2012
今月の秀句3月

TOP


今月の秀句             大山雅由

   

地震の地の声なき声や虎落笛      木原正則

 

 昨年の三月十一日の東日本震災とそれに続く原発の爆発事故によって多くの人々の生命が失われ、甚大な被害が未だに回復されないまま、一年が過ぎようとしています。膨大な情報が垂れ流しのように伝えられる中で、疲弊した政治の力に期待することもできず、瓦礫の山さえ手つかずに放置されているのは、まことに心の痛む光景です。

 作者は、防災関係者として、その時の対応に苦慮されましたが、昨年三月末をもって定年を迎えられたとのことです。その折りの様々な思いやそのあとに引き起こされた諸々のことへの思いがこの句となったのでしょう。

「虎落笛」は、垣根や北囲いを通して吹きつける北風のことです。民俗学的には、土葬の後に、野獣を遠ざけるために立てたり、土を抑えたりした竹に北風が当たってヒューと立てる音が笛のようだというところから「も(喪)がり笛」というようになったといわれます。

「地震の地の声なき声」は、亡くなった方々のその思いや残された人々の無念さ・怒り・かなしみなど万感の思いが「虎落笛」となって吹きつのってくるのです。

 

ハーフコートの股下長し桃青忌     細見逍子

 

 松尾芭蕉が、大坂御堂筋の花屋方で没したのは元禄七(一六九四)年旧暦の十月十二日のこと。享年五十一でした。近江の義仲寺にその墓があります。芭蕉忌、翁忌、時雨忌、また桃青忌とも言います。

   芭蕉忌に薄茶手向くる寒さかな     樗 良

   芭蕉忌や香もなつかしきくぬぎ炭    成 美

   一門の睦み集ひて桃青忌        高浜虚子

   眼中の人老いにけり桃青忌       松瀬青々

   むさしのの寺の一間の桃青忌     久保田万太郎

 こうした句と並べてみると、これは、また、何と新しい「桃青忌」のとらえ方ではないでしょうか。作者は、「ああっ、今日は芭蕉さんの亡くなった日だった・・・」と思ったそのとき、ハーフコートの若者が、しかも「股下長し」というのですから、長身の若者が颯爽と通り過ぎたのです。

 その瞬間にこの句がさっと出来上がったということなのでしょう。芭蕉忌と言わずに「桃青忌」と置いたところが手柄です。まさに取り合わせの妙と言えましょう。

 

凍月やふたたび竹の裂くる音      肥田木利子

 

 作者の俳句歴は長く、一読、すっきりとして明解です。景を描いてその心象も余すところなくきっちりと詠んでいます。老いの境地に至ってますます磨きがかかってきたというところでしょう。

 ひとり居の夜に竹の裂ける音がしました。しばらくするとまた、音が・・・

凍てのきびしい夜には、竹がひとりでに裂けるのでしょうか。それとも、雪を被っている竹がその重みで割れるのでしょうか。「裂くる」といっているのだから縦に裂けるのか・・・

 作者の俳句にたいするきびしい姿勢を感じさせる句となっています。

 

初泳ぎプールに深く礼をして      荒井和子

 

 プールなのだから、たった一人というわけではないのでしょうが、まるでこの泳者が一人でプールに登場したような厳かさを感じさせる句です。一切を省略して、一点に焦点が集まっています。

俳句ですから、一人称の句でしょうが、脇から見て詠んだ句としてもいいでしょう。「初」の文字が実によく生きた句となっています。きっと立ち姿もすらりとした人であったのではないでしょうか。

 

この日まで生きよと印す新暦      大畠 薫

 

 高齢の方々が多くなってきて、俳句にも随分と介護の俳句なども目に付くようになりました。花鳥風月ばかりが俳句ではありませんから、あらゆる事象を俳句に詠んでいって欲しいものです。日常のありとあらゆる場面を積極的に詠み止め、その日の憂さ辛さを詠み捨ていくことが、心の安定を取り戻すきっかともなるとのではないでしょうか。筆を執りものを書く、俳句を詠むということには、そういう意味で、心のもやもやを吐き出すという効用もあると思います。

作者は、「この日まで生きよ」と新しい暦に印をつけて病む人を元気づけているのです。「新暦」が明るさを齎してくれるのです。

 

クエ鍋や気合も風邪に空回り      遠藤真太郎

 

 関西では「クエ」、九州では「アラ」と呼ばれる六〇センチから一メートルほどの巨大魚で、相撲のチャンコ鍋の具材として知られるようになってきました。富山の鰤などと並んで高級魚の代表格です。ですから、当然、クエ鍋ともなれば気合も入ります。

 しかし、なんということでしょう。洟やくしゃみでそれも空回りだというのです。「折角の鍋なのになあ。どうもならんなァ・・・」という作者の溜息が聞こえてきそうな句で、読む方としてはたのしい句となりました。

 

煤逃げの水上バスに酒酌みて      森山蝶二

 

 年末が近づいて大掃除の日ともなると、家中の片づけには、無精者の男はどうも邪魔にされがちで、「もう、どっかに行ってらっしゃい!」ということになります。と言って忙しいさ中、連れ立つ相手もいなければ、一人で時間を潰すには、適当な場所と言っても限られてこようというものです。

 作者は、隅田川から水上バスに乗ってお台場辺りまで出掛けたのでしょうか。「酒酌みて」などと言って見栄を張っているけれど、きっと片手には自動販売機で買ったワンカップの酒を手にしているのでしょう。