2009
今月の秀句11,12月

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今月の秀句             大山雅由

      

獺祭忌傷みし辞書を捨てきれず     森井和子

 

 獺祭忌とは正岡子規の忌日で九月十九日です。獺祭(だっさい)書屋主人と号したところからそう呼ばれます。獺(かわうそ)が獲物をあつめて並べるところに由来するそうですが、他には使われることがありませんので、俳句をするようになって直ぐに覚える言葉でしょう。事実、子規の旺盛な知識欲と、性癖ともいうべき収集・分類へのあくなき情熱があったればこそ、わたしたちは子規全集の宇宙を逍遥することができるのですし、あれだけの若さで俳句のみならず短歌の革新運動をも生み出し、ひいては漱石の「猫」「坊ちゃん」を生みだすことによって、言文一致の文章が大きく前進することになったのだと思い至ったら、その影響力というものにあらためて驚かずにはいられないでしょう。

 作者もそうした子規の世界に魅せられているお一人名なのかも知れません。

長年使い込んできた辞書はもう大分いたんできましたが、なかなか手放す気にはなれないのです。そういえば、まわりの人たちは「どの電子辞書がいいかしら・・・」などと話し合っていたようです。

確かにちょっと重い・・・とは思っても、もう少し使いましょうと心に決めているのです。

 

秋澄むや星を入れたる星の枡      関口道子

 

 秋になって夜空が澄みわたってくると、いままでよりも随分と星の数がふえたように感じられます。

 筆者は、この秋、八ケ岳の麓・野辺山で満天の星空を見る機会がありました。あのあたりは天文台があるくらいですから、周囲に灯りがまったくありません。ほんとうの闇夜になってしまうのです。キャベツ畑の真ん中に立って夜空を見上げると、天の川がまさにミルキーウエーというにふさわしく白く流れています。いつもはあの辺りが白鳥座でなどと指でなぞるのですが、あまりに星の数が多くて、家で見るようにははっきりと星座を描くことができませんでした。この次は、星座表を持っていって夜空を見上げてみようと思っています。

 「星を入れたる星の枡」というのも、作者のこれに近い感動が言わしめたのではないでしょうか。作者の驚きが素直に読むものに伝わってくる句になっています。

 

新米を送る仕事の小半日        小川マキ

 

 作者は新潟の方ですから、親戚や近しい人たちに越後の新米を送ることにしているのではないでしょうか。それにしても、送り先が多いとさすがに一仕事でしょうね。

 日本人には「お米」へのこだわりというのは特に強いものがあるようです。何ごとによらず名産・名品と呼ばれるものは郷土愛と結びついて、「この土地のこちらがよりうまい」という話題で盛り上がりますが、「酒」と「お米」には誰もが薀蓄を傾けたくなるものがあるようです。

 この句には、それが一仕事だと言いながらも、「わたしたちも元気でやっていますからね」という作者の余裕が窺われ、ほのぼのとした温かみが伝わってきます。

 

群青の岩絵具溶く渡り鳥        荒井和子

 

西洋の「青」はラピスラズリで日本の「青」は藍銅鉱から採ると聞いたように記憶していますが、作者は指の先に岩絵具を溶きながら群青の空を渡ってくる鳥の群れを思い描いているのです。

広げられた画布を前にして、ふっと鳥の渡り来る風を感じたのでしょうか。それとも鳥の影が過ぎったのでしょうか。

作者の日常と絵と俳句と・・・その世界が渾然となった世界がここにはあります。

 

抜糸すむ富士外輪山の霧も晴れ     山田泰造

 

 この二三ヶ月の作者の句を見て、その健康状態を案じていましたが、ご本人も一時期の状態から抜け出したようです。

 人が生きていくということは、若いうちはともかく、いろいろと体の変調をきたしたり、身近な者との別れなど悲しきことどもが容赦なく襲ってきて、それと向かい合ってなんとか折り合いを付けていくしかないのだと、最近になって、やっと分かりかけてきたような気がします。

 たのしいだけの人生もないだろうし、また、かなしいだけの人生もないのでしょう。そのおおきくゆれる波の上と底にあって、どんな時にも五七五に淡々と詠み止めていく・・・その時々の思いを、生きた証として五七五に言い止めて行ったらそれでいいのではないでしょうか。

  「富士外輪山の霧」も心の「霧も晴れ」、ほっとしたのです。 

 

新走上手に生くる笑顔かな       佐山 勲

 「新走」は新酒のこと。造り酒屋の軒先に、杉玉が下がると新酒の季節がやってくると言われています。

 作者はかつて新潟の建設業界におられたとのことですから、その昔は大いなる左党であったことでしょう。しばらく振りでその頃の方々と一席を共にしたのでしょうか。

みな老いたり・・・とは言え、その後の人生に紆余曲折はあっても、久しぶりに逢ってみればおおいに意気上がって杯を傾けました。「上手に生くる笑顔」にはそんな景が浮かびます。或は、作者は、引き籠りだった若い方々を支援する活動を地道に続けておられますから、かれらを家にお招きしたときの景でしょうか。

俳句は人生肯定の文芸です。うれしい時もかなしい時も五七五・五七五・・・と自分の胸のわだかまりをそっと吐き出して、上手に生きていきたいものです。