2011
今月の秀句5月

TOP


今月の秀句             大山雅由

 

   顔あげよすぐに花咲く木のあらむ     森井和子

 

 作者は、みちのく仙台出身のかた。この度の北日本大震災では、肉親の安否確認が取れるまでに大分時間が掛って、心中穏やかではなかったようです。

妹さんは、「津波の泥水が首まできた!」と思った瞬間に水が引き、九死に一生の思いをなさったということです。友人知人のなかには、肉親を失い、家屋の全壊に遭うなどの大きな被害に断腸の思いをなさっておられる方も数多くいらっしゃることでしょう。身近な人たちが重大な困難に直面しているときだからこそ、作者は敢えてこう言いたかったのでもありましょう。

 作者の人柄、おおらかさを知るものとして「すぐに花咲く木もあらむ」というこの楽天性こそが、みちのくのど根性なのだ、と納得もするのです。

       

友の手の農を誇りてあたたかし      森田京子

 

 武蔵野の一角に生まれ、土に親しんだ生活をしてきた作者ですが、結婚したお相手は農家ではなかったようです。しかし、その夫とも死別し、子どもたちは立派に自立し、家庭を築いてくれました。久しぶりに幼馴染の友人と出会ったのでもありましょうか。

 そのひとは、農家に嫁ぎ、いまではその家の中心にでんと座って農を継ぎ家を守ってきた満ち足りた笑顔がまぶしいほどです。

 ここに至るまでには、言うに言えない気苦労もあったことでしょう。時には、その愚痴を聞く役に徹したことがあったかも知れません。しかし、今となっては、それもよい思い出の一ページです。

 土にふれた手はすこし荒れてはいるかもしれませんが、何んとあたたかかったことでしょうか。そんな友人を持てたことを作者自身も誇らしく思っているのです。

 

大方は春泥の靴診療所          小山洋子

 

 こちらは、北国の診療室の風景です。やってくるのは、大半は長靴でやってくるのでしょう。春の泥をつけて・・・

 診療に携わるのは、長年に亘ってお付き合いの深いおじいさん先生でしょうか、それとも若い先生でしょうか。やってくるのは、もちろん、集落のおじいさんおばあさんです。久しぶりに野良に出て腰を痛めでもしたのでしょうか。いえいえ、きっと世間話に花が咲いているに違いありません。

 

大波や岩海苔採りの笊流す       山田泰造

 

 それほど波の荒くない岩場でふっと油断があったのでしょうか。不意打ちの大波が笊をさらっていきました。岩ノリ採りの慌てふためく様が目に浮かぶようです。目にした光景をさっとスケッチした句でありましょう。

こういう場面に遭遇したのは、きっと神様が与えてくれた僥倖に違いありません。忽ちにして一句ものにせざるべからず・・・です。

 むずかしいことはいっさい言わず、さっと写すのがなによりの強みということを教えてくれる一句です。

体重の増加喜び種を蒔く    泰造

 同時にこの句もありました。体調も恢復されたとのこと。春のよろこびを詠まずにはいられない作者の姿がここにはあります。

 まず、素直に五七五にしていきましょう。余計なはからいは要りません。身に添った句を倦まずたゆまず詠み続けていきましょう。

 

かきつばた昔男のいらち癖        細見逍子

 

 これはまた何という皮肉な句ではないでしょうか。

 「かきつばた」「昔男」と言えば、当然、この世界は「伊勢物語」です。しかも、かの「昔男」、「いらち」だというのです。古来、「伊勢物語」は、在原業平がモデルと擬せられていますが、ものの本には「業平ハ体貌閑麗(たいぼうかんれい)放縦拘(ほうじゆうかかわ)ラズ、()ボ才学無ク、()倭歌(わか)ヲ作ル」(「三代実録」)とあります。「美男(「体貌閑麗」とは何という形容か!)で、学者肌の人ではなく気ままな行動で人を驚かすようなところのある詩人肌、和歌をつくらせたら上手いもの」というのですから、イケメンでちょい悪の詩人肌だったら・・・やっぱりモテモテだったのでしょう。でも、たしかにこんな男はちょっと「ジコチュウ(自己中心)でイラチ」かも。

 しかし、ちょっと待って。作者は業平のことを言っているわけではないのでしょう。こんな男が近くにいたら、きっと後ろを向いて、こんな風に呟くしかないのでしょう・・・。

 

透析に若き医師くる四月かな       大畠正子

 

 長期間にわたって人工透析に頼らなくてはならない療養生活の困難さは、想像に余ります。どんな状況に立ち至っても、自然は廻りめぐって、春はやってきます。「気で病む」から「病気」と言うのだそうですが、つい心が内向きになってしまっていて、季節の移ろいにもどこか鈍くなっていたのでしょう。やって来た若いドクターに、「あら、若い先生が・・・そういえば春になって人事異動があったのね・・・」とはっと我に返ったような心持がしたのではないでしょうか。

どんなところにも季節の移ろいを写していくのが、俳人です。

こうした「軽み」の句に至った作者の道程をしみじみと思い返さずにはいられません。

 

水草生ふ流れにヤゴの飛び跳ねて     田中 穣

 

 かたくり吟行の折のスケッチです。雑木林の中を、地下水を汲み上げて小流れが通っています。子どもたちはおたまじゃくしを掬うのに夢中です。流れには水草がたゆたい、川底の蜷たちがなんとも言えない文様を描いています。

 作者は、そこに「ヤゴ」を見つけたというのです。吟行ならではの、季語との出会いです。態々、早出して世田谷から清瀬までやって来た甲斐があったというべきでしょう。