今月の秀句 大山雅由
帆は風をはらみてすでに雲は夏 森田京子
油壺からヨットで相模湾に乗り出したのは梅雨の晴れ間でした。空模様が心配ではありましたが、大丈夫、こんなときにこそ、心強い晴れ男がついているのです。
日はカンカンに照ってはいませんでしたが、某女は、おおきな帽子にサングラス、おまけに特大のマスクまでして紫外線対策は万全です。
「この雲の先に、いつもは富士山がくっきり見えるのですがねェ・・・」と残念そうに言うのは舵をにぎる堀内知行氏。すれ違うヨットに手を振り、湾内をしばらく快走する。やがて空の青さはぐんぐん広がってゆきます。目を細めて見やると半島の上には雲の峰がもくもくと盛りあがってゆきます。
「帆は風をはらみ」、その先には雲の峰。景をさっと切り取ってきただけのようですが、その巧みのない素直な表出がいっそ気持ちよいではありませんか。
夜濯ぎの音しんかんと山の宿 細見逍子
作者は、夏の暑さを避けて山の家で過ごされたのでしょう。山の宿で「夜濯ぎ」、つまり洗濯をしているのですから、一日や二日といった短期間ではないのでしょう。筆者も、相変わらず冷房なしで過ごしましたが、この夏の暑さの盛りにはさすがに東京を逃げ出し何日かを軽井沢や八ヶ岳に過ごしました。
夜の森や山は昼の間とはまったく違った世界を見せてくれます。時には、ヤマネ(ちいさなネズミ)や野うさぎが小さな明りの中に浮かびあがったりします。都会では味わうことのない真の闇が、そこにはあり、満天の星がかがやいています。
その山の息吹きを感じながら、作者は「夜濯ぎ」をしています。家にいれば全自動洗濯機にまかせておくのですが、山の生活では、手で洗濯をしているのです。わざわざ夜に洗濯をしているということは、仕事で山に出かけていて昼間は洗濯の時間さえもなかったのかもしれません。現在の都会生活では死語となってしまっている「夜濯ぎ」という季語もここでは新鮮に感じられます。
波郷伝開きしままの昼寝かな 河井良三
ほんとうに暑い夏でしたが、作者は、清瀬の小中学校への出前授業にご参加くださり、また、放課後の「まなべー」にも出向いて学童たちへの俳句指導してくださいました。石田波郷俳句大会には、街の多くのたちがさまざまな形で協力してくださっておられます。
投句をするにしても、波郷のありし日の姿に思いを馳せて・・・とありますから伝記を開いていたのですが、やはり暑さには勝てなかったようです。ほほ笑ましいひとコマです。
ここで石田波郷のことを知るのによい本を挙げておきましょう。入手し易いのはご子息石田修大氏の二冊でしょう。
『わが父波郷』『波郷の肖像』 二冊とも白水社刊
古本では。
『石田波郷伝』 村山古郷著 角川書店
胸元に萩の風くる照子の忌 河合すえこ
「照子の忌」とは角川照子の亡くなった日。照子師は、国文学者で角川書店の創業者であり、俳誌「河」の主宰者であった源義師の夫人で後に「河」の主宰でした。亡くなったのは平成十六年八月九日でした。筆者は、この日新潟句会の翌日で、会員の佐藤氏の村上にある海の家に滞在していましたが、深夜に友人の小島健氏の電話で急逝を知り、急ぎ荻窪の通夜に駆けつけました。
筆者は、故井桁白陶師を俳句の父と、照子師を俳句の母とも思いそのご恩を深く胸に刻み込んでいます。照子師そして白陶師ご夫妻とご一緒にあちこちと走り回った十年間がなかったら、今のわたくしはないと考えております。
帰京にはやる車窓には、その日、新潟一円を襲った集中豪雨に萩の花がはげしく揺れていました。
作者のすえこ氏もかつて照子師と句座をともにされた方、やはりその忌日には、照子師の人なつこげな笑顔を思い起こされておられるのでしょう。
かの世より風鈴鳴らす風ならむ 丘 舜風子
作者は逆縁の悲しみを経ておられます。病院の勤務医であったご子息は激務からの過労により急死なさったとお聞きしています。その悲しみは尽きることなく、時として俳句に顔を覗かせます。言って詮無いことと思いながらも、母親の情としてはいたしかたありません。今しばらくは、その心のあるがままを詠まざるを得ないのでしょう。
ふとすぎゆく風に、母の心はつい乱されてしまうのです。
向日葵や素顔で磨く鍋やかん 宮崎晴子
ここには肝っ玉かあさんがでんと控えています。元気いっぱいに回りを明るくし、ちょっとやそっとのことじゃ挫けません。
「向日葵」のかがやく日差しのもとで、化粧っ気もなく、腕をまくりあげて鍋や薬缶を磨いています。何ごとにも前向きに精一杯生きていくたくましいお母さんの姿が気持ちよく詠まれていて好感の持てる句です。
ゆふがほや風の音聴く砂の紋 須賀智子
この「ゆふがほ」は海辺のもののようです。新潟の海寄りは、スイカの一大産地として知られていますが、その中に夕顔もあったようです。ただしこれは「夕顔の花」で実ではありません。『源氏物語』の「夕顔」ははかなくもうつくしい物語で大宮人の心をとらえましたが、「ゆふがほ」とひらがなで書かれると、やはりその優美さをどこかに感じないではいられません。
浜の夕ぐれ、風のかたみを砂にみつつ作者は深い思いにとらわれているのでしょう。作者の美意識が詠ませた一句ではないでしょうか。
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