2010
今月の秀句8月

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今月の秀句             大山雅由

 

湖東より天下遠望して涼し        篠原悠子

 

近江の海といわれる琵琶湖、その湖東には湖東三山といわれる百済寺・金剛輪寺・西明寺があり、いずれも紅葉の名所として知られています。

琵琶湖のどの地域もが、歴史の舞台となった場所ですが、ことに湖南から湖東にかけては、織田信長によるはげしい焼討ちにあったところで、貴重な仏像を守る為に、村人は「信長の焼討ちの際には、これらを地中に埋めて守った」という伝承も存在するところです。

対岸の比良・比叡の山並を望み、堅田の浮御堂を思い、坂本の明智の城を幻視するとき作者のまなうらにはどんな像が結ばれていたのかと想像されるような句ではありませんか。

しかも、作者は、それを「遠望して涼し」と言っているのです。読む人にさまざまなことを思わせて奥の深い句となっています。

 

一徹の老ゆることなし青田風       上田公子

 

 関東平野というのはほんとうにまっ平らなのです。北海道は別として、台風一過の時になど、ちょっと高いところに登ってみたりすると、その広さにはあらためて驚かされます。その関東の青田風にふかれていると、作者は、ふるさとの、老いてなお一徹な父の姿に思いを寄せているのです。句稿には次のようなものもあります。

  帰省子に変わらぬ父の書斎椅子

蔵町の軒低くして夏つばめ

 筆者も小学校の一時期と高校生活をスタートさせた栃木の町です。最近は蔵の町としても注目されてきていますが、川越のような城下町ではなかったので、規模では及ばないのですが、それが却ってこじんまりとして好ましいという人もいるようです。かつて江戸までの水運を担っていた町中をながれる川の風情もなかなか趣の深いものがあります。人はある年齢になってくるとやはりルーツのようなものを無意識に遡っていくものなのでしょうか。ひさしぶりにこどもの頃に頬を撫でた風が感じられました。

 

鱧食うて疫病神に見放さる        きょうたけを

 

 夏の土用の定番と言えば、「うなぎ」と一口にいいますが、いや、「ぜったいに鱧を食わないことには・・・」と言う人もおられるようです。勿論、京都へいったら、これはもう鱧でなくてはならないのですが・・・作者は安房の人だから・・・そうか、これは京都で詠んだのか。

 祗園祭は「鱧祭」という言い方もされますが、この頃の京都の夏の暑さたるや、実際に身体で感じたことがないとわかってもらえないと思います。盆地のために、日中に熱せられた空気はどこにも逃げ場がありませんから、むわァーと京の町を覆いつくします。

 で、あればこそ、医術も未発達で疫病の蔓延を恐れた町の人々が、御霊信仰によって救われたいと、暑い最中の祗園さんに疫病退散と日々の安穏を祈ったのも頷けようというものです。

「疫病神に見放され」には、そこはかとないおかしみと、誰しもの願いが率直に詠みこまれていてなまなかな技ではないと感じ入りました。

 

古時計磨き昭和の夏語る         猪口鈴枝

 

 最近、「昭和」がブームになっていると聞きます。単なるノスタルジーだけではなく、若い人々の関心が「古きよき時代」へと向かっているようです。

夢が持ちにくい時代だからこそ、かつて多くの人々が貧乏ではあったけれど、心に夢だけは一杯につめこんで歯をくいしばって生きてきた時代を、かえって新鮮に感じているのでしょうか。

 作者は、この古時計を磨きながら、若き人々に「昭和の夏」を語り継いでいるというのですから、あの夏の事を語っているのでしょう。

 もし、新潟の空が晴れ渡っていたら原爆は新潟の空で炸裂していたというお話を聞きました。そんなことを幼い子らに語っておられるのかも知れません。あの苦しい時代をともに生き抜いてきた古時計を抱きしめるように大事に磨きこんでいる姿が浮かんでくるではありませんか。

 

白桃や指の先より老いはじむ       宮崎晴子

 

 この句、一読して「ふむ、たしかになァ・・・」と納得させられてしまいます。筆者も若い若いと言われているうちに、振り返ってみれば六十三歳。

「老い」を意識する場面はさまざまありますが、目を細めたり、髪にふと手がいったりなどは、「もう仕方がないか・・・」と徐々に観念していくのですが、あるとき、ちょっとしたことにつまづくというか、いままでなんとも思わずにできていた些細なことがままらなないと気づいたときの気持ちは何ともいいようがありません。

たしかに指先からだよなァ・・・最近、缶詰の蓋を開けるのに苦労することがあります。フルトップ・・・と言うのでしょうか、ピッタリとくっ付いているのを起すのが苦労になってきています。深爪をすることが多いのでそれも影響しているかとは思うのですが、この作者の感覚には納得します。

また、「白桃や」と持ってきたところが上手いですね。あの柔らかな白桃の薄皮を剥く触感がじつにいいぴったりと嵌りました。

 

来し方も病歴も似て蛍の夜        吉澤銚子

 

 清瀬という街は、かつて「結核療養所の街」でした。その縁で清瀬に住み、西武沿線に居を構えたという方々はたくさんおられます。

 お互いに俳句をはじめてからのお付き合いで螢の吟行に出かけて、話が昔のことに及んだら、同じような過去同じような病歴の二人と分かり顔を見合わせてしまったということなのでしょう。戦中戦後の苦しい時代を乗り越えてきた自負もあり、これからだって元気にやっていくぞとお互いを励ましあって俳句にも精進していこうと誓い合ったことでしょう。まだまだ長いこの先を俳句でたのしんでいきましょう。