今月の秀句 大山雅由
陽炎やきつちり結ぶ靴の紐 関口道子
「陽炎 かげろう かげろふ かげろい かぎろひ」といろいろに言えるでしょうが、筆者は「かぎろひ」と詠むようにしています。
春になって、地面から水蒸気が立ち上って物のかげがゆらゆらと揺れて見え、ときには遠くのものが浮遊しているようにすら見えます。
かげろうふの我肩にたつ紙子かな 芭蕉
陽炎の草に移りし夕べかな 臼田亜浪
かげろふと字にかくやうにかげろへる 富安風生
この風生の句について、鷹羽狩行氏は「語感といい、旧仮名使いの味わいといい、いかにも陽炎そのものに徹した秀句である」と言っています。このような味わい方もあることを知っておくべきでしょう。
さて、作者は、「きっちり結ぶ靴の紐」と言っています。春の「かぎろひ」の中に一歩踏み出すのに、何か心にきっと言いきかすことでもあったのでしょうか。春の息吹を感じると同時に、なにか危ういものをもまた感じていたのでしょうか。「陽炎」という茫洋としたものと足元のぎゅっと引きしまった感覚の対比がなかなか面白いと思いました。
よき人と言はれて暮らすふきのたう 長井 清
作者の風貌を思わせてふと微笑まされる句となっています。寡黙なおっとりとしたところの窺えるお人柄ではないかと、いつもお見受けしていますが、一面、若いころには、どうしてどうして一本背筋の通った硬骨漢でもあったのではないかとも推察いたします。で、あればこそ、みずから「よき人と言はれて暮らす」などという言もでてくるのではないでしょうか。
酸いも甘いも噛み分けた経験豊かな・・・今風に言えば、「ちょい悪親父」的な部分も秘めた諧謔精神に富んだ作者の微笑みを感じるような句と言っていいでしょう。息子には手ごわい父親、娘にはこころやさしいお父さんなのでしょう、きっと。「ふきのたう」の季語もよくきいています。
ダンデイな人の影ふむ四月馬鹿 内山玲子
作者は、戦中に青春を送った方です。いつもとてもおだやかな笑みを絶やさない方ですが、この句はちょっとした悪戯ごころに溢れていて、たのしいですね。句会の仲間には、この句に詠まれたようなダンデイな方がおられたかどうか定かではありませんが、それは余計な詮索というもの。
こうしたお茶目な心を失わずにいられればこそ、いつまでも元気に俳句をたのしむことができるのでしょう。もっともっと楽しい句をたくさん見せていただきたいものです。
畑打ちのへつぴり腰のわれらかな 河井良三
作者は、稲門句会の立ち上げからのメンバーのお一人です。清瀬の大学OB会はオペラ鑑賞会・会員による毎月の講演会・俳句の会や自然を守る会への参加など、地域とともにある活動を目指してなかなか活発な活動をしています。休耕地を借り上げての農園も春を迎えてにぎやかになってきました。
しかし、なんといっても俄か農夫はちと心もとないものです。鍬を振ってもみなどことなく「へつぴり腰のわれら」なのです。とは言え、「へぼキュウリ」や「へぼナス」でも、わが手で育て上げたとなれば食べたくなるほどかわいいものなのに違いないのです。
いやいや、「へつぴり腰のわれら」なればなお、楽しさも倍増なのです。まして、その農園の間近にお住まいであれば、句の材料も選りどり見どり、さらにいい句が生まれることを期待して待ちましょう。
薄紙に唇透けて雛納め 荒井和子
雛祭も済み、お顔の埃も払って、一つずつていねいに和紙にくるみ「雛納め」です。このお雛様にも、我が家の歴史が刻まれてきました。幼い子どもの成長の一齣ひと齣が浮かんではかすめていきます。娘は嫁ぎ、女の子を産みました。離れ暮らしているけれど、今度は何時来てくれるだろうか・・・などと思いながら納めようとして、ふと紅い唇が和紙に透けてうつりました。
はっと感じたままを詠み止めたのです。その一瞬が句になるかどうか・・・それを感じ取る心の在り方が、句を産むかどうかの分かれ道になると言ったら言い過ぎでしょうか。
春ショール子のそつ気なさそれもまた 森田京子
春はやってきましたが、まだまだ寒さの戻りはきついのです。とくに、今年は気温の差が大きくて、体調を崩された方も多かったように思います。
作者のところには孫も生まれて、にぎやかになってきました。時には、孫の面倒を見に出かけたり、結構いそがしい思いをすることもあるようです。ほっと一息ついて、「苦労してきた甲斐があったなァ・・・」という思いにふけることもあるでしょう。
若い夫婦には、当然のことながら自分たちの生活があり、時には、母親の存在を軽んじるようなことも出来してくることでしょう。しかし、そんなことは、作者は、意にも介していないのです。
「子のそつ気なさそれもまた」よし、と諾っているのです。そして、ご自身は、さっと「春ショール」を肩にご自身の世界を楽しんでいるのでしょう。
こうした心構えでいられることが、すなわち、人生の達人への第一歩なのではないでしょうか。
花見まで生きると齢八十九 村井幸子
ここにも、また、人生の達人がおられました。
作者と、この「齢八十九」の方との間柄は承知しませんが、なんとめでたい句ではありませんか。こうした方に寄り添って居られることを、作者は、心の底から喜んでおられるに違いありません。作者もまた、こうして「人生の達人」の道を歩んでおられるのです。 |