初めての俳書「貝おほひ」

表紙>芭蕉目次

 

鹿島紀行 仏頂禅師、市川まで、北浦、根本寺、鎌足神社、鹿島神宮、防人の歌
奥の細道(1) 旅装、旅の動機、千住、草加、殺生石、遊行柳、一遍上人のこと
奥の細道(2) 風流の初め、壺の碑、松島、平泉、山寺
奥の細道(3) 酒田、象潟、佐渡、塚も動け、那谷寺、奥の細道むすびの地

関口芭蕉庵 関口芭蕉庵、芭蕉庵の中、神田川は水道だった、用水のしくみ、全国の上水道
深川芭蕉庵 河畔の宿、杉山杉風、芭蕉記念館、がま蛙飛び込む、芭蕉稲荷神社、分館

人生

はじめに、伊賀での生活、江戸に出る、芭蕉という俳号、甲州に転居、野ざらし紀行、放浪、寿貞尼、借金生活、親のこと、最後の句

年譜 年譜、義仲寺(芭蕉の墓所)

俳句 (1) 俳諧七部集
俳句 (2) 俳句の一覧
門人(1) 榎本其角、越智越人、各務支考、志太野坡、杉山杉風、立花北枝、内藤丈草、服部嵐雪、向井去来、森川許六

門人(2) 岩田涼菟、江左尚白、小川破笠、川井乙州、川井智月、河合曾良、斎部路通、斯波園女、菅沼曲水、坪井杜国、野沢凡兆

野沢羽紅、服部土芳、野水、孤屋、李下、山本荷兮、仏頂和尚、服部沾圃


参考文献  
 



ほろほろと

「ほろほろと山吹ちるか瀧の音」画賛、天理図書館蔵。許六画、芭蕉賛。

 

 

芭蕉の俳句について


 芭蕉は大変な有名人だ。中学生以上で日本語の読み書きができるならば、たぶん誰でも知っているだろう。

物言えば唇寒し秋の風   (芭蕉庵小文庫)

これは格言ではなくて、芭蕉の俳句である。しかし、詞書きには、「座右の銘、人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」と書かれている。人の欠点をあばかず、自慢せず。つまらないことをいうと自分にはねかえる。

芸術家に処世術は似合わないけど、胸をそらしてふんぞり返っていると敬遠され、食ってゆくのも困るようになる。こんな計算をして、芭蕉はつねに慎重に生きたかと思う。

 さて、おくのほそ道を読んだことがなくても、次の句をたやすく思い出す。

荒海や佐渡によこたう天の川

では、芭蕉の俳句はすべて分かりやすくて記憶に残るかというと、そうでもない。おおざっぱに言って、作品の95パーセントほどは、なにを言いたかったのか、私にはまるでわからない。芭蕉はかなり難解なのである。

私の頭がおそまつなのは、重要な原因ではあるが、ここでは考えに入れない。俳句は短いがゆえに、複雑な理念は織り込まれない。

でも、江戸時代の俳人たちは漢詩や中国史、日本史の雑学を前提として、さらにひねった句を量産した。芭蕉も知識をたっぷり吸収して句作に励んだ。

俳句を含めて、詩は理屈をいうのじゃなくて、おぼろなイメージ、強い印象などいろんな気持ちを文字で伝えようとする。読む方も、「なんとなく良いなあ」と気に入れば十分だろう。

おなじ俳句でも、人によって解釈が異なっても構わない。それでも芭蕉は、さまざまな思いを17文字に凝縮させたため、とらえどころのない句も残した。たとえば、

いざさらぱ雪見に転ぶ所まで   (花摘)

これなどは意図をつかみにくい。芭蕉にとって雪見は、大好きな風流のひとつだった。だけど、「それがどうした」といいたくなる。江戸後期の人たちはへこたれずに、おちょくって風流をひっくり返すネタにした。

いざさらば居酒屋のある所まで

雪見には馬鹿と気がつく所まで

2句とも川柳集「柳多留拾遺」より。

 

 

 伝統からの脱出


 芭蕉の俳句はわかりづらいとぼやくのは後ろ向きの反応である。古今集以来800年続いていた和歌の伝統から脱出して、新しい詩歌の創造を目指したことに芭蕉の価値がある。紀貫之は古今集の序文で、次のようにいった。

花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。

生き物はすべて、歌を詠むと貫之はいった。こころに響く文章である。その例としてウグイスとカエルが挙げられている。ところが後に、まことに奇妙な誤読をされてしまった。

そうか。和歌では、ウグイスとカエルの場合、鳴き声を詠むのが正しい作法なんだね。

貫之は例示しただけなのに、鳴くことが神聖な約束事と受けとられた。和歌の世界では、カエルが飛び跳ねたりしてはいけないと決めつけたのである。

あほらしいけど、歌人たちの石頭ぶりは相当なものだった。まるで融通が利かない。これが芭蕉には不満だった。

鶯や餅に糞する縁の先   (葛の松原)

古池や蛙飛びこむ水の音   (春の日)

芭蕉はうぐいすの糞で詩をつくった。ふーん、そうかい。カエルも鳴き声でなく、水に飛び込む音を素材にした。これらは伝統への挑戦だった。それまで誰もやらなかったから、当時としては、芭蕉は前衛的な詩人だった。

蚤虱馬の尿する枕もと   (おくのほそ道)

ノミやシラミは和歌ではまず詠まれない。それに馬の尿(「しと」と読む)は、かなり大きな音がするし、風流とはほど遠いから、和歌の題材にはなり得ない。

それじゃあと真似て改革者をきどっても、へたをすればただの変わり者と笑われる。芭蕉にしても、初めから俳聖と崇拝されていたはずがない。世の中から相手にされなくなる危険性を覚悟して、創造を志した。

 

芭蕉翁之像

破笠画「芭蕉翁之像」早稲田大学図書館蔵。破笠が76歳のときに描いたもので「芭蕉翁之像門人夢中堂笠翁行年七十六歳図」と書かれている。

 

 

関連のホームページ


芭蕉データベース 俳句の全作品を収録。
みちのくの足跡 奥の細道について、非常に詳しい。
芭蕉が見た風景 風に吹かれての一部分。写真がある。

都留と芭蕉 芭蕉が山梨県都留市に住んでいたときの案内。
深川散歩 江東区深川の案内。芭蕉についても詳しい。
ウォーキングで金沢めぐり 奥の細道のうち金沢市内。

奥の細道 道しるべ 「17文字の詩」のうち、月刊「ヘプバーン」会員によるガイド。
芭蕉塚蒐 全国に散財する芭蕉句碑の総目録
青空文庫 芥川龍之介の芭蕉雑記「続芭蕉雑記」

 

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