。
 とにかく皆の上達ぶりがすごい。「本当〜に描けるようになるんですよ〜」とは、私の言ってきた言葉だが、ここまでとは。本当に自分が教えたとは思えない。きっと各人に「絵の神様」がついて(あるいは、もともとついていたのだ。気付かなかっただけで)、にっこり微笑み始めたのでしょう。私に何かが出来るとすれば、それはほんの使い走り。神様を呼んでくることだけだ。
 

2008年6月17日(火)
 今日は、何があっても病院だ。今周期は・・・今周期こそは凍結胚をお腹に戻そうと思う。いつもながら予約外で行く診察はなかなか順番が来ないので、中通のオフィスでは人をお待たせしてしまうのだった・・・。みなさま、すみません・・・。でも、残り少ない私の卵、少しでもより有効に使えるように、病院ではいろいろ考えて、チエを授けて下さるのだった。しみじみ、有り難いことだと思う。嬉しい。
 夜はキャッスルホテルでのスケッチ教室。これで1ターンが終了。区切りの日には、この3ヶ月を振り返る。生徒さんがたに対する感謝の念が、改めて沸き起こる日である。

2008年6月16日(月)
 飯島南女性講座での講演会。もっと余裕をみて到着したかったけれど出かける間際になって生理が始まり、あまりの痛さに、結構ギリギリ。でもそのおかげで(?)かえってテンションが全開になったので、よかった。今までの講演のなかで一番、話したい事を思い描いた通りの口調で話せ、落ち着いてお客様がたの反応も見ることが出来たと思う。私にとって今日は若松亜紀さんの「話し方講座」を受講するようになってからの初めての講演である。その効果を身をもって実感・・・。出席者の方々にも、おおむね喜んでいただけたのなら、よかったと思う。
 不妊治療関係の話も、もちろん出た。
 そういえば・・・私、いま生理始まったんだよな。でももちろん今日は、全然病院になんか行けない。明日にしよう。とか、頭の片隅で考えながら。
 終わってから、私の個展中の「サエラ」で、出席の方々や主催側の方とお昼の食事。夕方、手形のすみよし歯科で歯石取りをしてもらう。歯がツルツルになった。

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             2008年3月

2008年3月16日(日)
 halosのライブに行く。スカイホテル地下のクラブ、スウィンドルへ。手土産は、もちろん大曲市民の誇り、「パン屋KATO(カトウ)」のパン。本当はご家族の朝食に、となるのが理想だけれど、打ち上げの時に食べられちゃうんだろうな、きっと。
 halos、草階亮一さんは本当に美声の人で、今日は特にそれが際立っていた。どこまでも透き通って響いていく。聞き手はそれぞれに、自分の心象風景を重ね合わせて浸っていて、「う〜ん、自分のためにあるような曲だ」とか、思っている雰囲気だ。聞き手それぞれにそう思わせるところがまた、歌い手として凄いと思う。
 あと、私がとてもいいと思うのが、言葉の選び方。
 「今、何時だっけ。いま、すぐに行く」
 というフレーズの繰り返しがあるのだけれど、これなんて、凄いと思う。メロディーと一緒に聞くのでなければその雰囲気が伝わりにくいけれど、この言葉から連想されるイメージは無限のものがある。その透明感。
 例えば私などは、かつて国文科に居たことがあるけれど、そして高校や中学の国語教諭の資格も持っているけれど、日本語の使い方において、草階さんには絶対にかなわない。才能、感性というのはそういうものだと、しみじみ思う。
 一番最近のCD「COYOTE(コヨーテ)」もとてもいいので、また、ご本人の了承を得て当HPの「MY FAVORITE」のページでご紹介します。楽しみにお待ち下さい。

2008年3月15日(土)
 もう高校生ではないところの、若き切り絵作家、鎌田沙織さんが帰秋している。今回はなかなか一緒に遊べないけれど、明日の「halos」のライヴに一緒に行くことにした。彼女は、本当に、才能のあるアーティストだ。そんな人が、こうして帰秋の折には私の事も思い出してくれて、一緒にしばしの時間を過ごすことができる。考えてみると、凄いことだと思う。
 そのわりには、会っても別にすごくアーティスティックな話をするでもなく、どこで何が安かったとか、何々を食べに行ったら定休日だったとか、そんな脱力系の話をしている私達。そんなものかも。
 お腹はますます痛い。不気味・・・。今周期は無理かもしれないなどと弱気になるけれど、早く白黒つけたいし、まずは頑張ってみようか、とも考える。

2008年3月14日(金)
 来週の、個展開始や由利本荘のシンポジウム・ワークショップの準備と、秋田贔屓での講演&体験講座の準備で忙しく過ごす。忙しく過ごしつつ、不気味なのはお腹の痛み。なんか、生理前っぽい・・・。
 もし早めに始まってしまったら、すごく困る。来月初めには家のこと、実家のことなどで、絶対に凍結卵移植や注射に行けないって日が目白押し。そのスキマの日にしても、とてもゆっくり出来る状況ではないし・・・。でも、こんな時に限って、早く来るんじゃないでしょうかしらっ。
 気持ちが落ち着かないせいか、何もはかどらず、何も片付かない・・・でもそれは、単に自分の仕事が遅いせいかも・・・。関係ないけど、今日はホワイトデーでした。

