くろあすやま → からすやま → 烏山

この説は鈴木堅次郎氏のアイヌ語説です。(世田谷城 名残の常盤記 昭和36年)
まず廻沢はメ・クリ・サワでこれはアイヌ語で説明出来、深い谷の水源地から清水が流れ出ている地帯を指しています。実際 青林山東覺院門前の井上氏の居宅付近から清水がこんこんと湧き出ていたそうで、その付近では、昔からやじりや土器等が多数発見され、太古から住民居住のところであったことを物語っています。その遺物は現在青林山 東覺院に保存されています。
粕谷・烏山の地は高燥にして土質火山灰状をなした荒地であり、かかる火山または砂灰地をアイヌ語でアスと言います。九州のシラス台地はシロアス台地です。黒いさらさらの土地クロアスで
粕谷より高台の烏山は山でクロアスヤマ、川が3本も流れている粕谷は谷でクロアスヤと説明がつきます。

日本中の説明がつかない地名はほとんどアイヌ語で説明がつくそうです。
シャクジイ・ニッポリ・アカバネ・イズ・ノト等今の日本語では意味不明です。
樺太時代に日本の学者が地名の調査をしたら、ロシア本土にもアイヌ語らしい地名が多数あったとのことです。

この縄文時代の日本人アイヌ系の人は今現在、北海道と沖縄に多く、次の弥生時代人は本州に多くいます。
ウィルス学の研究からこのアイヌ系の人・縄文時代人は「成人T細胞白血病」のウィルスを持っている人が
多くいます。このウィルスは母親から子供・夫婦間で感染します。発病はあまりしません。不思議なことに
南北アメリカの原住民も持っています。アメリカ原住民もアイヌ系の縄文時代人かと思われます。
弥生人はこのウィルスは持っていません。
結論としては縄文時代、日本は全土にアイヌ系の縄文人の人々が生活をしていた。
そこへ殷の滅亡により難民となった殷人が朝鮮半島経由で日本に住み着き弥生人となったと考えられます。
縄文人は仕方なく沖縄や北海道、五島列島、長崎半島、大隈半島、紀伊半島、伊豆半島、房総、三陸
海岸等隅に押しやられてしまったようです。前記のウィルスがこのような場所で発見されています。
また、同じころ、呉からも、太伯の末裔が、朝鮮半島南岸部、壱岐、対馬、九州北岸部を含む「あまくに」を
作っていたのではと思われます。そうすると「ジパング」のもとは中国が朝鮮半島を支配していた当時の
「真番郡」がジパング→ジャパンになったのでは、と私は思っているのですが。
「魏略 逸文 その旧語を聞くに、自ら太伯の末という」
弥生時代は紀元前1000年、殷の滅亡と符合します。殷は漢字を作りましたが、今現在でも
漢字の元になった考えが日本で通用します。(白川静 漢字)
例えば産子儀礼で「おでこに赤いしるし」をつける(鳥取県)。これが彦の字の元(象形)です。
今の本州に多数住んでいる日本人は弥生人殷人の子孫と思われます。

粕谷は固有地名ではなく
  愛知県知多市南粕谷
  福岡県糟屋郡糟屋町
  秋田県秋田市仁井田粕谷道
  兵庫県姫路市飾磨区粕谷新町
  福島県福島市大笹生粕屋
  神奈川県伊勢原市上粕屋
と日本国内に、世田谷区粕谷以外にも、あります


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地名起源
くろあすや → かすや
関連地名
めくりさは → めぐりさは → 廻沢