2010
今月の秀句2月

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今月の秀句             大山雅由

  

初雪へ太鼓響けり聾学校        宮武佳枝

 

作者に、実際に、どんな体験があったのはどうかはわかりませんが、なんとなく納得させられてしまう句です。子どものころ、盲学校の生徒たちが野球をしているのを見て驚きました。全く目が不自由にもかかわらず打球の音を聞き、守備をし、走るのです。

 聾学校ですから、耳が聞えないなどの聴覚障碍の子どもたちなのでしょう。

空を見上げて初雪をよろこんでいるのです。どんどんと叩く太鼓の振動が子どもたちのよろこびの広がりを伝えていくように感じらせます。

 そう言えば、歌舞伎では降る雪が太鼓によって表現されていました。聞えない耳にも太鼓の波動が感得されていくような気がしてきます。  

 

重きことみな軽く言ふ開戦日      内山直之

 

 十二月八日は太平洋戦争の開戦日です。北や南の国の戦場で、また、沖縄で、多くの無辜の民が命を落としました。たった一枚の赤紙によって引き裂かれた人々の苦しみは筆舌に尽せないものだったでありましょう。亡くなった人々は勿論のこと、捕虜となって悲惨な抑留生活を体験した人、海外からの引き上げの際に九死に一生を得てようやくの思いで母国にたどり着いた人、働き手としての父や兄を失いながらも戦後の荒波を乗り切ってきた人。その心の奥底には言うに言えない思いがあったに違いありません。戦後生まれの筆者の伯父たちも多くが海の藻屑となりましたし、会うことはなかった義父の人生に決定的な影響を与えたあの戦争の開らかれた日・・・その「重きことみな軽く言ふ」と作者は詠むのです。

 作者の生い立ちを承知しませんが、きっと幼いながらに戦争の不条理さを目の当たりにしたのかもしれません。

 その作者には、それでよいのかという思いがふつふつと湧きあがってきて、ついこう言わざるを得なかったのではないでしょうか。

 

波郷忌や川越えてゆく草の絮      関口道子

 

 波郷忌は十一月二十一日。作者は川辺に立ち、今や枯れていこうとする草むらにかがみこみました。するときらりと草の絮が飛び立ったのです。

草の穂の飛びきて熱き顔の前    波郷

草の絮樹頭をよぎるもはや落ちず  波郷

かたまりて露の穂絮やけふ飛ばん  波郷

 一瞬、ついこの前に見た川辺に立つ波郷の姿が脳裏をかすめました。それは、野火止用水の水面をみつめる波郷の写真であったかも知れません。作者は新潟の方ですから、近所の川の辺、あるいは、信濃の川辺だったのでしょうか。

ここで、大事なことは、波郷への深い思いが、一瞬の景に感応し、魂が響き合ったところにこの俳句が生まれたということです。

先人の俳句への思い、常に慕いつつ考究する姿勢、仰ぎ見るこころといったものが、たましいの共振れとなってこの一句を生み出したということになったのでしょう。

 

乾鮭の簾吹抜く風の息         長井 清

 

 「乾鮭」は鮭の「塩引き」のことです。新潟・村上では、三面川で鮭の遡上が始まる頃から、古い町並の軒先にこの乾鮭が吊り下げられ、この光景を見ようと多くの観光客が訪れ、町の風物詩となっています。

 村上藩では、昔から「いぐり漁」という独特の漁法を伝えていて、苦しい藩の財政の中、貧しいくとも優秀な侍の子弟は、この鮭からあがる収入で教育を受ける機会を与えられたために「鮭の子」ということばも残されたと聞きます。城下町であるところから、切腹を連想させぬよう、腹の中ほどを残しておく独特の形となっています。

吹き付ける寒風に晒される初冬から春の淡雪の時期までちらちらと雪の舞い散る鄙びた城下町を歩いていると、ふとタイムスリップしたような不思議な気持ちにさせられ、「簾吹き抜く風の音」がその景をくっきりと見せてくれます。

 

寒雷に眠れぬ夜半は母思ふ       笠原トヨ

 

 旅人として、冬の日本海の風雪と波の吹きすさぶ荒々しさを前にした時、人間の存在なんていかほどちっぽけなものかと思い知らされる気がします。

その自然に慣れ親しんでいる筈の新潟に生まれ育った作者ですが、来し方行末に思いをめぐらせ、寝そびれた夜の「寒雷」には何ともいえない寂寥感にとらわれてしまうのです。

 自分自身でも、こんな弱気になるなんて思わなかったのに・・・これも年のせいかしら・・・それにしても、さまざまな生老病死を見てきたものだ・・・

そんな思いが胸を過ぎります。作者は、そんなとき、ふとあの母のあたたかなぬくみをなつかしく思い出すのです。

「母思ふ」はすこし甘いかもしれません。しかし、こうした感傷も時にはいいでしょう。なんといっても生身の人間なのですから。 

 

雪掻や隣りは北の人らしき       岩本晴子

 

 新潟の人たちから見たら笑われそうですが、東京という街はなんと雪に弱いことでしょうか。一センチほどの積雪予報に、前日から大袈裟な警報騒ぎまで引き起こします。電車は、交通情報は、空港はと、大騒ぎです。でも大抵の場合、次の日の午後には、強い日差しに跡形もなく溶けてしまって、一体あの騒ぎはなんだったのかと、嬉しいような、肩透かしを喰らってがっかりしたような妙な気持ちにさせられます。

 でも、今朝はどうも様子が違っているようです。朝早くから、雪掻きをする音が路地から聞えて来ています。作者はまだ布団の中から抜け出せずにスコップの音を耳にしているのでしょう。あのスコップの使い方はなかなか堂に入ったもの、きっと雪国育ちに違いない・・・と。因みに作者は九州の出身の方。