今月の秀句 大山雅由
新米の荷に書き足して処世訓
関口道子
作者は新潟の方です。なんといっても全国きっての米どころであってみれば、どなたも米と酒については一家言お持ちなのが新潟という土地柄。
どの家も新米積みて炉火燃えて 素十
新潟で医大教授であった高野素十の句ですが、さすがに豊饒のよろこびに満ちているではありませんか。時移り世の中が近代的になっても、収穫のよろこびは庶民のものといっていいでしょう。作者は、新米の句を連ねました。
どんなに遠く離れていても、母親である作者はいつもお子さんのことが気に掛かります。心配の種は次々にやってきます。親心は「処世訓」を添えずにはいられない、母親ならではの句と言えましょう。
新涼や厨にひびく電子音 崎啓子
めっきり涼しくやっと秋らしくなってきたと思うこの頃は、所謂「新涼」の季節です。居間でつい読書に熱中していたのでしょうか。或は、いくらか夏の疲れも出てくるころですから、ふっと気が緩んでこっくりこっくり舟を漕いでいたのかもしれません。突然、台所からピッピピピーと音がしてきました。何か仕掛けていたのを忘れていたのでしょう。空気もどことなく透きとおってきたように感じられる頃ともなれば、意外にその音が大きく響いたのに驚いたのです。「はっ!」とした瞬間を言いとめました。
虫去りて耳鳴りばかり夜長かな 高橋長一
夏の「短夜」に対して、秋はしみじみと夜の長さが感じられます。ひとしきり虫の音が聞えていたと思ったら、闇の奥底にじーんと耳鳴りがしてきました。単に気のせいばかりではないようです。「突発性の難聴は」という句もありますから、実際に難聴に苦しんだようです。経験した方によるとなかなかに辛いもののようです。
それでなくても秋の夜長は「秋ノ夜長シ、夜長クシテ眠ルコト無ケレバ天モ明ケズ、耿々タル残ンノ燈ノ壁ニ背ケル影、粛々タル暗キ雨ノ窓ヲ打ツ声」(白楽天『和漢朗詠集』)というのですから、まんじりともしない夜ともなれば、作者の目は益々冴えわたっていったのでしょう。
永き夜や目覚めても我がかげばかり 闌更
風流などといった境を越えたこうした現実も十分に俳句になり得るのだということを知っておくべきでありましょう。
点滴に聴力戻る遠花火 佐山 勲
こちらの句にも耳に関係があるようです。作者は、今年の暑さに、いくらか体調を崩されたようです。「点滴に聴力戻る」とありますが、もしかしたら気を失っていたのでしょうか。或は、一時的に耳が聞えなくなって徐々に快復したのかも知れません。すうっと戻ってきたと思ったら、遠くで花火がどんと鳴ったというのです。ほっと安堵の瞬間です。ほんとうによかった。
零余子飯出てより会話弾みけり 平山みどり
あまり親しくない方と偶々一緒の卓に就かれたのでしょうか。はじめはぎこちなく言葉を交わしていたのですが、零余子飯がでてきたことで、ふるさとのことやあの土地へ旅をしたことなども話題となって、急に打ち解けてきたようです。初対面のもの同士が、ふとしたキッカケで親しくなり、それこそ水魚の交わりを結ぶようになるなどということもよく聞くところです。
態々零余子飯が出てくるような席だとすると、お互いに句のひとつもひねろうとする同好の士と分かったのかも知れません。またひとつ人との輪が広がりました。
地震あとのもぬけのからを秋簾 金子千恵子
三月十一日の後、多くの方が何をやってみても何となく落着かず、地に足が着いていないような心もとなさを感じるとおっしゃられます。作者もそのお一人なのでしょう。天変地異の後の喪失感や様々な不条理とも思える物事への割り切れない感情が、「もぬけのから」の言となったのでしょう。心にぽっかりと空いた穴は容易に埋めようもないのかも知れません。まして夏負けともいえるようなきびしい暑さにみまわれた後であってみれば、なおいっそう虚脱状態から抜け出すのはむずかしいのでしょう。しかし、さっと通いだした秋風が簾をゆらす季節となってきました。もうすこし時間のうつろいを待ちましょう。
無患子の寺の波郷を訪ひにけり 河合すえこ
「無患子(むくろじ)」は秋も深まってくると二センチほどの黄色い実をつけ、その中には紫黒色の硬い種子が入っています。かつてはこれを正月の羽つきの羽根の玉に用いました。
雨の日の雨の無患子深大寺 星野麥丘人
たしか深大寺の門を入った右側の本堂の前に大きな無患子の木があったと記憶しています。そしてこの深大寺には石田波郷の墓所があることはよく知られています。秋も終ろうとする一日、作者は深大寺の波郷の墓にぬかずきこの昭和のおおいなる俳人をしみじみと偲んだのでした。
騎馬戦の女の子の強し天高し 荒井和子
最近の小学校では男女一緒に騎馬戦をやると知って驚きました。もっとも男女平等を何につけても標榜する時代であってみれば、こちらが時代に遅れていると言うべきなのでしょう。なんと言っても女性の時代ですからね。「めのこ」が強いのは仕方ありません。あっけらかんとしていっそ気持ちがいいかも知れません。さればこそ、「天高し」という季語も効いているというべきなのでしょう。あっ、作者も女性だった!
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