2009年7月31日(金) |
蔵の街喜多方・上杉神社・蔵王お釜・鬼首温泉 |
一度は訪ねたいと思っていた信仰の山月山と、出羽富士と呼ばれる鳥海山の山嶺を旅した。一日目は、郡山からバスで猪苗代湖、蔵の街喜多方、米沢城址を経て一路蔵王に向かった。
喜多方は蔵の街、ラーメンの街、漆の街として有名で、蔵は蔵座敷、厠蔵、質蔵、商品貯蔵蔵、穀蔵等個性豊かなものが見られる。喜多方では40歳までに蔵を建てられないようでは駄目だと言われ、喜多方人の気概、意気地となっていた。ラーメンは蔵を見に来る人によって広められた。
NHK天・地・人で観光客があふれている米沢城は1238年長井時広の築城と言われ、以降伊達、蒲生、上杉と城主は変わったものの明治2年の版籍奉還まで約650年に亘りこの地方の政治の要であった。
直江兼続は、上杉景勝が城主となるまでの約3年間城主を努めた。また、第9代藩主上杉鷹山はアメリカの大統領ジョン・F・ケネディやビル・クリントンから、日本人の政治家のなかで一番尊敬している人物として挙げられている。 先月は、視界1mほどだった蔵王お釜はエメラルドグリーンの湖面を見せてくれた。荒々しい火口壁と対比して神秘的な雰囲気を漂わせている。また、湖面は太陽光線の当たり方によって様々に色を変えるので五色沼とも呼ばれる。
蔵王をあとにし、東北自動車道路古川IC、鳴子温泉経由で1日目の宿鬼首温泉に向かった。
鬼首温泉:ナトリューム塩化物泉、20分間隔に10mほど吹き上げる間欠泉でも有名
蔵王お釜 ホテルオニコウベ 鬼首温泉から荒尾岳
|
|
蔵の街喜多方
|
|
上杉記念館
|
|
|
2009年8月1日(土) |
栗駒須川温泉・鳥海山 |
2日目は、栗駒山の山嶺・標高1100mにある秘湯・須川温泉で朝風呂に入り、今回の旅のメイン鳥海山獅子ヶ鼻湿原に向かった。
鬼首温泉から山形湯沢経由で断崖の裂け目から轟音と共に湯煙が上がる大噴湯・新緑紅葉で有名な小安峡を見ながら、須川温泉に到着。須川温泉の露天風呂からは栗駒の大自然が一望に見渡すことが出来る。また、正面中央には遠く鳥海山の雄大な姿を見る事が出来、泉質といいこれまでに入った温泉の中では一番心に残る温泉だった。ここで1泊して、昼は栗駒湿原での高山植物の撮影、夜は満点から瀧のように降り注ぐ星空を眺めながらの入浴はいかばかりか。想像しただけで楽しくなる。
須川温泉を後に稲庭うどんで有名な湯沢を経由、秋田ふるさと村で切り落としうどんを購入(今回は喜多方うどんと合わせお土産が重くなった)し、本日のメイン獅子ヶ鼻湿原に向かった。
獅子ヶ鼻湿原は鳥海山の山麓海抜550mの位置にあり、面積26hを誇る。獅子ヶ鼻湿原では、「あがりこ」と呼ばれる一風変わった奇形のブナが多く見られる。「あがりこ」は、この辺りの方言で“芽が上がる”ことに由来するそうで奇形については炭焼き説がある。また湿原では別名熊の水飲み場とよばれる鳥海山からの伏流水がわき出る場所があり、ここからは「こんこん」と渦を巻いて湧き続けている。水温は年間を通じて7°Cで10秒以上腕を付けておくことは出来ない。こうした水環境の下でブナノ原生林をはじめ160種以上の希少な苔を育んでいる。密生した苔を球状に絡めて「鳥海マリモ」を形成している。
鳥海山は、日本海に裾野を浸した秀麗な山容を持つため古くから山岳信仰の対象になっている。また、東北地方では燧ヶ岳についで標高2位の山で独立峰であることから出羽富士とも呼ばれている。
鳥海山麓には、雪解け水が長い年月を経て膨大な伏流水となり、山を中心に放射状に川をつくって、さまざまな恩恵を地域にもたらしている。元滝伏流水はしみこんだ水分が80年の歳月を懸けて、幅約30mの苔むした岩肌から束となって滝のように流れ落ち、あたりを幽玄の世界へと誘っている。
また、鳥海山からの冷たい水によって育てられた岩がきは今が旬で、少し小振りではあったが最高に美味しかった。ペットボトルで持ち帰った元滝伏流水でいれたコーヒーは大変まろやかになり美味しく飲めた。
陸の松島:1804年の大地震によって海底が2.4m隆起し、これまで海に浮かぶ入り江だった島々が、田園の中に松を冠して浮かぶ珍しい景観に変わった。
象潟から日本海に沈む夕陽の美しさは太平洋側に住む私にとっては見ることの出来ない情景である。
須川温泉:強酸性のみょうばん緑ばん泉で噴出量は国内第2位
象潟温泉:ナトリューム塩化物強温泉
写真:栗駒山荘・にかほ市観光協会(壁紙)ホームページより引用
左奥:栗駒山 栗駒山荘から鳥海山 象潟の夕陽
|
|
栗駒山嶺須川温泉(露天風呂)
|
|
鳥海山
|
|
象潟・陸の松島
|
|
|
