2002.02.25

鏡像からの自己認識


−−−つまり、いま私は鏡に写っている像をこの目で見ているが、その像が私の顔であ
るのだと判断する根拠はいったい何であるのかということなのです。
−−−まず、私自身の為にも、貴方の為にも、この様な判断の根拠を問うと言った考え
が、どのようにして生じて来たのか、どうしてこんな事を考える様になったかを示さな
ければならぬと思われる。私にすれば、今朝もヒゲを剃るときに洗面台にある鏡を見て
いて、鏡に写っている<それ>が、私の顔でないなどと思っている訳ではないし、又ど
うも自分の顔だと言う自信が持てないなのだと言う訳でもない。
−−−では、いったいどのようにして、そんな問が生じて来たか?
−−−第一に次の様に考えた所からと言う事になるとおもう。
−−−例えば、一枚の写真を見ている時、そこに写っている像とAさんの顔とを見比べ
る事によって始めて、あ!この写真ははAさんの顔を写している像なんだと判断したと
したら、つまり私がこの両の目で、写真と本人とを見比べて上で、始めて写真をAさんの
顔を写したものだと判断するなら、では自分の顔の場合にはいったいどうなんだろうかと

      「写真の顔」
   私の目      見比べる−>結論(1)
      「Aさんの顔」
   -------------------------------------------------------------
      「写真の顔」
   私の目      身比べる−>結論(2)
      「私の顔」

(1)写真のそれとAさんとを見比べる事で、比較する。事ができる。
(2)写真のそれを見る事ができるが、自分自身の顔を見る事はない。
見比べる事が、知る事の前提なら、(2)は、鏡だけを見る事でしかないのに、それが
自分の顔の像であると判断されるのです。

−−−だがここには、ちっとおかしな事が示されているのだ。それは何かと言えば、前
者の、私が他者たるAさんを視る場合には、確かにこの眼で<写真の像>と<A本人の
顔>の両方を見る事が出来て、写真を視たら、次に視線を動かしてAの方を見ているの
に、被写体である私自身の方は見る事が出来ないのです。つまり、鏡のそこに写ってい
るものを、見る事はできても、鏡の前に立っている自分を直接見る事は出来ない。
例えば、石川啄木のように、自分の手をジッと見て、次にその手を鏡に写しながら、そ
こに写っている手を、ジッと見る事は出来ても、自分の顔なら、鏡に写っている所しか
見る事ができないのです。
−−−とすると、私が他者と鏡の像を見比べた上で、鏡のそれは、他者たるAの顔の写
っている所だと結論するとしても、その<二つのものを見比べる>と言う考え方を、そ
のまま自己の場合に当てはめて考える訳には行かないのだということになります。
−−−私達は、皆鏡に写っている所しか、自分の眼で見た事がなく、決して鏡のこちら
側にいる自分の顔を見ていないのです。私は鏡に写っているものではなく、こちら側の
顔を見なければ成らないと言う思い込みに陥るだろうか。これはありうると言う事だけ
を記しておこう。鏡の像に対して、こちら側の顔の関係を捕らえると、そこにはじめて
<本当の顔がみたい!>という思いがでて来るのです。
−−−ただ、この見比べると言う考え方には、見落とされてはならない点が有ることは
当然なのです。それは何かと言えば、鏡のそれをa鏡の前にいるものをAとすると、A
が鏡にaとして写っているのなら、aを鏡への像、Aをその像の原物と言う事なのだと
<見比べる>と言う事を、自己の場合にあてはめた時、それはどうも自己の場合には成
り立たぬと思われたなら、それをそのまま切り捨てて仕舞うのではなく、<像と原物>
という関係論、つまり本質論を把握することで、(1)とはちがった(2)による、像
の把握が、成立する事を納得するのでしよう。
−−−私は自分の眼の前にある鏡をみている。鏡は洗面台の上方の壁に括り付けられて
いた。ヒゲ剃りや、洗面した時とかに、鏡を見ると言う事は、論理として<原物−−像
>と言う関係を実践しているのだと言う事なのでしよう。つまり、私は鏡を見るたびに
像をこの眼で知覚しながら、同時にその像の原物にかかわりつづけているのだと。
−−−いま私は、単に眼の前に有る色々なものを見ており、その色々の中で見ているも
のが鏡だ言う事は、見えているものを<原物−−像>と言う関係で捕らえている事なの
です。つまり、ガラスの物質で出来ている鏡なるものと同時に、その鏡の表面に見えて
いる<それ>を、この眼で見る時、現に見えている<それ>を像だと考え、原物と判断
することなのです。ただ<像だと考える>と記したからと言って、あれこれ考えると言
った恣意的なものではなくて、現に<それ>がこの眼に見えている事を前提にしている
のである事を考えなければならぬのだけれども。
−−−今の私にとって、そのものは、鏡なのだから、どうしたって単なる物ではないが
しかしこれも、それを像として見て、原物を判断していると言う事を考えに入れなけれ
ば、けっして鏡であると結論しえないものなのです。