2008年3月13日(木)
  ある知人(推定50代)と車の話をした。その人は、車の買い替えを考えている。
 「でも考えてみたら」と知人。
 「買ったら10年は乗るよね。私が元気で車に乗れるのがあと30年くらい(推定?)。とすると、あと、選べる車はたった3台なんだよ!世の中には、ほら、こんなにいろんな車があるのにぃ!」
 二人でひとしきり笑ったあとで、私はふと、自分の車、「ター坊」の事を考えた。
 「でもさ、私はね。もし、ター坊さえもつなら、一生このコに乗ってたい。」
 「そ、そんなに?」
 そう。そんなにです。考えてみたら、誰と一緒に居る時間よりも長い時間を、彼(ター坊)とタッグを組んで過ごしている。(単に交通が不便な土地に住んでいるせいですが)。私は、何かあっても、家に帰る前や人に会う前は気持ちを切り替えてニコニコしている事が多いので、誰も知らない私の顔を、ター坊が一番よく知っているとも言える。
 だから、もしター坊に口があって、しかも口の軽いオトコだったらと想像すると、ちょっと恐い・・・。
 そんなター坊も、もう15歳(ター爺か?)。だけど、これからも仲良くしようね!目指せ30万キロ!! 

2008年3月12日(水)
  今月は18日に秋田贔屓への搬入とカルチャーの説明会、19日はカルチャーの授業と夜のお酒の利き酒会など、20日は由利本荘のシーガルでワークショップやシンポジウム、23日は秋田贔屓での講演&講座。と、貧乏ヒマなし・・・。東京でのカウンセラーの件もあったし、合間を縫っての自分自身の不妊治療も大詰めを迎えている。やる事は山積みなのに、時間も体力もお金も有限で、ついに私の体がボイコットを始めた。
 どういうことかというと、とにかく、夜、とても早い時間から眠くなってしまう。8時とか9時とか、そのくらいに。とても目を開けていられないし、背筋を伸ばして座っていられない。で、「ちょっと」のつもりで横になり、そののまま翌朝8時ころまでノンストップで眠ってしまう・・・。とても困る。
 と、いうことが何回もあった。ここ1年くらい、2〜3時間の睡眠でへっちゃらだったのがウソみたいだ。それだけ、疲れは疲れとしてちゃんと貯めてあったのかもしれない。ここで流れに逆らって病気になってもいけないと思うので、極限まで抵抗することなく眠るようにしています。(←言い訳・・・?)

2008年3月11日(火)
  若松亜紀さんの話し方講座を受けるため、朝から遊学舎へ。これは、とても楽しみだった。いろんな事を教わり、情報交換もあり、今後も継続してください!とお願いする。
 外は雨。雪でなく雨、というところが春らしくなってきたなぁ、と思う。
 プチアミィのパンを買って行って赤ちゃんのいる友達宅で一緒に食べ、それから別の友達の出産お祝いを見に行く。お祝い買いって、誰かと一緒だとより楽しいし、予算にもゆとりが出て選択肢が広がる。二人してノックアウトされた超可愛いラベンダー色のワンピースに決めて、大満足。

2008年3月10日(月) 
  病院。2月25日に採血した、その結果を聞きに行く。ちょっとドキドキする。結果、パルボウイルス(の抗体)は落ち着いてきているので、そろそろ凍結胚の移植準備を進めますか、ということになる。
 「じゃぁ、この用紙を渡しますね」「それ先々週、貰いました」「ん、この注射のプランの所に日付け書いて渡しますから。はい、じゃ綱島さん、次の生理いつ?・・・・って、訊いても、わかんないよね」・・・・・・。先生・・・、そりゃ、わかんないでしょう、始まるまで!生理の神様に訊かない事には!今日も相変わらず、面白い病院なのだった。
 と、いうことで用紙は貰わず、次の生理が始まったら3日以内に病院に来ること、となる。この「3日以内」とかいうのが、スケジュール上いつも危なくて、「来られなかったらどうしよう」と思い悩むことになる。「え〜と、え〜っと、そのころ私・・・?」とカレンダーをにらむ私に先生が「例えば19日(水)だったら、連休の谷間の21日には来てもらわないと。20日(祝)だったら、最大24(月)でもいいです」と例を挙げて下さる。私もそのへんになりそうな気がする。「火曜では、ダメなんですね?」「もう、ちょっと遅いですね」月曜はよくて火曜はダメなのか。微妙・・・・。

2008年3月9日(日)
 幾つかの実践的な内容の講義の後、ピア・カウンセラーの認定証授与式。ここまで来るまでは、「とにかくパスしたい」という思いでいっぱいだったけれど、こうして認定証をいざ手にしてみると、この先の方が大変だって事にしみじみ思い至る。私に重くのしかかる、自分自身の悪いところ。気付くのは、身に沁みて恥ずかしいことだけれど、これは仕方ない。
 気持ちを切り替えてららぽーとで謝恩会(またららぽーと太りだっ)。秋田で、「ピア・チーム」を結成したら?と、言われたりする。全国初のケースになるよ、などと。そ、そんな恐ろしいこと、私、秋田に帰って、誰にも言い出せません・・・。いつも通り最終のこまちで、真夜中に大曲着。