2009年8月2日(日)
|
月山・弥陀ヶ原湿原 |
旅の3日目は最後の目的地月山・弥陀ヶ原湿原(標高1500m)の散策である。
山形県を南北に貫き、日本有数の急流として知られる最上川を渡り出羽三山の一つ羽黒山を経由して天空の花の楽園出羽三山の主峰月山8合目・弥陀ヶ原湿原に向かう。
出羽三山は、1984mの月山を主峰として1504mの湯殿山、414mの羽黒山の連なった山塊の総称で、悠々しくかつ雄大にどっしりと佇んでいる。また、古くから山岳修験の山として知られている。開山は約1400年前、第32代崇竣天皇の皇子であるといわれている。今でも、全国の人に崇められ白衣を身にまとった信者、行者が参拝に訪れている。
弥陀ヶ原湿原は、高冷地のため枯れ草が腐ることなく何万年となく積み重なり出来た泥炭荘の湿原で、この時期は一面のお花畑になる。湿原には幾つもの池塘が点在しオゼコウホネなどの貴重な高山植物が咲き誇っている。
また、晴れていれば遠く鳥海山や朝日連邦の山々が雲海に浮かぶ。
帰途、山寺が一望できる山形市内の風雅の国に立ち寄る。今回は長引いている梅雨の影響を心配したが雨に降られることなく、これまでより印象に残る大変いい旅となった。ただ、日本海側からの鳥海山や月山の全貌が見れなかったのが残念ではあった。
右上写真:月山朝日観光協会ホームページより引用
羽黒山黄金堂 三山宮・宮田坊 風雅の国から山寺を望む
|
|
月山
|
|
弥陀ヶ原湿原
|
|
|
山寺・米沢城址
2009年6月11日(木)
|
蔵王(滝見台・駒草平・お釜・鴫の谷地沼) |
兼ねて一度は訪れたいと思っていた山形立石寺(山寺)へ参拝することとなった。
東北新幹線郡山駅からバスでこけしで有名な遠刈田温泉、日本百名瀑の一つ三階・不動のが見える滝見台を経由して、一日目の目的地駒草平に着く。溶岩礫の荒れ地のところどころに「高山植物の女王」コマクサがピンク色の小さく可憐な花を咲かせていた。また展望台からはお釜から流れ出る酸性の水が溶岩台地の上を流れ不気味な岩肌を噛みながら一気に流れ落ちる不帰(かえらず)の滝(山に登った人は一人も帰ってこないと言う伝説)を眺めることが出来る。
見物のもう一つの目玉「お釜」は視界1mでその姿さえ見ることは出来なかった。
宿に着いてから、近くの周囲1.2kmの鴫の谷地沼を散策した。静かな沼で水芭蕉の群生地としても知られている。
翌朝ホテルから雪を抱いた朝日連峰の山並みが朝日に輝いていた。
ホテルから朝日連邦を望む 鴫の谷地沼から地蔵岳 横倉瀧 不帰の滝 三階の滝
|
|
不動の滝(滝見台)
|
|
駒草平のコマクサの群生
|
|
|
2009年6月12日(金) |
山寺・米沢城址・大内宿 |
いよいよ今回の旅の目的地山寺の参拝である。決められた時間で1015段の石段を往復できるか気持ちが入る。
山寺(宝珠山・立石寺)は、平安時代の初期(860年)に慈覚大師が清和天皇の勅命を受けて建立したもので、東北地方の宗派を越えた信仰を集めている。奇岩怪石(凝灰岩)の麗窟として知られており、修行僧たちはこの岩山を駆けめぐり座禅を組みながら心身を鍛えたという。また登山道の入り口には薬師如来などの像が納められている根本中堂があり、「不滅の法燈」は1000年以上にもわたって火を燃やし続けている。
芭蕉が「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」と読んだ場所が石段の途中にありせみ塚が建てられている。また、崖淵に立つ舞台作りの五大堂からの山寺地区が一望できる。山寺は多くの寺院が建ち並びどの建物でお祈りしたのか忘れてしまったが、私には打ってつけのボケ防止のお祈りをする場所があったのでお賽銭をはずんでしっかりとお願いしておいた。
立石寺を後にして、山形サクランボで有名な寒河江の農園で佐賀錦のサクランボ狩りをした。流石本場の味で家族のお土産に宅急便で送ることにし、帰途に着いた。
帰路、伊達政宗時代に開削されたという米沢市と喜多方市の境にある標高1210mの大峠を経、道の駅「喜多方」で喜多方ラーメンを手にし、さらに会津藩が参勤交代の幹線道路として整備した大内宿コブシラインを経て宿場町大内宿に向かう。この道路は、雑木の種類からみて秋の紅葉の時期に一度走ってみたい。
大内宿は会津西街道の宿場町で現在も古い街並みを残している。新白河への道中、阿賀川の流れ、塔のへつり、雪割峡など見所が多くドライブで再度訪問したい。
最後に新白河駅前で食べた1個50円のおにぎりを美味しさを今でも忘れられない。
上杉神社 大内宿 山寺根本中堂
|
|
山寺・山門
|
|
山寺・奥の院
|
|
|
|