<SN型冷蔵庫>
台所の中でさえ、心の置き場をふと考えてしまう事
を知ったのだとおもう。
今日と言う日に、起きた事がわだかまりを作ったか
らこそ、驚きを持つのであり、此れが記されている
ので、あろうとおもう。
例えば、冷蔵庫一つ増えた事に、驚きを重ねるのは
ありていに言えば、改装された台所の空間にピッタ
リとおさまっている事実が、目の前にあるのを見て
しまっているからだ。
Toshiba・SN型北斗星
ライトグリーンの冷蔵庫
中に入っているものが、相も変わらず、同じもので
あっても--けっして、カタログの様であるはずが
ないのだけれど--古ぼけたものの、使いにくさの
水たまりに足を止められた者が、立ち働く限り、冷
蔵庫のドアが開閉され、トマトや肉が取り出されて
行き、そしてテーブルの上に、サラダや、肉料理が
並べられ、食べられ、片付けられて行く。
だから、ドアは、一度閉まっても、その開閉運動を
翌日まで、続ける事が可能になるのだろう。
<構図から>
テーブルの上におかれたいる、コップとコーヒー茶
碗と砂糖とを、目の前にある通りにながめている。
天井から来る光が作るものの影がそこで、図を作る
のを、しばらくの間眺めていても、見飽きぬものが
あるのは、私の視線に広がるそれらが、固定した写
真の像の様に思えるから。
テーブルの上から何も生まれぬのであるにしても充
実した時間を私が持つ中で、本や衣服で乱雑になっ
ていた室が、ある日曜日に清掃された後の様な不安
定をもたらす。
たぶん、私は一つの体験をなしたのであり、眠って
は目覚め、目覚めては眠ると言う言う事ですぎて行
くものたちの中で、時々おこる光の乱反射のような
ものを身にあびたのである。
<雨 模 様 へ >
見る角度があって、見られるものが、斜に区切られ
て来る時、雨でさえも、流れるものとして地平に対
して、一つの角度を持つことになる。
歩いている時に突然に降り出した雨が、全身ずぶぬ
れになる、驟雨であっても、次のデパートの入り口
まで、急いで駆け抜ける足下の、乾き具合が、すば
く表れて行く様子だけが、一面になる。
入り口に辿り着いて、雨が急にやんで仕舞ったとし
ても、陽射しが明るくなるにつれて、雨が降ったと
言う事だけでは、日足や、空気の状態で感知され続
ける。
又、しょぼふる雨を室の中から窓越しに見ている時
何もする事がなくなった手持ちぶたさの中で窓ガラ
スの格子の模様と落ち続ける雨脚を見つめているの
は、幾何される原始の姿を目の前に持つ事になるの
だと思う。
傘のさし具合によっては、また濡れると言う事は当
たり前なのであり、その為に玄関に傘が用意してあ
ることを、雨の日に知るのだと言う事だ。
<光のなかで>
一条の光の中で、流れ続ける煙り模様を
見つめている事に
時間のたたぬのは、私の座っている席から僅かな角
度で見上げられる位置が
充満しているからなのである。
立ち込める煙りがあって
冷気の流れる室
だからこそ、また煙りの中を
様をなして動いて行くのだし
幾つかの層を区切る事ができる。
<茶 店>
その店の天井に並ぶ数個のライトと
一番端に揺れているライトが
天井から見下ろす位置に深さを与え
人々の頭上にあるものは
ドアに向う人々に手のとどくほどの
なつかしさを与える。
見られたものの位置に自由を与え
2メートル30の室の床から天井への
すれすれの視覚が
椅子せきのある空間に広がる。
<朝へ>
居間と玄関脇の室のそれぞれにある
二つの時計が
数分のずれをなして2時の音をたてると
寝静まった家の台所にたたずむ私の位置の上で
テーブルや蛇口やガスレンジが明るくなる。
さっき帰ったばかりの私の中で
深夜の国道を走り続けて来た車の暖房の汗の余韻
を残す。
先日買い替えたばかりの冷蔵庫の、ジーンと唸る
音が、私の背後で響き、ミルクと冷たい夕食の残
りものが、胃の中に流れて行く。
耳を音に向け、ひんやりしたミルクの流れを感ず
ることで、深夜の時を知り、椅子にすわる私自身
のけだるさを一瞬わする。
後に残された事は、ただ蒲団の中でのびることで
あり、目覚めた時の窓からの光りに、朝を感ずる
事だとふとおもったのである。
<確かに、あるものを示す>
私の家や木々の上空をを飛ぶ
N学園から離陸したグライダー
目で曲線の軌跡を追い
数分の間見とれていれば
飛行する物体が私の目の前で
広がりをしめす。
例えば、残暑の日であれば
にじみ出て来る汗を
スーと拭いながらみとれる
数分間は
確かに青空に、向ってみあげる
私の所に淀んでいるものを
耳に聞こえる微かな音ども
ともに
あるがままにしめす。