今月の秀句 大山雅由
花御堂出でマクベスに会ひにゆく 森田京子
四月八日の仏生会には、うつくしい花々で飾りつけた花御堂を作り、参詣の人々が浴仏盆に誕生仏を安置し甘茶を注ぎかけます。御堂は摩耶夫人(まやぶにん)が無憂樹(むうじゅ)の下で釈迦を生んだという藍毘尼林(らんぴにりん)に型取ったものだと言われています。
それぞれのお寺によって、いろいろな形がみられますが、金龍山浅草寺では、幼稚園の子どもたちが雷門に集まり、その前後に「新門」の半纏を羽織った男衆が本堂まで導いていくというものです。近所の寺の仏生会をじっくりと見て句にしてみるのも一興でしょう。
この世に誕生した釈迦の像に甘茶を注いだあとに、作者は、「マクベスに会ひにゆく」というのです。魔法使いたちの「きれいはきたない、きたないはきれい」というこの世へ一歩踏み出して行くのだという二句一章ならではの世界を作者は見せてくれています。さて、これをどう受け取るかは、読者ひとりひとりの感性なのです。
釣人の釣つては放つ春日かな 河井良三
いかにも作者らしい目のつけ処です。だいたい釣りというのは、はた目にはのんびりと映るようですが、釣人自身は存外気短な人が多いようです。短気な人が釣りをする、そうは釣れるものではないから、餌をつけては竿を振っているうちに、気が練れて、いつしか気長になってくる、かどうかは知りませんが、落語にもあるように、名人の境地となると、餌を付けずに糸を垂れてさえいれば、おのずから満ち足りてくるといった心境になれるものなのでしょうか。
「釣人の釣つては放つ」の表現は、作者の人生観さえ思わせ、言い得て妙ではないでしょうか。いかにも「春の日」に相応しい悠揚たるものに溢れています。
牛の仔の生れし祝や草の餅 渡辺らん
三年程前に、初夏の隠岐の島を訪ねたことがありました。島には、牛と馬が放し飼いにされていて、軽自動車で細い道を走るのですが、生まれたばかりの仔牛が人懐こく近づいてきて道を塞ぎ、やっとお通り願って事なきを得たのを思い出しました。あらたな命の誕生は、人であっても、牛や馬、或はペットであっても、ひとつの家族に大きな喜びを齎します。
家族の誰彼が仔牛の誕生をよろこんでいるのです。そこにはまだ幼い女の子もいることでしょう。「草の餅」を囲むひとりひとりの笑顔が浮かび上がってくる句となりました。
夜桜や呪文三つ四つ魔女めきぬ 玉井信子
「桜の木の下には死体が眠つてゐる」と言った詩人がいましたが、確かに咲き満ちた夜の桜には、どこかおどろおどろしいものを感じないではいられません。「マクベス」の魔女ではありませんが「きれいはきたない、きたないはきれい」と呪文のように言われたら、何事が起こっても不思議ではないような気がしてきます。
さて、作者はその桜の木のしたで、どんな呪文を放ったのでしょうか。
源義墓拝して春を惜しみけり 崎啓子
初夏のひと日、梨の花の下で過ごしました。気持ちのよい日で、そこからほど近い小平霊園に角川家の墓所を訪ね、久しぶりで源義・照子の夫婦句碑にまみえることができました。このグループには、直接にご夫妻を知る会員は居りませんが、いつも句会や勉強会で話に聞く、源義先生が身近に感じられたようでした。句友の中には、亡くなった実兄が「河」に所属していて、さらに故里は富山だというので感激が一入だった方も居られました。
母の日や美しきことのみ憶えをり 梅田知子
つい最近、高齢のお母様を亡くされたとのことです。人生にはいろいろなことが起こって、長い間には、反発したり、対立したり、時には、ちょっと憎んだりしたこともあったかも知れません。しかし、今となっては、「美しきことのみ憶えをり」ときっぱりと言えるのが、作者にはうれしいのです。いつもこのような気持ちで生きていけたら、人生を豊かに過せるのではないでしょうか。
磴けはし登りきつたる青葉風 吉澤銚子
横浜・港の見ゆる丘公園吟行の折の句です。一気に上がる階段は、「前回の吟行では、エスカレーターで上がったので、今回は歩いて登りましょう!」という幹事菅澤氏の言葉に、内心「だいじょうぶかな・・・?」と思いましたが、この句の通りでほっといたしました。昨年はちょっと早すぎて見られなかった薔薇園はちょうど満開で、樟の大木からは風が吹く度にいい香りが辺り一面に漂ってきました。
清瀬句会には、八十歳越えのトリオがおられますが、みな至って元気なのには、まったく頭が下がります。港を一望に見下ろし、「二次会はあの辺りかしら?」と言うのもこのトリオから。まさに俳句人生を謳歌しておられます。
昏々と眠れる人へ初袷 大畠 薫
稲門句会の大畠正子氏が六月一日未明に亡くなられました。稲門句会発足の頃より、薫氏とともに参加して下さいました。健康を害されてからは誌上投句で勉強されて来られましたが、ご自身の身に添ったことどもを飾らない率直な言葉で五七五にされていらっしゃいました。
お姉さんの歯科医院をお手伝いされて独り身を通された正子氏を、年老いてからずっと面倒を見て来られた作者のご苦労も大変なことであったと推察いたします。
「袷」は、「綿貫」とも言い、初夏の「更衣」にこれを着るのを「初袷」といいます。
初袷ふらと出て行く息子かな 巌谷小波
「昏々と眠れる人へ」に、姉を思う作者のやさしさが心にしみる句となりました。合掌。
|