2012
今月の秀句2月

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今月の秀句             大山雅由

 

   雪五寸払ひて茸五つ六つ        高橋長一

 

 この冬の雪には、まったく驚かされます。新潟市内でも三十センチ(作者の言い方では一尺程)は積もっているとニュースで報じられましたが、日本海沿岸の富山から北が殊に多いようです。

 例年でも、作者の山の家は、雪の多い処と伺っていますので、さぞかしのことと想像されます。この句も、まださほどに雪の話題も出ない頃に投句されたものでしょうが、「雪五寸払ひて」というのには、びっくりすると同時に、雪ノ下から出現したこの茸もさぞかし味も濃厚で美味いに違いないと食いしん坊の筆者は興味をそそられてしまいます。

 先日、新潟に行った折に、作者に、山の雪を体験させてとお願いしましたが、五メートルの雪の上を樏(かんじき)つけて歩くのは慣れていない者には到底無理とのことでした。もっとも息子さんたちでも無理というのですから、致し方ありません。連日の降雪に耐えて生きる雪国の方の苦労は、関東のわたくしたちには思いも寄らないものがあるに違いありません。

 

等圧線弧の美しく冬となる        黒川清虚

 

 冬型の気圧配置といえば、即座に「西高東低」と出てきますが、大陸からの高気圧の張り出し方で、低気圧が関東の南岸にある場合には、「ぐずつき型」の空模様となり雨になることが多く、気温が下がってくれば時には雪になるそうです。それに対して、大陸の高気圧が日本の南方海上にまでぐっと張り出してきたら典型的な西高東低で、関東など太平洋岸は晴れて日本海側は大雪になることが多いとされています。

 それにしても、等圧線の縦縞がくっきりとしてきて、大陸からの雲の吹き出しが強まってくるのを気象図で見ると、誰彼の住んでいる辺りはどうだろうかとハラハラしてしまいますが、作者は、「弧の美しく」と冬の到来を確実に感じ取っているのです。

 

大根をさげて足元定まらず        羽鳥洋子

 

 これはなかなかいい着眼点でした。作者は、大根を引き抜いたのでしょうか。いや、おそらくお店で大根を買ったのでしょう。筆者もしばしば経験するのですが、野菜を大量に買い込んだときなどは、大きなレジ袋を提げて帰るのは一仕事です。やや細身の作者が大根をぶら下げて、バランスをちょっと崩した景を思い浮かべただけで微笑まずにはいられません。

 こうした生活の中にあるちょっとした景のスケッチを重ねていって、瞬時にさっと言い止めることが出来るようになってくると、俳句の面白さを発見することにもなってきて、俳味というものもわかってくるのではないかと思います。小さなことを倦まず弛まずスケッチしていくことを常日頃から、心に掛けていくと、写真で言う「ベストショット」がきっと得られることでしょう。

 

掛け大根注連縄めきて峡の宿       荒井和子

 

 この峡の宿はどちらだったでしょうか。よく見る景ですが、「注連縄めきて」と言ったところで決まりました。これも作者が常に何かを発見しようと常に心が俳句に向かっているからこそ、このように言い切ることが出来るのです。

そうかと言って、いつも緊張してばかりいては、いけません。大事なのは緊張と弛緩です。ゆったりと構えていながらも、すっと対象が目に入った瞬間に一息に掴み取るのです。そのためには、日ごろの外界に対する目の配りようが試されているといってもいいでしょう。俳句は、いつも、わたしたちの身ほとりにあって、ただ、それに目が行くかどうかは、その人それぞれに因っているのだと言ってもいいのではないでしょうか。

 

捨て切れぬものに囲まれ暮早し      髙崎啓子

 

 先日も、「断捨離」という言葉を聞きました。「人は産まれる時は無一物、此の世との離別の時も無一物、だから余計なものを断ち切って捨てて離れてさっぱりと」と、もっぱらマスコミで言われているそうです。 

 そりゃあ、わかっていますよ。でも、そう簡単に割り切れないのが、人間でね・・・そうか、だからこそ、みんな、捨てて離れてって・・・煽っているんだ。沁みついた垢、みたいなものだもの。たいしたものなどありゃあしないんだ、どこを探したって。みんなゴミみたいなものだもの・・・

 部屋の真ン中に座ってあれこれ迷っていると、あっという間に日は暮れるのです。

 

測量の二人の動く枯野かな        平山みどり

 

 枯々とした景の中を動くものは二人の測量士だというのです。枯野にはきっとほかにいろいろの物があるに違いないのですが、作者は、やや遠くの景から、クローズアップの手法でここに焦点を絞り込みました。

 俳句は誇張と省略によって、対象を限定し、読者に強く印象付けようとします。単純化が却って、読み手に飛躍を促すのです。読者は、この二人が、測量器をもって、枯野のなかを転々と移っていくことさえ脳裏に描き出していきます。一瞬、一点を詠みながら、読み手はその

動作の連続をも思い浮かべることになるのです。俳句という詩形のマジックがここには窺えます。

 

煮凝やほんの些細な仲違ひ        宮崎晴子

 

 「ほんの些細な仲違ひ」から、知らぬ間に大きな隔たりができてしまうということは、世の中にはままあることではないでしょうか。そう目くじら立てることもなかったのに・・・と、今となっては、わかるのですが、悔やんでも悔やみきれない何かが、作者にはあるのでしょう。

 季語の「煮凝や」がよく効いています。典型的な二句一章の作り方ですが、作者は、これをしっかりと自家薬籠中のものとしてきました。断絶を生かし、転換が効いています。「ちょっとひねる・・・ちょいひね」の面白さが分かってきたようです。今後をたのしみに待ちましょう。