2011
今月の秀句6・7月

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今月の秀句             大山雅由

 

地中より現れしみ仏あたたかし      篠原悠子

 

 一読、春のあたたかな日の光に、地表からまるで水蒸気が立ち上るかのようにみ仏が示現される図が浮かびました。一瞬の夢幻の時を感じたのです。

    仏は常にいませども現ならぬぞあはれなる

      人の音せぬ暁にほのかに夢に見え給ふ 

み仏が示現なされるのはこんな時と作者はとらえたのだと、「梁塵秘抄」のひと節が脳裏を過ぎりました。

 しかし、作者はよく近江や奈良に行かれておられますから、実際に出土した仏像について言っているのかもしれません。近江の寺々では、延暦寺焼き討ちを実行した織田信長の目を逃れるために、信仰の対象であった「み仏」を地中深く秘匿して逃れたというエピソードを伝えていますから、そのことを詠んだのかもしれません。 或いは、中国や朝鮮半島からは時折、地中の塚穴から「み仏」が出土しますから、そのことを指しているのかも知れません。「現るるみ仏」ではなく「現れしみ仏」とありますから、出土したとみるのが正しいのでしょう。

 しかし、敢えて先に述べたような解釈をしたいような新鮮なものがありました。こうした境地の句も、これからの作者のひとつの方向を暗示しているように思われました。

 

春夕焼貨車より牛の貌が出て       きょうたけを

 

 春の夕暮れの牧歌的な景の一コマとしてこの句はよく出来ています。

しかし、福島の原発事故による放射線の拡散による予想外の事態によって、酪農や牧畜関係者が将来的な展望をもてない事態にたちいたっていることに思いをいたす昨今では、この景は、まったく違った意味をもってくるように感じられました。

一句が成り立つ背景、或いは、それが置かれる状況によって、同じ句が全く違った意味合いを持ち得るものだということを、この句によってあらためて思い知らされました。

できるだけ饒舌であることを避け省略をきかせて、余白は読者の解釈にまかせる。よい句のひとつの条件であることを肝に銘じておきましょう。

 

春田打遠くに銀の牛久沼          荒井和子

 

 数人の俳友と連れだって水戸へ吟行に出掛けたと聞きましたから、その時に作者は、遠く「銀の牛久沼」を望んだのでしょう。

 「春田打」とは「耕し」のこと。その「耕し」とは春になって田植えの準備の為に「田を掘りかえす」「田をかえす」の意です。はるか向こうにはうらうらとした筑波の嶺が見えていたことでしょう。空高く雲雀が囀り、実に平和な光景です。すこし離れた福島での事故がまるで嘘のような春の一日でした。

 

かたくりの花やどつどど風の来て     崎啓子

 

 今年は例年に比して、花の時期は遅かったように思われます。地球温暖化と言われながら何故と、文化系人間の筆者などは首をひねってしまいます。

清瀬近辺の俳句愛好家に呼び掛けた「かたくり吟行会」でしたが、いつもなら満開である筈でしたが、広い雑木林のなかにわずかに三株可憐な花をみつけただけでした。それでも参加者は大喜びです。吟行というのは、照っても降っても、たとえ三株の小さな花でも、それが造化の神のおぼしめしとあれば、ていねいに五七五に詠み止めていくのです。

 この句の眼目は、何と言っても「どつどど風の来て」にありましょう。このフレーズからは、誰もが、宮沢賢治の「風の又三郎」を思い浮かべるに違いありません。

 そして、誰もがきっとこうつぶやくのです。「ほんに風が冷たかったものね」と。そう思わせたら作者はそっとほほ笑むのです。

 

道標に木の名鳥の名夏立ちぬ              榎 和歌

 

 新緑の季節を迎えようとする信州の高原を旅した折の句のようです。

 いかにも都会からの旅人を迎えるかのように、森のなかには、自然愛好家の為に、木々の名称や、よくみられる鳥たちの名が図入りで道標に記されています。ごくありふれた光景を、素直に詠み止めた句ですが、読者は一読、その景を追体験することが出来るのです。俳句は、短い文芸ですから、おのずからその詩形には、それにふさわしい内容しか盛り込めません。そのことを作者は熟知しているのです。師井桁白陶の薫陶を受けた作者ならではの句ではないでしょうか。

 

古地図長閑か「エガク丁」とは医学町   須賀智子

 

 作者は、絵図のようなものを広げているのでしょう。町屋ごとに色分けされて彩色の美しいものでしょうか、それとも木判の単色のものでしょうか。

「古地図長閑か」といううまい表現をみつけました。「古地図」そのものが「長閑か」ということはあり得ませんが、古地図を広げているという行為そのものが「長閑か」に感じられるということなのです。

 江戸の切絵図などをみていると細かい文字で坂の名前や露地の通称などが虫眼鏡でやっと読めるように書いてあったりしてたのしいものです。

 ところで、この古地図はどうも、新潟の町屋の地図のようです。時々新潟では「イ」と「ヱ」が入り混じって使われる場面に遭遇します。作者も、そんなところをほほ笑ましく感じたところが、「古地図長閑か」という表現になったのではないでしょうか。

 

春潮のゆつくり返す村まつり              小形周子

 

 作者も新潟の方です。人口に膾炙される蕪村の句は須磨の海だったでしょうか。 

   春の海ひねもすのたりのたりかな     蕪村

 日本海側の冬がきびしいからこそ、春のおとずれによろこびをよりつよく感じるのでしょう。村祭のむこうにのたりのたりとうねる海が見えるではありませんか。