今月の秀句 大山雅由
ひたすらにただ歩きたる西行忌 羽鳥洋子
二十七歳の頃、歌枕を尋ねて陸奥・出羽を旅し、六十九歳にして東大寺料砂金勧進の為に陸奥平泉に赴くなど、日本各地にその足跡を印した西行法師の入寂したのは、建久元(一一九〇)年旧暦二月十六日でした。
すこし長くなりますが、藤原俊成の『長秋詠藻』から見てみましょう。
「円位ひじりが歌どもを伊勢内宮の歌合とて判受け侍りし後、又同じき外
宮の歌合とて思ふ心あり。新少将(定家)にかならず判してと申しければ、印付けて侍りける程に、その年(去年文治五年)河内の弘川という山寺にてわづらふ事ありと聞きて、急ぎつかはしたりしかば、限りなく喜びつかはして後、すこしよろしくなりて年の果ての頃京に上りたりと申せし程に、二月十六日になむかくれ侍りける。
かの上人先年に桜の歌多く詠みけるなかに
ねがはくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月のころ
かく詠みたりしを、をかしく見たまへし程に、つゐにきさらぎの十六日
望日(もちのひ)終りとげる事、いとあはれにありがたくおぼえて、も
のに書きつけはべる
ねがひおきし花の下にて終りけり
蓮の上もたがはざるらん (※注 俊成詠)」
こうして、かつて詠んだ歌の通りに、花の盛りの満月の頃に、釈迦の涅槃に従うかのように往生を遂げたことが、俊成をはじめとし慈円・定家など多くの歌人たちに感動を与え、西行伝説の流布することとなったのでしょう。
生涯を「ひたすらにただ歩きたる」西行を胸に作者もまた、この道を「ひたすらにただ歩」くことを願っているに違いないのです。西行を思い、芭蕉を心のどこかに置いて。
角川源義も、又、そうした思いを胸にしていました。先師最晩年の句です。
花あれば西行の日と思ふべし 源義
見つけたり秘仏に似たる蕗の薹 金子律子
物をよく見ることとはどういうことかをこの句は、わたくしたちに教えてくれているのではないでしょうか。同じ蕗の薹を見ても、「秘仏に似たる」という発見を何人の方がするでしょう。作者の心の在りようが、こうした表現を素直に導き出したというべきでしょう。瞬時に対象をぱっと捉え、直截に感得するところに詩が生じるのです。
あるものに仏を見るという表現は、どこかにあるかも知れないにしても、打ちだしの「見つけたり」と置いた一瞬の間の断絶が「詩」を生みました。
「切れ」の効用をよく味わってみましょう。
海苔干せる一村碑残すのみ 永島正勝
東京湾や和歌の浦など海苔の養殖場として知られていたが、今はどうなのでしょうか。海苔粗朶あるいは海苔篊(ひび)というのに海苔胞子を付着させて育て、春に海苔船(これを「べか船」という)で篊棚に入り、今は動力で巻き上げながら採取するようです。これを簀子に干して香ばしい海苔が生まれることになるのですが、近年は、養殖場も次第に狭められていって、しかも後継者難に悩んでいるようにも聞きます。
句からは、そうした現状を示すかのようにさびれ行く村の有様が窺えます。
作者は、これからの人生を海に掛けているようで、今も、クルーザーで西日本の旅の途次にありますが、これも身近にした光景なのでしょう。
中七が字余りになっていますが、定型感は崩れていません。促音の「一村」があるために却って締まって響きます。「碑残すのみ」が「もののあはれ」を誘います。
春光や田のまだ白き越の里 小形周子
いかにも越の里らしい句となりました。東京では四月に入って桜の花のちらほらとするころになっても、国境の長いトンネルを抜けると湯沢の町から長岡の先までは一面の雪の原が広がっています。
たしかに春はやってきていて、日の光は雪の原を跳ねまわっているのです。しかし、まだまだ安心はできません。一たび、雪女郎のお臍が曲がったらいつ大雪に見舞われるかわからないのですから。
でも、確実にやってきている春の足音を聞きつけて、こころ弾ませているのです。
春雨や町の本屋は小さくて 金田典子
春は出発の季節であり、また、訣れの時でもあります。作者は、この春大学を終え、北九州の地方公務員となりました。東京で暮らしていた時には、本を求めて新宿の大きな本屋さんに出かけました。大学の周辺は都内でも有数の古書街でしたし、本は身近な存在でした。
久しぶりに帰ってきてみた故郷の町の本屋のなんと小さなことだったでしょう。今更のように、それに気づかされたのです。
「町の本屋のちいさくて」は、その驚きの謂いだったのですが、「春雨や」と上五に置いたために、その小さいところも何とはなしに懐かしく、ほっとしたような気持になっているのもまた事実なのでしょう。
薄氷やほんのり紅き梅林 河井良三
なんということもない平凡な景ですが、しっくりと落ち着いて静かな佇まいが好ましく感じられます。
一見すると二重季語のようですが、決してそうではありません。手前に「薄氷」を、遠景には「ほんのり紅き梅林」配しています。
「薄氷」は、風の一吹きでさっと消え去るような、文字通り「薄氷」のこと。春の季語として定着したのは、近代に入ってかららしい。
薄氷の草を離るる汀かな 高浜虚子
薄氷をさらさらと風走るかな 草間時彦
そこで、掲句ですが、「薄氷」がクローズアップされることによって、「ほんのり紅き」が梅の花そのものではなくて梅の兆しのように配されることとなったのです。作者のたくまずしてする技の冴えと言えましょう。
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