マスメディア論その1


みなさんが日々ほぼ必ず目にするものがあります。
テレビ、ラジオ、新聞、インターネットなどの「マスコミ」
これらいわゆる「マスメディア」に関して、シリーズものとして語って行きたいと思います。


まず、みなさんは一週間で何日、「テレビ新聞ラジオの情報を一切目にも耳にもしない日」がありますか?
ほとんどの人はせいぜい1、2日程度、大体は「そんな日は無い」でしょう。

では、メディアの情報を手にする場合に、何か考えていますか?
メディアの情報を鵜呑みにしていませんか?


最初に言っておきたいのは、「マスコミの報道には、必ず何らかの意図があるもの」なのです。

それは、テレビ局・新聞社・記者などの個体差がありますが、
マスコミの発信する情報は、全て疑ってかかるべきなのです。


「なぜ、そこまで考える必要があるか?」って思う方もいるでしょう。

では逆に、「なぜその情報が正しいのか?」「その情報の明確な根拠は?」と聞きたいです。



一番典型的な例が、「事件の容疑者」の名前をさっさと晒す事です。


例えば、ある事件が起こったとします、
その事件の容疑者の「A」が捕まったとします。
すると、各社挙って、容疑者Aのフルネーム・職業・職場・人間関係・実家・家族構成・住所等など調べる。
そして、テレビなどでは専門家と称する人間やコメンテイターなどを連れてきて、意見を聞き、
「彼らの中で、己の意見のみを主張して、話を完結させて終わる」。
「A」が本当に犯人か否かに関しては二の次です。

みなさん、ここでふと疑問になりませんか?

『「A」が本当にやったかどうかはまだ確定していない』ということに

そもそも、容疑者及び被疑者というものは、疑わしいと「警察が判断したもの」で、
その判断の事実関係を明らかにするのは、
その後の警察の捜査及び、裁判所の判決なのです


そうです、この「A」が万が一冤罪だった場合、
大々的に報道された結果の、不利益や不名誉はどうなりますか?

それらの情報を発信した「マスコミ」本人は一切謝罪も保障もしません。

これはいわゆる「マスコミの暴力」です。



『マスコミ』は、「正しく平等な報道を行い、国民によりよい情報を提供する」といいますが、
それは全くの建前であって、

本音は、「視聴率・聴衆率・購買数さえ増えればよい」と、どこも考えています。
NHKですらそうです。


今まで、何も考えずにメディアと接していた方にとっては、
少し『マスコミの実態』が垣間見えたのではないですか?


次回には、もう少しつっこんだ話をしたいと思います。


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