「さくら」にはちと早けれど・・・
大山雅由
「すべて春は花ゆへ心のうかるゝよしをいひ、あるひはしらぬ山路を分けて花をたづね、白雲かかる高根をみては花かとたどり、そことなく匂ひくる風に心をうかれ・・・」とは芭蕉と同時代の歌人の有賀長伯(『初学和歌式』)の説く「桜」の本意です。古来多くの歌人俳人に詠まれてきた季題ですが、桜と聞けばいっそう心の浮き立つのを押さえるのは日本人にはむずかしいようです。ついつい花を追って出掛けることも多くなります。
「名物裂」の展示という仕事で、西から東へと旅に日を送ることもしばしばですが、三月のはじめから見はじめ、五月の連休過ぎまで、移動の途中には、実にさまざまな「花」を見ます。国境の峠をめざしては満開の桜から八分咲き・五分咲き・三分咲きへと季節を遡り、峠を過ぎればまた季節を追って花はにぎやかになっていきます。こんな当たり前のことさえも、旅の途次の身にはうれしいものなのです。
なほ遠き花へ目移りしてゐたり 和田久美子
先へ先へと「花追い人」の眼はうつろっていきます。
桜のなかに身を置いていると時の流れさえゆったりと感じられます。
車止めよさくら吹雪を身に浴びむ 金谷陽一
これなどは、平成の句でありながら、どことなく牛車でやってきた貴公子があまりの花の見事さに発した感嘆の一言のようではありませんか。こんな大時代な句さえ詠めてしまう魔力が桜にはあります。
そういえば「桜の木の下には死体がある」と言った詩人もありました。
売り牛の塩舐めてゐる花月夜 きょうたけを
牛小屋の匂いとぼうっと浮かぶ春月がくっきりと見えます。郊外に出かけてこんな景に出会えたら、それはきっと、俳句の神さまのお加護があったものに違いありません。
桜を詠もうとすると次の二つの句が頭を離れなせん。なんとかして、自分の視点で詠もうとするのですが、そう思えば思うほどなおこの句がちらちらするという経験はどなたもお持ちではないでしょうか。「気軽に読み止めていけばいいのだ・・・」とはわかってはいるのですが、どこかに、これらの句を真向かいに置き、適わないまでも詠んでみたいものという大それた思いにかられます。
まさをなる空より枝垂桜かな 富安風生
糸桜ふれたる母の玉子焼き 雅由
風生句の境地にはいかにも遠い俗なものになってしまいましたが、小高い丘の中腹に小学生の数人が筵を敷いて手作りのお弁当を広げていました。
花あれば西行の日と思ふべし 角川源義
「西行の日」は西行の忌日のこと。法師の名高い歌を踏まえています。
願はくは花のもとにて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ 西行
なんとか花と西行を句に詠みたいものと年を送っていましたが、ある日、ふと法師出奔の景が頭をよぎり、さっと口をついて句が出ました。
西行は不実な男花は葉に 雅由
しかし、「花は葉に」とちょっとずらしたところが、正面きってのチャレンジにはなっていないとは思っているのですが。
花の季節はいかにも短いものです。あれほどに群集した老若男女は、あっという間に日常のなかに掻き消えてしまいます。
桜蕊降る界隈ののつぺらぼう 岩本晴子
なんと言い得て妙というべき句ではないでしょうか。日常が「のつぺらぼう」だとするとこの街はどんな街なのでしょう。これも「桜」のマジックのひとつでしょうか。
さくら 30句
花冷えや膝に分厚き参考書 青柳明子
橋脚の深さは知らず花筏 齋藤八重
里人の動くともなき花の昼 矢畑昌子
繊の月桜は翳をあからさま 篠原悠子
落ち合うて御室岡崎花行脚 細見逍子
花の宴齢のこともさりげなく 小山洋子
深呼吸すればふくらむ初桜 飯島千枝子
花便り庭の小鳥の帰るころ 大畠 薫
能管のひびきて桜月夜かな 榎 和歌
さくら咲く校内放送始めかな 長場方子
朽ちし木に花の幻影ありにけり 佐山 勲
初花の一枝に触るる予報官 内山玲子
たちまちに轍消したる落花かな 木村魁苑
行先を捨てて降りたる花の駅 大畠正子
花冷えに臥してこの身の細きかな 田中富子
目覚むれば花の満ちゐし誕生日 森 廣子
烏骨鶏門前に跳ね花明かり 井上 睦
惜しみなく落とす花びら虚子忌かな 大畠正子
花屑をつけてもどりし神馬かな 田中みどり
みちのくの桜に逢ひに来し夜汽車 早川まさ
婚と葬かさね旅立ち花筏 吉田佳世
花吹雪浴びて昂ぶる齢かな 崎啓子
花冷えや朝の光の部屋染めて 丘舜風子
花冷えや吾ひとりなる長廊下 北山百子
花吹雪抱く遺骨の軽すぎて 猪口鈴枝
花三分孔雀競ひて羽根広げ 笠原トヨ
花むしろ妻子と遊び呆けをり 長井 清
朝桜黒帯少年礼深く 荒井和子
山桜仰ぎて人の遠かりき 上田公子
もの言はぬ人と座りて花の下 山本武子
(「花の歳時記」俳句四季より)
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