2011
今月の秀句10月

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今月の秀句             大山雅由

  

小半を残し草引く夕かな         永島正勝

 

 「小半(こなから)」とは、また、なんと古風な言葉をもってきたものでしょうか。一升の四分の一が「こなから」。したがって二合五勺(四五〇ミリリットル)ということになります。と言って、尺貫法は分からないとこられると、そういう時代になったのだなと思うしか手はなくなってしまいます。もう二十年以上も前になるでしょうか、永六輔氏がなんとか尺貫法を残そうとTBSラジオで主張されておられましたが、世の中はメートル法一辺倒になってしましました。いま考えれば、あれが「グローバル化」ということが言われだしたそもそものはじまりだったのではなかったでしょうか。日本の文化そのものである住まいや食文化には尺貫法がおおきな意味をもっていたのですが、ものごとの根底をなす「はかる」言葉そのものが否定されてしまったのですから、日本人の心がどこかへ消え去ってしまったのは当たり前のことなのかもしれません。「グローバル化」とやらに経済性と効率性を追求した結果、福島の原発事故に直面することになるのですが、あれ程の大災害に遭っても、なお、生存を危うくするもっとも危険なものに頼っていこうとする人々がいることが不思議な気がしてなりません。

 早い宵から晩酌でもしていたのでしょうか、ふと縁側から降り立ってさっきから気になっていた「草を引く」作者なのです。どことなく池波正太郎の秋山小兵衛でも出てきそうな宵ではありませんか。

 

白桃や愛はひたすらつつむこと      上田公子

 

 この句にもっと早く出会っていたら、もう少し子育ても上手にできていたのではなかったでしょうか。こう言われると納得しないではいられません。いえ、作者は子育てではなく、男と女或いは親子の情愛についておっしゃているのは勿論のことなのですが・・・

「ひたすらつつむこと」とは、何とやさしさにみちた言いようなのでしょうか。

   鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女

 鷹女の句には、ぶらんこを漕ぐほどに昂ぶる女の情愛がありますが、公子句には無償の愛ともいうべき泉のように尽きることのない深い愛を感じます。もちろん、鷹女の句も結婚子育てを経た上でなお内面から噴き上がる激情がほとばしったものでしょうが、こうした「愛」の在り方を目の当たりにすると、男というものはほとほと女性にはかなわないものだとただ感服いたすのみなのです。

 

かなしびは胸の洞より大文字       須賀智子

 

 「かなしみ」ではなく「かなしび」と打ち出してきたところがこの句の眼目でしょう。その湧き出でるところを「胸の洞より」ともってきたのは、にくいくらいの技巧ですが、それが季語の「大文字」とよく響きあっています。作者の独擅場というところでしょうか。

 しかも、今年の京都五山の送火には、福島からの傷ついた松の提供に放射能を避けたいという市民の抗議から断ったという報道に愕かされました。「送火」は亡くなった人を偲び、たましいのやすらぎを祈りつつ見あげるのですが、作者の胸にはそのことが影を落としていたような気がいたします。「胸の洞より」にはきっとそれがあったのではと想像するのはわたくしだけでしょうか。

 

茄子漬や故郷の色そのままに       河井良三

 

 作者は新潟出身の方ですが、他のどの地方であっても、きっとこんな思いはどなたも抱かれたことがあるでしょう。

 ふるさと遠く離れて長い年月が経ち、ふっと茄子漬をしみじみと見つめる時、幼い日の強い陽光の下で手づかみで口にしたなつかしいその色が脳裏をかすめるのです。思えば何年、ふるさとに帰っていないのでしょうか。父も母もすでになく、あたりの景色も変わってしまいました。

 でも、幼きころから胸の奥にある原風景と舌に覚えた味覚は一瞬に数十年の歳月を飛び越えていくのです。望郷の句です。

 

萩の風口約束の巧みさに         岩本晴子

 

 これは、ちと意味深な句がでてきました。何があったのかは具体的にはわかりませんが、確かに何事かがあったのです。いえ、それを詮索しようというのではありません。

 作者は、ひょいとどなたかの口車に乗せられたのでしょう、きっと。「でもね、あんな風に上手に言われたら仕方ない!」と苦笑しているのです。

 筆者も、寸借詐欺にあったことがあります。ギャラリーに来ていた男は、家人からすでに情報を得ていて、実に上手にこちらに話を合わせ、ついには、即興で俳句まで作ってみせたのです。それもなかなかのものでした。

「ところで、一寸、金子の拝借を・・」ときました。まさに絶妙のタイミングです。金を手渡す瞬間ふと疑念が湧きましたが、その芸に免じて承知で貸しました。

後は、そう、「萩の風」と笑って忘れるのが一番なのです。

 

土用干茶箱の底の角帽子         小山洋子

 

 夏になると箪笥の奥や茶箱の中に大事に仕舞いこんでいた着物や書画骨董などの貴重品を風にさらして、黴を防ぎます。これが「土用干」です。時に応じて「曝書」や「お風入」などとも言われます。師井桁白陶にはこんな句があります。

   ともしき書曝す己を曝すかに       井桁白陶

久しぶりで目にするものですから、次々に手にとっては、その当時の誰それ、かれこれが脳裏に浮かびます。その中に何となつかしいものが出てきました。くしゃくしゃの角帽がでてきたのです。すっかり忘れていましたが、ご主人のものだったのでしょうか。それともご兄弟のものかも知れません。そういえば、我が家のどこかにも、同じような古びた座布団帽がどこかにある筈なのですが・・・