今月の秀句 大山雅由
暮早し一口説法力みなく 岩本晴子
この頃は、高齢化社会を反映して、世の中には「ぽっくり願望」が広くいきわたっているようです。口コミで伝わった霊験あらたかなぽっくり寺やぽっくり地蔵などには、貸切バスにのったお年寄りが押し寄せているようです。筆者も幼いころには、祖母に連れられてお祖師さまの日には、お寺で坊様のお説教を聞いてお菓子をもらった記憶がありますが、昔からお年寄りの気晴らしのひとつの形でもあるのでしょう。最近では、若い住職などが「お寺は文化の発信地」とばかりライブハウスばりのエンターテインメントを繰り広げるところも少なくないと聞きます。『美坊主図鑑』なるものさえあるそうですが、そんな寺でも、一口説法には、存外、生真面目な顔で若者が聞き入っているというから驚きます。
「暮早し」という季語の働きで、「力みなく」に納得がいきますし、人生のたそがれもチラと想起させる仕掛けとなっているのではないでしょうか。
マクベスも蜘蛛巣城も冬の霧 菅澤俊典
「蜘蛛巣城」は、一九五七(昭和三十二)年の三船敏郎・山田五十鈴出演の黒澤明監督の作品で、W・シェークスピアの「マクベス」を戦国の城取りに翻案したものです。一九四七(昭和二十二)年のオーソン・ウエルズ監督の「マクベス」と並ぶ傑作と言われています。この作品で世界的にも高い評価を受けましたが、三船と共演した山田五十鈴の浅茅のメーキャップは能面を思わせるところがあり、能を取り入れた演出でも大いに注目されました。映画の方は、DVDで鑑賞していただくこととして、その「マクベスも蜘蛛巣城も冬の霧」の中だと言っているのです。
秋の霧と異なって冬霧は、いっそう厚く重く垂れこめてきます。その中で、人間の悲喜劇が繰り返されていると作者は言っているのでしょう。
梵鐘や出羽の山なみ雪降り来 河合すえこ
出羽と言えば山形県ですが、おなじ山形でも山形市を中心とする村山地方、新庄の最上、米沢の置賜、酒田鶴岡の荘内とは、その風土文化というか肌合いが違うように感じられます。作者は、山形市での生活経験がおありのようですが、この梵鐘はどちらで耳にしたのでしょうか。
と、こんなことが気になるのは、このところ齋藤茂吉をまとめて読んでいるせいかもしれません。偶々荘内には何年か続けて伺うことがあったのですが、そこで聞く梵鐘と、茂吉の故郷上山(かみのやま)で聞く梵鐘には随分と違った響きがあるのではないか・・・と、ふと、思ったからです。そんなことを考えさせられ、今まで歩いて出会った景と人たちの誰彼を思い起こしてなつかしく感じました。
往生などあてにせぬなりとろろ汁 岩田 桂
先に、「ぽっくり願望」にふれましたが、作者は、そんな「往生などあてにせぬなり」ときっぱりと言っています。一寸先は誰にもわからない。そんなことは忘れて、精一杯この世を満喫していこうよと作者は言っているのです。山盛りの麦飯にとろろ汁をぶっかけて掻っ込むその食べっぷりまで浮かんでくるような気持ちのいい句になっています。
ところで、余談ですが、「とろろ汁」と言えば芭蕉に有名な句があります。元禄四(一六九一)年一月上旬、大津で乙州(おとくに)の江戸下向に際しての「はなむけ」の句です。
梅若菜丸子の宿のとろろ汁 芭蕉
笠あたらしき春の曙 乙州
この芭蕉の「とろろ汁」の句ですが、挨拶の句として、出立を言祝ぐ明るさにみちています。そんな風に読んでみると、いつも見ている句が、また、違った顔をみせてくれるのではないでしょうか。
鴨川の水なみなみと豊の秋 横山多加子
作者は、岡山の出身ではなかったでしょうか。「みな高齢になったので最後のクラス会に出かけてきます」とおっしゃっていましたから、その時の句でしょう。
場所はどのあたりでしょう。賀茂川と高野川が合流する糺の森のあたりでしょうか。河原からは大文字山も仰ぐことができます。
ところで、表記についてですが、この合流点より下では賀茂川は鴨川と名を変えます。昭和三十九年の河川法により名称が統一されました。因みに、上賀茂神社にたいしては下鴨神社であり、糺の森の奥にある河合神社の神官だったのが、下鴨神社の禰宜の子としてうまれ、『方丈記』を書いた鴨長明です。
「豊の秋」に「鴨川の水なみなみと」なるかどうか、実際のところは承知しません。しかし、作者のはずむ心が、鴨川の流れをそのように見たのです。
葡萄食むお世辞上手な男来て 山田泰造
なんとなくおかしみのある句です。作者は、中学校の校長から教育委員会を経て、教材関係の会社で第二の人生を送っておられます。この日も、いつもの業者がやってきました。軽口をたたきながらも、きっと商売上手な男なのでしょう。
そんな男を相手に、ちょっと距離を置きながらも、最近は、作者も調子を合わせることを覚えてきたのです。日常の一コマを、軽くスケッチしたという句ですが、作者がよく見えてくる句となりました。
上棚の毒薬天秤身にぞ入む 須賀智子
作者の家は、薬局を営んでおられたようです。今は使われなくなった毒薬を量る天秤が棚の上の方に埃をかぶっているのが目に入りました。薬局の天秤には調剤用の天秤を毒薬天秤があって、これはガラススケースの中で計量作業を行いました。化学天秤とも言ったようです。
昭和三十四年には尺貫法が廃止され、匁からグラムに単位が変わったのですから、それ以来、この秤は忘れられていたのかもしれません。その存在に久しぶりに気づいたのです。季語の「身にぞ入む」がよく効いた句になりました。
蓮根掘る海抜ゼロの表示板 きょうたけを
たしかに「蓮根掘」は、あまり標高のあるところでは見かけません。
筆者が目にしたのも、利根川流域の田や新潟の蒲原地方ですし、あの辺りでは、かつては田舟に乗って田植をしたくらい深い泥田だったようです。
何年か前に蓮見舟に乗った佐潟の「蓮根掘」を、一度見たいものと思っていますが、なかなかタイミングが合いません。
今では圧縮空気を送り込んで、蓮根を浮かせて採るようですが、利根川の近くでみた時には、深く腰を鎮めて鉤棒のようなものを使っていたのではないかと思います。泥だらけになって畦に這いあがってきた男は、すぐ傍の小川に腰まで浸かったかと思うと、荒縄をくるくると巻いたようなものでパッチをごしごし洗うと水を滴らせてさっと上ってきました。機械の導入によっていくらか楽になったとはいうものの、冷たい風にさらされての作業は、楽なものではないでしょう。そう言えば、不忍池の蓮はいつごろ採るのでしょう。これも大いに興味のあるところです。
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