2008年3月8日(土)
 7時半のこまちで東京に向かう。昨日、夜は夜で夫の職場の方の送別会に行ったりして、帰宅後にいろいろなことをしたので眠れてなくて、素顔のままで新幹線で熟睡してしまう。いけませんなぁ。女の子なのに(←半分ウソ)。
 今回の東京行きは、不妊のピア・カウンセラーの認定証授与式や、一年に及ぶ課程の修了証授与式がメイン。
 我ながら、よく続いたと思う。実のところ、とてもしんどかった。見栄を張って平気なフリしてただけです(なんでつまらぬ見栄を・・・?)。私の提出物には全然ダメなところももちろんあり、それには、今後の課題もある。そういう事も含めての今回の「卒業」となった。感慨深いです・・・。
 午後1時半からはグループシェアリング(分かち合い)のファシリテーター(司会・進行係)の練習。休憩時間に豊洲ららぽーとで夕食をとって夜間の授業。それが終わって、同期で、またららぽーとで飲み会。「ららぽーと太り」(むくみ?)で、ブーツも指輪も入らなくなった。

2008年3月7日(金)
 友達に赤ちゃんが産まれたので、昨日は病院に見に行った。新たに母となった彼女は、今まで私が知っていた友達とは別の人のようでもあり、同一人物のようでもある。とりあえず「あんまし変わんないね」と言うと、「そうなのよ〜。母の自覚とかって、これからじゃない?」とひとごとのように言っていて、面白かった。やっぱり、同一人物だわ、この面白さ。
 今日は別の友達の出産祝いを、一緒に祝う新米母さんたちと買いに行く。ベビールームでのオムツ替えや授乳に付き合いつつ「私さ〜、こうして周りが産んでくれるから赤ちゃんにさわって遊べるし。なんかね。産んだ気分、ってほどじゃないけど、気が済んだような気がするよ〜」と感想をもらして、「気、済んでる場合じゃないって!」と即座に突っ込まれる。いやまったく。(ポリポリ)
 たとえ忙しくて寝る時間がなくても、大切な用事を忘れることがあっても、こういうときにこういう友達と一緒に時を過ごせなくては、人生は楽しくないと思う。

2008年3月6日(木)
 私は絵(原画)を人にあげたことがない。描き始めた最初の頃などは、結構、身近な人にあげて喜んでもらう、というケースも多い中で、これは、珍しいことかも知れない。
 これには、わけというほどでもないけれど、一応わけがある。ある人の言葉。
 「タダで物をあげれば、誰でも喜んでくれる。御礼のひとつも、お褒めの言葉も言ってくれる。自分も嬉しい。でも、お金を取るとなると違う。人はシビアに、自分がこの絵を買うほど欲しいかどうか、検討し始める。金額と絵の価値に関して、厳しい評価も下される。そういうものだ。タダであげて、喜ばれて褒められて、いい気分になってちゃダメだ」と。
 その時は一応聞いて「ふうん。そう・・・かなぁ?」と思っただけだった。その後、知人に絵をあげる話の運びになったとき、彼女が、
 「タダじゃだめだよ。実費でも、なんでもいいから。全然取らないと、絵かかわいそうだよ」と言ってくれて、「あ、そう?」と値段をつけた。そのようにして2枚が私の手元を離れた時、あのゴッホでも生前に売れた絵は2枚だけだったというから、
 「これで私もゴッホと肩を並べたね!」と高笑いして(←あほ)遊んだ記憶がある。
 その後、自分の個展会場で、「この値段で、そっちの絵ならいいけど、こっちのはちょっとなぁ・・・」というような会話(作者がそこにいるとは知らなかったのですね)が交わされるのを物陰で耳にして「うっく。すみません」と秘かに反省することもある。きっと・・・それが大事なのかも。振り返れば私も、ものを見るときは、値段を見てものをみて、いろいろ言う。
 原画そのものに「値段」をつけること。(使用・掲載に関してはケースバイケースです。たとえばボランティア団体様からは頂きませんって!)。それだけで、いろいろなことがある。
 これって、人に厳しいんじゃなくて、結局自分に厳しく、ってことなのかも・・・しくしく。


2008年3月5日(水)
  ペンスケッチの教室の日。今日のテーマは「野外スケッチ」で、でもこの真冬(秋田では)に野外は無茶なので「半野外」。「半野外」というのは私の造語(?)で、ショッピンッグセンターや博物館など、広い施設内の風景や物、窓から見た景色などを描く。人によっては、行き交う人々など「人物」やお店でたのんだ食べ物などを描いてもいい。要するに、普段の教室の中では描かない物を描いてもらおうかと思う。
 普段の教室は、流しがついている行き届いた部屋なのだけれど、椅子と会議テーブルだけのかなりあっさりした部屋なので、しかも窓らしい窓もないので、その中で、用意したモチーフ以外の物を描きたくなる、ということは中々ない。カルチャーセンターの方針で教室内は飲食禁止なので、食べ物を描くのも難しい。となると、やはり生徒さんたちには、外の空気の中で描く機会もご用意しなくてはならない。
 と、いうことで今日は遊学舎。ここはちょっと秋田の町の外れにあって、周りの風景もよく、建物自体も木の香りがしてよい。昭和館、という移築民家を改造した部分の部屋から、大雪原を描く。床の間や欄間、階段の踊り場を描く生徒さんもあって、その思い思いのチョイスそのものが、「野外」の醍醐味とも言える。何を描くにしても、ちょっとでいいので、「遠近法を意識して描いてみましょう」というのが今日のテーマである。

