吉田松陰

 

表紙>松陰目次

 
(1)

ペリー艦隊に乗りこむ、夜、舟をこぐ、牢獄にて、ペリーのこと、下田市、温泉の隠れ家、下田の海岸

(2) 江戸に護送される、大和魂について、大和魂の用例

(3) 生い立ち長崎遊学、佐久間象山に会う、脱藩して津軽までゆく、投獄される、松陰神社
(4) 松下村塾、松下村塾のはじめ、門下生、日本初の行進曲

(5) 教育方針、おとなしくする、理想的な女子教育とは、僕は元祖平等、天下を相手に、人をほめる
(6) 激怒する、幕府からの呼び出し、肖像画、小伝馬町へ、松陰の最後、利用された松陰像

(7)

宝島、日本からの訪問者、玉砕、アメリカへ

(8)

山鹿素行、シギとカモ、宮部鼎蔵、高杉晋作、井上馨、山県有朋、木戸孝允

 
(9) 年譜、参考文献、関連のホームページ

 

松陰の印象

 幕末史で名高い吉田松陰は、明治維新の原動力になった英雄だと評価されている。でも松陰が書きのこしたものを読んで、自分と周囲に対して正直な生き方をしたのだなと思うようになった。

英雄の称号は似合わない。むしろ、うじうじ思い悩む性格だった。それでいて時には、思い出したかのようにやたらと元気で力強くなった。

 松陰の門下生から多くの人材が出て、明治時代をつくった。松陰がずば抜けた教育者だったことは事実が証明している。だからなぜ優れていたのか知りたいが、私のような小者には大人物を知るのはむずかしい。

同時代のおとなたちにとっても、松陰はわかりにくい人物だったのではなかろうか。過激でまじめで、頭の中が古くさくて新しくて、おとなしくて熱心で、なにをやるかしれず、だけど会った人はみな、松陰の高潔な人柄に目を見張った。

 ところで、江戸時代の世田谷には、毛利家の屋敷があ った。江戸で刑死した松陰を祀る神社はその地につくられた。

『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』の著者スチーブンソンは、 スコットランドを訪れた日本人から松陰のことを聞き、その生き方を手本にした。世界で初めて松陰の伝記を書いたのは、スチーブンソンかもしれない。

 

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