2010
今月の秀句7月

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今月の秀句             大山雅由

 

苺つぶす叶はぬ夢の数いくつ       須賀智子

 

初夏の訪れとともに店頭に並ぶ苺は、はっとさせる位のかがやきに溢れています。

作者は、いつもおっとりとされておられ満ち足りた人生をお暮らしのように窺えますが、ふっとこんな感懐を洩らされるのです。

傍から見てどんなに幸せそうに見えようと、人の心の中には「叶わぬ夢」のいくつかが日常の裂け目にふと立ち現われるのでしょうか。

 あの日あの時、この道ではなく、あの道を選んでいたら・・・否否、これでよかったのだ・・・。

 苺はまさにすっぱくも甘いものではあるのです。

 

足裏の覚えてゐたる川渉り        関口道子

 

 五月も半ばを過ぎる頃となると、川の状態が気になって落ち着いていられず、そわそわと魚影を求めて何度川辺に立ったことでしょうか。そのころの川の色と匂いは何とも言いようのない表情があるのです。釣り人にとって川は鮎の匂いがするのです。どんな感じかというと・・・淡いキュウリのようなほのかな匂いです。

 ひとたび川に入ると岩の影や水の泡立ちが川底の様子を教えてくれます。

「足裏の覚えて」いる岩の一つ一つを踏み越え、飛び越えして川を渉っていくのです。

さて、作者はそんな川遊びをよく知って描いていますが、ここで問題が出てきました。筆者も「川渉り」「徒渉り」は夏の季語として、当然あるものと思っていましたが、歳時記には掲載されていませんでした。

そこで、季節感も十分にあるこの語を「水遊び」関連の傍題として認めてもいいのではないかと、ここに提案しておきたいと思います。これに加えて、今後さらに記憶に止められるようなよい句が生まれたら、季語として定着していく可能性があります。

 

教会の歴代通帳黴香る          西原暎子

 

 作者は、熱心に教会の活動をなさっておられ、奉仕活動にも積極的に参加し、ヘブライ語で聖書を読む会のメンバーでもあるとお聞きしました。その教会の裏方的なお仕事もなされているのでしょう。何代にも亘って引き継がれてきた通帳が「黴香る」というのです。

 中世の古い教会の奥深くで、宣教師の手書きのラテン語の書物をみるような場面まで思い起こされます。もう、三十年以上も前になりますが、数百年以前に創建されたスペインの騎士団教会の地下に入れて頂いたときのことを想起しました。

 もちろんここでは、現代の小さな教会の一場面でしょうが、さまざまなことを思い起こさせ、奥の深い句になっています。

 

五月尽角やはらかき鹿のをり       山田泰造

 

 作者は静岡の清水町にお住いですから、この鹿は三嶋大社の神鹿苑での景でしょうか。

 鹿は春の発情期を経て五六月に出産をしますし、鹿の角が落ちて伸びてくるのも丁度この頃なのでしょうか。

 「五月尽」と「角やはらかき鹿」とは二句一章の句としていい取り合わせになっています。

 そういえば三年ほど前に「新之助」やら「錦之助」やら言った「いい男?」の鹿がいたのですが、翌年行ったときには、外のオス鹿どもの総攻撃にあって命を落としてしまったと聞きました。どんなことがあったのやら、鹿の世界もなかなかに世智辛い世の中なのでしょうか。

 

ふるさとの繭煮る匂ひ鼻先に       山本力也

 作者のふるさとは新潟市の近郊。かつては漁港として栄えた内野の近くで、作り酒屋が三軒もあったほどでしたが、漁業の衰退とともに新潟市のベッドタウンとなってしまっているようです。

 さて、昔は、といってもそう遠くない昔なのですが、(そうはいっても筆者が育った幼い頃の昭和の三十年代以前とは全く時代の様相がちがってしまって、農耕の文化が消えようとする今日では、此処を押えておかないと俳句が成り立たないということにもなりかねない)、多くの農家では自分たちで育てた繭を庭先の大釜で煮て糸を取ったのです。

 この季節の庭先には、なんとも形容のし難い匂いが満ち溢れていたのです。それが、時として、ふっと「鼻先に」感じる一瞬があるというのです。

 人間の嗅覚は、遠い時の流れを一時に引き戻す働きがあるそうですが、作者も、そのふるさとの庭先の光景をなつかしく思い起こしているのでしょう。

 

フラスコの蒸気上げたる花の冷      玉井信子

 

 作者にはこのところ進境著しいものがあります。好感がもてるのは、奇をてらったりせずに、自分の身の丈にあった言葉で身に沿った生活をしっかりと詠み止めているというところです。

 まだ初歩から二年くらいのところですから、舌足らずな表現をしがちなところもありますが、この態度を大事にして対象をじっくりと詠んでいってほしいものです。

 いかにも理科の教室らしい「フラスコの蒸気上げたる」という措辞が、この句のポイントとなっているのです。

 

もうひと芽あとひと芽とて新茶摘む    木林万里

 

 作者は入間茶の産地に近い西武沿線にお住いです。知り合いのお茶農家で「茶摘み」の体験をなさったようです。その体験がよくいきた句になっています。

 「もうひと芽あとひと芽」と一本一本の若木をみながら爪の先を真っ赤にしながらひと芽ひと芽摘んでいくその手の先が目に浮かびます。

 筆者の知り合いのお茶農園も、三年ほど前に茶の製造を止めてしまいました。こうした体験を少しでも記憶にとどめ、句にするようによって、農耕文化を次代に伝えていくのも俳句の大事な要素になってきているのかも知れません。