2008年3月4日(火) 
 陽だまりサロンの若松亜紀さんの、「講演の仕方を講演」といった内容のレクチャーを受けさせていただく。(話し方講座)。「ほおお〜〜〜!」
 今まで、まんづ力任せにがむしゃらにやってきたけれど、いつまでもそうは行くまい・・・と不安になっていた矢先のこの講座。ありがたいです。いろいろなこと、キチンと知っておきたい。知っておけば、落ち着きも(自信も?)出ようというもの。スキルアップしなくてはっ。
 終わってからのお昼は、一人で横森界隈へ。適当に走って、なんとかたどり着いた「やまねこ軒」。最近OPENのお店で、今月(3月)号の「あきたタウン情報」に載っていて、気になっていたところだ。やさしいゴハン。落ち着く環境。ちなみにこの号のP.102には私のミニ講演会のお知らせが載っている・・・って、結局これが言いたかったんでしょうか、私!? 
 入院中の友達を見に行く(お見舞いというよりただの野次馬だ)。気分は忍び込み。キョロキョロこそこそしていたせいで、かえってドクターに見つかってしまう。もっと、堂々とサッと通ればよかった!Tooiでいろいろお話・買い物してから帰る。

2008年3月3日(月)
 ニューシティで、秋田贔屓の関係で「秋田を面白く!ものづくりから見た秋田の姿」というテーマのナイトセッションがあり、お歴々に混じって、末席にはべらせていただく。美術工芸の学校で学んだ方々の、卒業後の活動の中でのいろいろな思いを聞く。ココラボラトリーの笹尾さんのお話の中で、秋田の、美術工芸をしっかり学んだ方々がその後(卒業後)の制作・発表活動を継続する事の難しさ、に触れられていたのも、印象に残る。
 私には、いわば、「その後」しかない。「その後」しかない私には、「そうか〜」と、考えさせられる、どの方のお話も興味深い内容だった。
 基礎もなく、孤独な私などには、美術系の学校を経験した人は、やはりまぶしい。(もし今から私が美大を受験しても落ちると思う・・・涙)。同じ学校で学んだ仲間や先輩・後輩、習った先生がた、といったカタマリがあるのも羨ましい。でもしかし、キチンとした制作環境(特に工芸部門で)を自前で整える事の難しさも想像できる。いつもながらガラスの窯硝さん(鎌田祥子さん。窯硝って・・・本名の省略形?)にも、並々ならぬテンションを感じる。
 秋田に居ると、精神面などで、東京などとは違う制作に向かえる環境があるという事は、私にもわかる。あちこちのものづくりをする人たちがその事に気付いてくれて、秋田に集まって来たら良いのに。
 いろいろお話したいとも思ったけれど、途中で大阪の実家より電話が入り、母の具合が悪いという。場を抜けて、姉といろいろ相談する。とりあえず、私がすぐに飛行機で飛ばなくちゃならないということではないようだけれど、こういうとき、実家も何もかもが遠いことをもどかしく感じる。 

2008年3月1日(土)
 異業種交流会(的なもの)で手形の「おもろ」へ行き、楽しく時を過ごし、かつまた、ためになるお話も。利き酒チャンピオンに輝いた女性(ここでは「こめたびさん」と呼ぶ)も、何度目かでご一緒し、そのお酒の飲み方にうっとりする。こういう時間が時々でもあると、人生はより楽しい。私は大して実のある話もできず、お酒にもすごく詳しいわけではないのだけれど、こういう人達と、こうして一緒に過ごしてもらえる事を、しみじみ嬉しいと思う。
 昼から吹雪いていた上に、帰りは更に寒い。高速も大曲までは走れるけれど、より岩手寄りでは吹雪で通行止め。
 もう、3月ですよ、3月!

                              2008年2月

2008年2月29日(金)
 個人の生徒さんと「食べ物スケッチ講習」ということで土崎、ベイパラダイスのカフェラテに行く。空腹を抑えてまずは描きまくる私達・・・。これは苦しいけれど、本当に早描きの練習になる。いつまでも描いちゃいられない人目のある環境、というのも大事。この先スケッチはほとんどの場合、人目のある所で、ということになるから。
 そのあと飯島の「サエラ」でマダムと生徒さんをお互いにご紹介、さらに県立博物館へ「三浦家」の絵その他を取りに行くのにも付き合っていただく。今日は助手に恵まれて作業がラク〜♪気温はぐんぐん下がってとても寒い。普段の年なら今日はもう3月に入っているのにね、と言い合う。(今年はうるう年)
 出産を間近に控えた友達がいて、「もし2月29日に産んじゃったらどうしよう〜。4年に一遍しか誕生日ないよ〜」とおびえていたのを思い出す。今日生まれたという知らせは入ってないので、まんづ、大丈夫だったようだ。えがった。

2008年2月28日(木)
 横手に行ったので、用事が済んだ帰り道、がたごと走ってダイニングカフェ「蓮」に寄る。以前、夏に来たときは花盛りだったガーデンも、すっぽり雪の中。お会計のとき、雪の中やって来たお客さんには「おまけ」が用意されていて、何だか嬉しい。帰ってから開けてみると、かわいいコースターが一枚入っていた。県南はまだまだ雪深し。 

