今月の秀句 大山雅由
春満月水を押し上げ出でにけり 浜野長衛
「月」というのは、不思議な季題で、季節によって、それを見上げる心待ちがまるで違ってくるようです。
「秋の月」は煌々と澄み渡って耀きますが、「春の月」というとあたたかくほのぼのと気分があふれてきます。
外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女
ここでは、「水を押し上げ出でにけり」というのですから、海の上にでた大きな春の月が思われます。作者のお宅が奈辺にあるやは知りませんが、川ならば長江、或は、信濃川・分水または霞ヶ浦でもありましょうか。
「水を押し上げ」に力があり、きっぱりとした立句となりました。
桜鯛鱗削りも金色に 佐藤禮子
「鱗削り」は鱗落しのことでしょう。目の下尺にもまさる立派な鯛の鱗を、ごりごりと剥がしているところです。
季語の「桜鯛」は、、春の産卵期が近づいてくると雄の真鯛の腹部は、婚姻色といって赤みを帯びてきますが、、これを「桜鯛」と言い習わしているのです。川魚の鯎(うぐい)が、「花鯎(はなうぐひ)」と言われるのと同じです。
俎板に鱗ちりしく桜鯛 正岡子規
ぬれ笹をとけばすなはち桜鯛 鈴鹿野風呂
ここで、調理人の手さばきを目の当たりにするように景が浮かび上がってくるのは、その「鱗削り」が「金色に」かがやいていると具体的に活写されているからです。春の夕べのうきうきした気分の溢れた句となりました。
立話してゐるうちに芽吹きけり 西原瑛子
こう詠まれてみると、「なるほど!」と頷きたくなるような句です。
元来「木の芽はる」と言ったところから「春」にかけて「木の芽春風」や「木の芽春雨」などとも詠まれましたが、ふくらみ始めたとおもったら一気に生命力の美しさを見せてくれるのが、「芽吹き」の本意でしょう。
それぞれの木々によって遅速はあるものの、ふくらみ出したら一息にというのが、「立話してゐるうちに」というところに作者の発見があって、目の付け所のよさが佳句を生み出すことになりました。
青ものを藁にくくれば春の雪 長井 清
目の付け所のよさ・・・という点では、この句も、また、引けを取りません。ここでは「青ものを」と言って、具体的にそれがなんであるかをはっきりとは言っていません。が、そのことが却って、読者はそれぞれのイメージを頭に思い浮かべさせるようになっているのです。小松菜かほうれん草か、或は、大根・白菜・・・藁もまたいくらか青みを残しているのでしょう。「春の雪」がその色彩を際立たせています。
何気ないふうでありながら、極めて技巧的な一句となりました。
飛雲とは夫の法名春夕焼 平山みどり
「飛雲」という文字を、その法名とした亡きご主人は、どんな方だったのでしょう。自由人でおもいっきり人生を楽しまれた方だったのではないでしょうか。きっと美男であられたのでしょう。そんなご主人のことを作者は、微笑ましくご覧になっておられたことでしょう。
「わたしを置き去りにして、あなたは、あの雲のように、ふらりと飛んでいってしまったのね・・・」とつぶやいておられるのです。
「春夕焼」があたたかく胸に響きます。
野遊びのすぐにつかまる鬼ごつこ 小川マキ
幼い子を連れての「野遊び」です。すぐに捕まるのは作者でもよいし、子ども同士であってもよいでしょう。
野には春の光が満ち溢れて、あたたかな人の輪のひろがりを思わせるやさしい句になっているのは、作者の心の在りようそのままが詠まれているからに違いありません。
身につかぬ金など持てば春の風邪 森山蝶二
作者は古書肆「貴龍堂」主人です。「隗」誌に随筆も書いてくださって、「隗」にはなくてはならない連衆の一人です。
はじめは古書肆の主人と客として出会い、並んだ書棚を見て、なかなかのものだなと通い出したのが十数年前。手に入れたいと探していた角川書店の三遊亭圓朝全集(当時で八万円)を届けてもらったのが、親しくなるきっかけでした。後から聞けば、棚に並べて三十分で筆者が買い取ったとのことでした。
ひょんなことから俳句に話が及び、俳句を勧めたのが数年前、ようやく実作に重い腰を上げたのが三年前で、はじめたとなると俄然店内には俳句の本で満たされ、毎日読破していったのには、驚かされました。
稀覯本が高値で売れたのでもありましょうか。宝くじなど買うようなお方でもないと拝察いたしますが、「身につかぬ金など持てば」、落ちつかないことであろうことは、当方も同じ小商いの身の上ゆえ、よくわかります。宵越しの金など・・・持ちたくても持てないもの同士、「春の風邪」にはご用心・・・ご用心。
あたたかや羽ばたく朱鷺の切手貼る 小山洋子
佐渡島に放鳥された朱鷺の雛の誕生は、暗い話の多い昨今、久々に明るい話題となりました。特に新潟では、朝に晩にTVのニュース番組で、朱鷺の雛の成長の様子がリアルタイムで取り上げられ、鴉が近づいたといっては心配し、雛が巣から落ちたと聞いてはおろおろするサポーターの様子が放映されて盛り上がっているようです。佐渡から新潟へと朱鷺の群れが舞飛ぶ日がきっとやって来るに違いないと誰もが期待しているのです。作者もそれを熱望している一人なのです。
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