2011
今月の秀句1月

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今月の秀句             大山雅由

 

秋うらら砂丘に野菜研究所        きょうたけを

 

 一読、鳥取の砂丘かと思い、じっさいにそんな研究所があったろうかと、かつて訪れたその記憶をたどりましたが、そうか、作者は千葉だったと思い返しました。しかし、現実に、どこであろうとあまり問題にはならないような気がしてくるから不思議です。

 それは季語の「秋うらら」の働きによって、なんとも言えぬ牧歌的なのびのびとした気持ちにさせられるところからくるのでしょう。なんだかパステル画ででも見るような現実離れのした建物を想像したり、もしかしたら、地中海のどこかの場所がちらと頭をかすめたりとたのしい想像がふくらんできます。

 水耕栽培のような無機質的な場所で、きっと白ずくめの無菌服に身を包んだイケメンのお兄さんが出てくるに違いない・・・と空想は果てしなく秋のうららかな青空に拡がっていくのです。

 

夜が好きなべて霜月闇の夜は       細見逍子

 

 これはまた、一転して「夜が好き」という打ち出しできました。人間には朝型と夜型の人とがあるようですが、こればかりは他者にはなんとも言いようがないので、長い一生の間にどちらが得の、損のと言ったところで習い性になっているものは、致し方がないようです。

 しかも「なべて霜月闇の夜は」と言っています。霜の降りくる夜の闇に、作者は何を見ているのでしょうか。

 「霜月」は陰暦の十一月ですから、じっさいには十二月の中旬以降の頃です。霜が降りる頃を、一口に「霜月」と言っていますが、「上(かみ)のみなつき(神無月)に対する下(しも)みなつきというらしい」との(山本健吉)説もあるようです。どことなく古臭い感じのする季語ですが、きらきらと霜の降りる闇をもってきたことによって、ことばに対する鋭い感覚が、このやや古めかしい季語をいきいきと甦らせたと言えるでしょう。

 

秋蝶のまき毛の口の日に透けて      須賀智子

 

 これは、対象をじっくりと見据えた句になりました。微細な部分をまるで点眼鏡でみるようにくっきりととらえました。

 余談になりますが、筆者の所有している徳川時代初期の能装束のなかに揚羽蝶の刺繍の唐織がありますが、さまざまな形の蝶がクローズアップで縫い込まれてあって、取り出すたびに食い入るように見入ってしまいます。

 作者は、秋蝶を目の当たりにして凝っと眼をこらしていたに違いありません。何かの蜜を吸うそのまき毛の口が「日に透けて」と言い止めました。それ以上余計なことは言わなくていいのです。言ってしまってはぶち壊しになるということを作者は知っています。それが俳句の骨法ということなのですから。

 

木守柿猿の手宙を切りにけり       宮坂明男

 

 これはじっさいにその景を見て作ったのでしょうか、それとも空想上の景でしょうか。どちらにしてもあり得る景で、俳味に溢れています。

 「木守柿」というのですから、野生の猿ということになります。そう言えば、一昨年、日光の中禅寺湖畔で食事をした店の小母さんが「このごろは実のなるものはなんでも猿にやられてしまって、どうにもならんヮ」と嘆いていました。このところの天候の変動が野生の動物たちの生活に大きな影響を与えているようですが、軽井沢の山梨も完全に熟さずに落ちていましたから、こんな景を作者も、ある種の同情をもって詠んだのかもしれません。

「木守柿」の句と言えば、井桁白陶先生のこの句が頭から離れません。

 

  安心(あんじん)の明かりに透けて木守柿     白陶

 

 お猿さんの世界に「安心」の時は、はたして来るのでしょうか・・・ふとそんな気持ちにさせられました。

 

鉛筆を削る匂ひや夜の長し        関口道子

 

 秋の夜長をどう感じるかは人によってさまざまです。

 

  長き夜や目覚むるたびに我老いぬ    樗良

  夜長し四十路かすかなすはりだこ    草田男

  妻がゐて夜長を言へりさう思ふ     澄夫

 

 作者は夜の静寂のなかで、ひそやかに鉛筆を削りだしました。肥後守だったら、なおいいでしょう。刃を当ててすっと押すとふと木の香りがしたのです。これから原稿用紙に向かおうとして心を研ぎ澄ませていく、作者のお気に入りの一瞬です。どんな世界がつむぎだされることでしょうか。

 

秋の夜や哀しきことを詩にして      森山蝶二

 

 ここにも、秋の夜を眠らない男がいます。どんな人生を経てきたのでしょうか。「哀しきことを詩にして」と言っています。きっといろいろとあったのでしょう。そう言えば「多情多恨」などということばもありましたが・・・

 若い時から詩を勉強してき、本が好きが昂じて古本屋をやってきた貴龍堂主人が、ついに「隗」誌に句を出してきました。会員のみなさんの中にも、「貴龍堂曼録」をたのしみにしてくださる方がおられますが、俳誌が遅れがちになっているため、不定期の掲載でご迷惑をおかけしています。次号から毎号載るようにしますので、ここでご寛恕のほどをお願いしておきます。

 やがて、その「哀しきこと」どもも追々わかってくるようになるでしょう。俳号もあらたにした噂の貴龍堂主人が、これから俳句という器になにを盛ってくれるのか愉しみにしています。