2008年2月26日(火)
 秋田銀行に行き、口座の名義変更をする。郵便局のは変えたけれど、銀行のは旧姓の「あずま」のままで、かなり不便になってきていた。銀行の後、ふと思い立って久しぶりにプールへ。水着はいつもトランクに積んである。
 今日は空いていて、私以外は二人。大曲ペアーレの温水プールのいいところは、本当に「温水」であるところ。体があたたかくなる。(冷ためにしてあるプールもある)
 以前、不妊治療に入ったばかりの頃はけっこう燃えていて、良いと言われる事は一通り試した。ご他聞に漏れず漢方薬もマカも飲んだし、岩盤浴にも行った。もちろんここのプールにも、定期券を買ってせっせと通った。いつも一人で。
 ちょうど今の家に引っ越してからのこの一年は、絵の事がものすごく忙しくなったことと、行き来するお相手も増えて外にいる事が多くなり、「不妊に良いこと」を実行し切れなくなっていった。
 それが、良かったのか悪かったのかは分からない。けどこうして仰向けに、水面にポカ〜ンと浮かんで懐かしい天井を眺めていると、「自分の生活に帰って来た」という感じもする。なるべくゆったり過ごそうと思う。いよいよ、来月はお腹に赤ちゃんのモト(胚盤胞)も入れるんだし。あんまり痛んだおかあさんでも、かわいそうだろうと思う。
 ストレスフルな状況を楽しみがちな、自分の元々の性格も反省・・・。ストレスも避けてあげよう。
 でもプールの後でミスタードーナツに行ってしまったので、体重面での反省はなし・・・。 

2008年2月25日(月) 病院
 久しぶりにDIARYに帰ってくるにあたって、やはり繁殖活動始動のこの日から再開するのがふさわしいと思う。 と、いうことで、病院。
 なぜこの日にしたかというと、「もう一度念のため血液検査してから移植準備したいのであれば、前回の検査から2ヶ月あけて検査」と言われていたから。前回の採血は12月25日。 上記の言葉を聞いた時は、「2ヶ月も待てない・・・」と気が遠くなったけれど、意外とあっという間だった。採血に備えて袖をまくりやすい服を選び、気合充分で病院に登場。
 ところが・・・。
 「つなしまさん、この間テレビに出てたでしょう〜」と前フリもなくドクターに言われてあっとうろたえ、「見、見、見られたんですかっ!?」「うんっ。」。・・・ひ〜。
 病院に来はじめた頃は何もしてなかったので、カルテでは「専業主婦」。まぁ、わざわざ言うのも気恥ずかしいし、ずっとそのまま、病院には仕事の事は黙って隠していたのに、ついにバレたか・・・。私「探せ!秋田の元気人」で、何言ったっけ・・・?とか、考えてしまって頭(の中)は真っ白に。「うんうん、まぁ、中々、大したモンだね〜」なぁんて言ってもらっちゃって、真っ赤になって照れまくる私だった・・・。その後何話したか全く覚えていない・・・。(←おバカ)
 それはさておき、前回の生理後、いちおう凍結卵移植準備の為のホルモン剤を5日(最初の4日間は2錠/日、その後は4錠/日)飲んだ。その後、やはり怖くなって「やっぱり血液検査してから」と考えて飲むのをやめ、病院にはその旨(移植中止の)電話をしておいた。
 次回生理が始まったら、もちろん、その分も薬を貰い足さなくてはならない。ボヤボヤしてはいられないのだ。
 2週間後に、今日の検査結果を聞きに来る予約を入れた事もすっかり忘れ、「じゃっ、次の生理始まったら来ますっ」と立ち上がりかける私に先生は、「ん?違うよ、まず検査結果、検査結果。2週間後でしょう。薬も5錠、減ってるしね。」と・・・。ん・・・?
 私も私だけど、違うよ、先生・・・。5日間飲んだのだから、薬はもっと減ってますってば。
 こうして、医・患ともにお互いになんだかトホホな会話で、私の繁殖活動再開の幕が開いたのでした・・・。ちゃんちゃん。

 それにしても・・・私の出た番組の枠は、香取慎吾のドラマ「薔薇のない花屋」と「SMAP×SMAP」の間の数分間だけだ。「寝るヒマもないはず」と評判の忙しい(と思われる)先生が、一体どっちの番組を見ていらしたのか・・・?謎は深まる・・・。両方か・・?

                  2008年1月

2008年1月9日(水)
 山王の生涯学習センターで、個展終了、搬出。これで、2007年、「県立博物館」→「角館プラザ」→「福乃友」→「角館プラザ」→「鹿角・関善」→「秋田市・憩7」→「大曲・ブランカ」→「生涯学習センター」と8つ続いた個展が、少し一段落する。(この中には二人展もある)。単発の講演や講座もあったし、秋には教室も開講。東京では、4月から毎月2日間づつ、とある講座に出席し、課題もあったし。睡眠はいつも3時間くらいだった。怒涛のような一年だった・・・。もう、その是非については、考えない事にする。(妊娠にはいいはず、ありません!)

