2002.01.29

「道に飛び出した動物を見た時」

「道に飛び出した動物を見た時、私は<兎>を見た。私の見た<兎>は、厳密に世界にたった一つの個別としての動物なのだろうか。<兎>と言う観念の型に鋳込まれた動物であり、感覚と悟性(知性)の合体したものとしての<兎と言うつか見方>が、私の<兎>と叫んだ時の経験の内容なのである。」
 私のみている<それ>に対して、<兎>と言う観念に鋳込まれたものとして把握することで、<それ>は兎であると判断するのです。

さてこの考え方に対して、「<それ>を知覚する以前に、私達の頭の中に<観念>としての兎が成立している。」と言う考え方は、<それ>とそれが鋳込まれる<観念>との関係を、形成の視点でみていることである。ただ、この観念の前生成は−−<それ>以前に<観念>が形成されていると言うのは−−一匹一匹の<それ>を経験する事の中から生まれてくるのではなくて、私達が生まれた同時に頭の中にある事になっていて、その<まずありき>のものに対して、経験するものが、そのたび毎に、鋳込まれるのである。つまり、一匹一匹は、経験なのだが、<観念>は生成では無くて持つて生まれたものであると言う事になってしまうのである。とすると、<観念>の生成を考えるとしたら、経験たる一匹一匹に対してそこから鋳込まれる観念が生まれてくると考えると、鋳込まれる観念と、その中にはいる個別とは、どんな構造をなしているのだろうか。

<日々経験するもの>と<観念>とは、生成の関係ではなく、論理関係であり、論理としての構造を
考える事になるのでしょう。