2002.01.29

開眼者(生まれてから、四、五歳に成るもでに、白内障や角膜の障害に)

開眼者(生まれてから、四、五歳に成るもでに、白内障や角膜の障害に
   為にほとんど失明してしまった人)が、ごく稀にだが、数年あるいは十
   数年、場合に依っては、何十年もしてから手術(注1)を受け、開眼す
   ることがある。
   しかし、この開眼は、チャップリンの「街の灯」に登場する盲目の少女
   の様に、一気に、健常者と同じ様に見えるのではないが、彼等が経験す
   る事の言明は、普段私達が思ってもみなかった、「見る」と言う世界へ
   の扉を開いてくれるのである。
   開眼者「本当に<見える>と言う事がどう言う事にのか、まだ良く解ら
   ないのです。自分が思っている<見える>と言うのと健常者が言う<見
   える>というのと、どう言う違いがあるのかなと」

健常者にとっての<見え>は、<見る>事の中で、思いが成立するが、開眼者の場合、思いが成立している中で、ある日開眼するのであり、言葉として得ていた見る事についての知識−−現に見る事が成立していないのであるから、あくまでも言葉としてと、音とか触覚とか味覚等から得たイメージとしての<見る>という言葉になっているのでしょう。−−に、今の見えていることを、繋げようとして、知識で得ているものを<本当の>と考える様な思考に成るのでしょう。

開眼者の中には、物の影が歩く時の邪魔になる人もいる。夜歩いた時には溝の多い道で歩きにくく困ったの に、昼間通って見ると溝など何処にも無い道になっていた。おかしいなと思って歩き直してみると、電柱の影を溝と見間違えてて、いちいち跨ぎながら歩いていた事がわかったと言う事である。

光の少ない夜には、電柱の影は、独立したものとして、溝として判断されたのであり、だからこそ、歩くと言う活動の時、その溝に落ちない様に跨いだと言う事に成る。

 遠くにあるものは小さく見える。立体は見る角度によって形を変える。このふたつは、開眼者にほぼ共通する「発見」なのだそうである。開眼者の視覚は、おおむね次の様なプロセスで獲得されていく。明暗から色へ、色から形へ、同じ形でも二次元のもの(平面)から三次元(立体)網膜に写った像を、脳の中の視覚領域でコントロールすると漠然と考えているが脳研究が進むにつれて、色に反応する所、形に反応する所、動きに反応する所と言う様に開眼者(生まれてから、 四、五歳に成るもでに、白内障や角膜の障害に、反応する所が脳の中でも別々の場所にあることがわかって来た。
 脳には網膜の映像が直接送られるのではなく、網膜の光の刺激から電気の刺激にかえられて、脳の各部位で、これは色、これは形、これは動きと言う具合に仕分けされ、それぞれの経路を辿って波の様に伝わっていき、色や形や動きを知覚するのです。
光が、プリズムにより七色に分けられる事で、透明な光(単一と規定する)とは、無数の色の統一であり、 だから、光が網膜に到達する事は、プリズムのように分光されて、脳の所定の位置で感知される事で色ほ認識するということに成るのでしょう。

(注1)白内障なら、水晶体を摘出し、角膜の障害なら角膜移植をすること。