2008年1月8日(火) 
  今日からは秋田県立博物館に、三浦家の絵が展示される。これは昨年の11月3日、採卵入院の前の日のスケッチ会で描いた作品。今月の5日に持ち込んだのだけれど、全紙大の額は重かった・・・。空にそびえる屋根の、特に切妻の所の格好よさを描きたかったので、その部分がうまくいって嬉しい。例によって私の絵の遠近法はなってなくて、あちこちゆがんでいる。
 これはもう、「そういうもんです!」と開き直って吉。どうしても正確に、と望む時は写真資料も使って正確さを期するし、そのへんは、どっちでも、最近私の中でこだわりはない。
 結果的にどういう感じの絵になるか、ということが大切に思える今日この頃。

2008年1月7日(月) 病院
  病院。12月25日に採血した、その結果を聞きに行く。私の体の中にあるパルボウイルスの、有無の目安となる抗体の値がどの位になったかを。そしてそれは、少し下がったとはいえ依然存在しており、「う〜ん」とドクター・患者両名をうならせるのであった。(パルボウイルスがあると、お腹の中で赤ちゃんが水頭症になって、育たないことがあるらしいので)
  まぁおそらくウイルスそのものはないだろう(抗体は少しあるけど)。待ってても、この値がうんと下がるまでには2年くらいかかるかも知れないし、どっかで見切り発車しないと。
 ・・・ということになり、とりあえず次に生理が来たら病院に来ることにして、態度を保留したまま病院を後にする。コワくて決められません・・・。   

2008年1月6日(日) 作画
  今日は我が家にての宴会の日。と、同時に、新春企画のお酒「新政・立春初搾り」のチラシ用のイラストの締め切り日でもある。たこ焼きとワイン、というのが今日のメインテーマ(変な組み合わせだ・・・)なのだけれど、主婦の私は仕方なく酒瓶の間に絵の具を広げ、しゃべったり、飲んだり、塗ったり、肝心のたこ焼きは「主夫」まかせなのだった。
 イラストの方は、去年の企画ものは桜を配したので、「今年は梅で」とご希望である。梅は桜より地味なので、花をアップにするのをやめ、賑やかに満開の木を描くことにする。
 仕上がって、メールに添付して送る。  

2008年1月1日(火)  年明け
 男鹿の、お友達のおうちに泊めていただいたので、そこでの年明け。明けましておめでとうございます。
 昨夜は生まれて初めて、観光用でない、土地の「ナマなまはげ」を見られて感激。こちらの地元の神様のところにおまいりもする。「どうも、お邪魔しております」と。久しぶりに、とてもいいお正月を過ごさせていただいた!

2007年11月

2007年11月6日(火)  都わすれ
  療養の日。共に大曲在住の友達二人と、温泉に行く。近くに住んでいるのにこのところ、私が大曲にいる日の方が少ないような有様で、行こう行こうといいつつ延び延びになっていたのだ。紅葉も終わってしまった。私のせいなのに、二人とも責めもせずニコニコしてくれている。こんな私なのに、あっちでもこっちでもよい友達に恵まれて、とても有り難いことだと思う。特に秋田に来てから「恵まれ度」が増しているかも・・・。
  温泉は、舗装してない山道を延々走ってやっとたどり着く、仙北市、夏瀬温泉の「都わすれ」。こんなにいいところなのに、日帰り入浴なので500円で利用できる。昨日、走行距離17万キロに達した15歳の愛車ター坊は、こんな道も苦にせず、へっちゃらで、こんな素敵な空間へ私達を運んでくれるのだった。今日もありがとうね。

2007年11月5日(月)  退院
  今回の入院は日曜だったせいもあって病棟に人気(ひとけ)が少なく、淋しい入院だった。どのくらい人気(人手)が少なかったかというと、提出物(わかるね)の受け取りや、採卵が始まる時に迎えに来る、などもナース(普段はね)でなく、ドクター自らが、勿体なくも、来られるほどなのだった。しかも私は入院も退院も一人ぼっち・・・。と淋しく思っていたら、「一人かい!?」と、友達が退院時、迎えに来てくれる事になり、急に楽しくなる。朝から外来に来た友達、迎えに来てくれた友達、いちいち周産母子センターに引っ張って行って赤ちゃんを披露する私・・・・人様の赤ちゃんだ、アンタのじゃないって!
  ところで肝心の卵ですか?採卵3つ。うち一つは殻だけ、中身カラッぽ。ひとつは、既に2分割(?)になっていて、変成卵の予感・・・。比較的ふつうの1個は、退院時点では受精確認されず。人生で最後の採卵だったかもしれないのに既に全滅の気配が漂う。
  来週の月曜日に受精卵の凍結確認の電話を病棟に入れることになっているけど、毎日2回くらいずつ電話したい気分・・・。 

2007年11月4日(日) 採卵
 
  そして採卵。朝からもう、緊張のあまりニコリともできない私、いつもニコニコしている普段の私を知っている人がこれを見たら、別人だと思うだろう。入院なので生まれたままのスッピンだし・・・(いや、別にいいけど、そんな些細なことは。それに日頃も、そんなに厚塗りしてないって)。ちょっとは笑おうと思ってみて、よけいに顔が引きつる始末。
  気が弱っているので、思えば結構長くなってしまったこの2年半の不妊治療生活、その間にあったことなど、さまざまな事が走馬灯のように頭をよぎり、気持ちは弱るばかり。出来ればハダシでここから逃げたい・・・はい、ただの怖がりですね。点滴の針が入り、痛み止めや消毒の処置をうけ、気分(だけは)すっかり重病人なのだった。
  採卵自体はすごく早く終わり、今までで一番ラクだったかも。感慨深いのは、台から降りて車椅子に乗せられ、さっきまで自分が乗っていた台を振り返るとき。
 「ああ。ここに仰向けになって。こことここに足を乗せて。で・・・。」と自分のさっきまでの姿をなぞるという、心臓に悪いことをしてしまうのだった。やめましょう。
  少し頭がクラクラして微熱が出たけれど、お腹の痛みも出血も今までで一番少なく、しかも偶然、出産したばかりの友達に廊下で会い、「きゃ〜、いたんだ!産まれたんだね〜」と、楽しい入院生活(一泊だけど)となる。入院服なので目立たないのを幸い、周産母子センターにもぐりこみ、生まれたばかりの赤ちゃんを見せてもらったりおしゃべりしたり、座薬が効いているうちにと楽しく遊ぶ。
  消灯の9時と同時に眠りに落ちてしまい、朝6時半に電気を点けられるまで熟睡。昼間も寝たのに。すごい睡眠力(?)だ・・・。  

