2010
今月の秀句6月

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今月の秀句             大山雅由

 

 

古希近し聴かせたまへや亀鳴くを     長井 清

 

 作者が「古希」と言われるのに耳を疑ってしまうほどに、作者はいつも若々しくしていらっしゃいます。

 「亀鳴く」はいかにも俳句の季語らしい、物憂い「春」の架空の季語として知られています。十六夜日記の作者阿仏尼の夫である藤原為家の「夫木集」所載の次の歌に因っています。

 

   川越のをちの田中の夕闇に

何ぞと聞くは亀の鳴くなる    為家

 

 「亀鳴く」・・・春の季語でありながらまだ一度も聞いたことがない。齢七十古希も近づいてきたのだから、話の種に、一度でいいからこのわたくしに

聞かせておくれよ・・・といかにも作者らしいものの言い様ではありませんか。思わす微笑まされるような句です。

 

この亀は人がいないと鳴くんだよ     すえこ

 

 そう言えば、河合すえこ氏の作品(『俳句界』四月号付録)にもユーモラスな亀の句がありました。

 

春一番蟇玄関へ歩ましむ         井上 睦

 

 これはまた、堂々たる蟇(ひき)ですね。蟇は本来は夏の季語ですが、ここではちょっと早めの「お出まし」となりました。わが家の蟇はかなり早くから闊歩していますから二重季語はあまり気になりません。いつも二匹ほどがあちらこちらと動き回っています。時には灯篭の際に、ときには玄関まえの竹垣の影にと出没します。

 春一番の吹き荒れた日に、偶々玄関に「お出まし」になられた蟇だったのです。なんともユーモラスに詠んだものでしょう。「春一番」が「歩ましむ」としたところに作者の目の付けどころがあります。技ありの一句でした。

 

春の日や栞はさみし源義の書       山内直之

 

 作者はお姉さまを亡くされたそうですが、その方は多摩地区の「河」の会員だったとのことです。恐らく遺品の整理をなさっておられたのでしょう。

 お手元に大事にされておられた俳書の中に源義師の句集があったのではないでしょうか。

 作者は、お姉さまが俳句をなさっておられたことも、その時までご承知なかったのかも知れません。生存中は、あまり日ごろの生活に関与することもなく過ぎてきたのでしょうか。思いのほかの俳書の数に驚いたばかりでなく、

奇しくも同じ師系に連なっていたということに二重の驚きがあったのでしょう。しかも「隗」五周年でこのところ毎月のように源義師が取り上げられていました。単なる偶然だったのでしょうか・・・お姉さまの面影がなおいっそう作者の中で濃くなってきます。

 「春の日」のなか「源義の書」にはさまれたお姉さまの「栞」が多くのことを作者に語りかけてくるのです。

 

葦焼くや焔の猛る水の上         山本武子

 

 作者は、新潟の隗のみなさんとお揃いで福島潟の「野焼き」を見に出掛けられたようです。筆者も、この福島潟の「野焼き」をかねて見たいと思っていましたが、蘆刈りの組合の都合で実施する日が定まっていないようで、なかなかにタイミングがむずかしく果たせていませんでした。誠にうらやましい限りです。

 「焔の猛る水の上」の表現で、広大な一面の枯蘆に火が放たれた様子が目に浮かびます。猛り狂う焔の上を鳥の飛び立つ影が浮かび上がり、水の上を潜ってにげる小動物の影も右往左往しています。その一切が瞬時にまなうらを過ぎ去ります。一切を省略し一切を描き切る・・・これが俳句という詩形の力です。

 

柿若葉活字大きな書を選ぶ        宮崎晴子

 

 筆者も、最近は、メガネなしにはちょっとした走り書きを読むにもままならないようになってきて、不便をかこっていますが、作者もきっとそんなことがあるのでしょう。

 先ずは、「広辞苑」が読めなくなったのには困りました。座右に置いて何かにつけて確認するのですが、どうにも仕方がなくなって「大判広辞苑」を買いました。当初は、これで何とか凌げるだろうと思ったのはほんの一瞬でした。なんと言っても、これが重いこと!ちょっと動かすだけで大仕事です。そんな時に、タイミングよく「電子辞書」としての「広辞苑」が売り出されることになって、ついに「大判広辞苑」は昼寝用の枕となってしまったのです。義姉の家でも、まったく同様の事態となっていたようで「捨てるには忍びないから持っていってくれ」と言われて、なんと我が家には、この大判が三冊も並ぶことになってしまいました。

 新刊で大きな活字というのはまず見当たりませんから、作者もかつて読んだ本をもう一度読む必要があって購ったのでしょう。

 「柿若葉」の季語が明るくて、作者の読書への旺盛な意欲も好ましく気持ちのいい句となっています。

 それにしても、句会にIPADを持ってこられた方があってちょっと触ってみましたが、なんとも便利なものが出てきたものです。パピルスの発見に匹敵するくらいの革命的なツールに成長していく可能性があります。老眼にも読みやすい文字の大きさが自由自在に操れるのですから、将来の活字文化はどうなっていくのか大いに興味のあるところです。

 

バラの卓顔逆さまに銀の匙        斉藤八重

 

 横浜のバラ吟行の際の句です。例年でしたら満開の時期だった筈なのでしたが、いつにない寒さのために遅れにほとんど蕾も固く、世話人の横浜バラの会の菅澤俊典さんは「満開のときは、こんな状態です」と「バラ図鑑」を手に大汗をかいておられました。

それでも山手十番館での食事会のテーブルには、立派なバラが飾られていましたが、「顔逆さまに銀の匙」と一瞬に詠まれた手練の技が冴えています。明るい初夏のにぎやかな語らいの景が、ちいさな銀のスプーンに映し出されてたのしい句となっています。