2007年11月3日(土) 三浦家
 
  県立博物館主催の文化財スケッチ会に、私のスケッチクラスの生徒さんと参加。場所は金足黒川(黒川油田のちょっと手前です)にある三浦館。少し前にお話を頂いたものの、その、指定画用紙の大きさに、皆さんちょっと引いてしまった・・・(実は私もです)。普段教室では、基本的にF4を使用している。大きいのが好きな人でF6。指定の「四つ切画用紙540mm×380mm」というのは、それで言うとほぼF10にあたる。ひ〜。10時から3時。私でも、その時間で埋められるかどうかわからない。しかもすごく寒い。
  他の先生方やその生徒さん達も参加されていて緊張は高まるけれど、まぁ皆、とにかく描くっきゃない。
  結果は、私の生徒さんもみな無事、描きたいものをしっかり紙に収められたのだった。よかった、よかった。
 「描いてみたら、紙の大きさ、足りないぐらいだった」という声も出て、頼もしいぃ〜。
 そう、かく言う私も、絵を始めた当初、「下手っぴぃなくせにやたら大きな作品を描くヤツ」と呼ばれたもんです・・・。当時の記憶がよみがえるなぁ。このところチマチマしていたなぁ、と反省しきり。しばらくF10路線で行くか。
  でも当然ながら、大きい紙を埋めるには体力も気力も要る。今日だって、寒すぎて、終わってからも体は冷えて顔だけやたら火照るし、体はガチガチに凝るし、明日は入院して採卵だっていうのに、こんなに疲れていいのだろうか、私・・・。
  このスケッチ会は3日と4日。つまり明日もある。描き残しても、明日も来られるのだったらどんなにいいか。しかし明日入院する私には今日しかなく、しかも夕方からも他の予定があり、いやが上にも疲れてしまったけれど、それは心地よい疲れ・・・・・(?)
 あ、明日の入院準備もまだ全然していない。でも、もう、明朝起きてから。
  
2007年11月2日(金) たいあん弁当
 
  それでですね。いよいよ卵胞のチェック。ドキドキ。で、実は「まだまだだろう」とタカをくくっていたのに、「大きくなってますね〜。充分なので、今夜切り替えで、あさって採卵ね」と言われて目が点になる。は、早い。しかもあさって、って日曜。なぜか、休日の採卵になっちゃう事が多い私。綱島かすみさえいなきゃこの日は休めたのによ〜、ってお医者様もいらっしゃるかも。どなたになるかは分からないけど、申し訳なし。
  病院のあと友達の家に集合して、「絶対食べきれない」と噂の『たいあん弁当』の『山菜からあげ弁当』に女三人で挑む。今「女」と書いたけれど、これは既にオンナを捨てた行為だ・・・。あまりのから揚げの量に、弁当箱の蓋、閉まってませんし。そして、ふふっ、私のみ、むろん完食。のみならず、残した友達のから揚げまで、奪って 食べたのだった。(自慢になりません!)。荒れた光景だ・・・。
  夜は11時の切りかえ注射まで時間を潰すべく(言い訳)、「青い鳥のレストラン」の下の階にある「iruma」でおそば&ゴハンを食べる。さらにジリジリと病院に近寄って、プロントでお茶を飲みつつ、11時を待つ。
  注射は一瞬で済む。いつも、この深夜の切りかえ注射の後って、空しい思いに囚われて、そこはかとなく悲しくなるのだった・・・・。
2007年11月1日(木) 大雨
 ランチ&商談(?)のお約束があり、12時に飯島の「サエラ」へ、いの一番に今月の新メニューをいただく幸せ・・・。今日のお相手様は紅茶の先生。私のしているいろいろな事々についてのアドバイスもいただき、サエラのマダムともいろいろなお話ができて、実りある一日に。病院に行く日と秋田市内に用がある日が一致すれば申し分ないのだけれど、病院に行く日、というものは、いつもビミョ〜に私の思惑とズレるのだった・・・。
 外はものすごい大雨。秋田にいるあの人この人、誰の上にもこの雨は降っているのだ(当然だ)、と思いつつ大曲に帰る。
2007年10月31日(水)
 秋田市東通、憩7というカフェでの二人展(写真の高橋絵璃さんとのコラボレーション)の最終日。
 まずは、朝から病院に注射を受けに行く。これは排卵誘発のための注射で、おシリに打ってもらう。今日は注射だけなので29日とは違い病院は一瞬で終わって自由の身に。先日は卵胞が見えなかったようなので、お腹の中で卵が育っているかどうか、全く自信ないけど、気にしない、気にしない。
 友達が「美味しいバームクーヘンがあるので食べに来ない?」と誘ってくれていたので、ちゃっかりお邪魔。もう一人加わり、妊婦2人と私の三人、カロリーを気にしつつも食べる食べる。ありがとう!
 解散してから憩7へ。若いお客に病院の絵がウケていたようなので聞いてみると、医学部の学生さんなのだった、なるほど。彼らは病院パーキングの絵ハガキを買って行ってくれる。う〜ん、ありがとう。何でも描いてみるもんですなぁ。(会計待ちの間などヒマだし)。
 最後のお客様が帰られて、店じまい。これは少し淋しい瞬間だけれど、この展示で楽しんで下さったコメントの数々を読むと、「私達にも、人様を癒す事が出来たのね〜」と、嬉しい。
 私がこのホームページの更新をお休みしていた間の出来事だったので、あまりここでお伝えできなかったのが心残りだけど、憩7の皆さま、憩7のお客様、そして誰よりも高橋絵璃さん!ありがとうございました。とてもとてもお世話になりました。素敵な3週間だった・・・。
 明日からガソリンが値上げになるので今日の内にと、広面のセルフスタンドに並び、長蛇の列にも「お正月みたいだ〜」とウキウキしつつ満タンに張る。
 それから「青い鳥のレストラン」で打ち上げ。深夜1時半に帰宅する不良主婦なのだった・・・。
2007年10月30日(火)
 来月、11/21〜12/5の期間、大曲の画廊喫茶ブランカで書の人とコラボで二人展をするので、その打ち合わせをする。二人展、その名も「こらぼ」。今、まんまじゃん!と突っ込みを入れたのは誰ですか?
 今回で展示も11回目になるけれど、思えば私は、地元開催はこれが初めて。東京に住んでいて札幌で、とか、秋田に住んでいて北海道長沼町、とかいうムチャな時もあったので、地元開催って、夢のように体がラク。そう、たまにはラクしないと、来月早々にも採卵する予定の大事な(?)体だし???
 「風林火山」!カッコいいでしょう。私も「よしっ」とばかりに強めの線の落ち椿で和風にキメて。でも帰ってからスキャナーとプリンターと筆ぐるめと絵の具と筆と格闘する時間が待っていた・・・ラクは出来ないようになっているのね。
2007年10月29日(月)
 2万5千年前の生命のエネルギーをただ吸っていても仕方ないので、私も微力ながら地球の人口を増やすために病院に行く。

 夏からいろいろ(パルボウイルス感染とか)あって、移植できないままの凍結卵も2つ残っている。(感染中は、胎児に影響が出るので、妊娠してはいけないのです)。でもこのままいつ消えるとも知れぬパルボちゃんの顔色をうかがっていても貴重な時間がただ過ぎて行くだけ。どうせ移植できないのなら、その間に採れるうちに卵を採っておこうか、という前向きな提案に乗り今周期は採卵・体外受精をすることにしたので、今日はその、卵胞のチェック。
 ところが・・・あれれ・・・まだ卵胞は見えないほど小さい(らしい)。確かに、生理自体も思ったよりだいぶ早めに来たけど。先週体調が悪くて高熱にうなされたりもしたけど。クロミッドを飲み忘れた日もあるけど。だからといって・・・。(というか、これだけそろえば当然?)
 とりあえず注射は受け、なんとなく狐につままれた心持ちで、とぼとぼと帰る。こんな日でも秋は秋。病院ですら紅葉が見頃なのだった。

 賑やかにお茶をして気を取り直すも束の間、帰りの運転中に足がつる。なんで・・・なんで病院に行った日って!もう病院通いも慣れっこになっていて、今さら妙に緊張したり力を入れたりもしていないはず。待合室で、トイレの回数が増えるのが面倒で水分摂取を控えたのがいけなかったのかも。座りっぱなしがいけなかったのかも。こんな日だけは愛車ター坊、突然オートマチック車に変身したりして・・・はくれないでしょうね? 
2007年10月28日(日)
 
 長らくお休みしていた日記を再開するにあたり、まずは最近みつけたとびっきりのパワースポットをご紹介!

 それは、その名も「埋没林」という、まさに数千本の木が約1キロにわたって埋まっているもので、もちろんただ埋まっているだけじゃない。ただ埋まっているだけならもうとっくに腐って土に還っている筈なわけで、それがこうして1〜2m間隔で見渡す限りの海岸線に並んでいる。・・・のはどうしてでしょう?
 実はこの木たちは2万5千年程も前、最終氷期のある日に洪水などの急激な環境変化で針葉樹林が水没し、その根が水分により真空パックされたために腐らず残っているという、大変貴重な木たち。2万5千年前を見ていたこの木たちが、今ここで波に洗われ、地層の断面に顔を出し、平成の日本でつなしまかすみなんぞに「ひひひ」と踏まれている不思議・・・。さぞ無念だろう。
 訪れる人とてなく、「見たい人は勝手に見て、好きなようにしていいです」みたいな肩の力の抜けた場所なのだけれど、悠久の時の流れに凝縮された(まさに真空パックされた)生命のエネルギーを感じてしまう。すごいところだ。
 近ければ、自分が力をなくしたときや悲しいとき、ただここにたたずむためにやって来られるのに。
 はい、ここは本州の北の果て、津軽半島は出来島海岸なのでした!おいそれとは行けないや・・・。でも本当にいいところです、お近くに行かれる方は、是非、エネルギーを吸いに(?)いらしてみて下さいませ。 

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