今月の秀句 大山雅由
色変へぬ松や病院跡広し 髙崎啓子
多くの俳人、就中、石田波郷の過ごした旧東京療養所は、組織の改組とともに、広大な雑木林を整理し、近代的な高層病棟をもつ東京病院へと変わりました。松山と町名にもその名を残すように、多くの赤松林の中に点々とあった昔の木造病棟は、まったく姿を消しました。体力の回復に努め、清浄な空気を肺いっぱいに吸い込むための施設であった外気小屋もたった一棟を残すのみです。作者は、新病院への脱皮の時期に東京病院に勤務しておられました。昔の面影といえば、旧正門の辺りの林と奥の桜の園ばかりとなってしまいました。それでも、周囲には木々の多い場所ですから、「里紅葉」となってきました。変わっていくものと、変らぬものの中に立って作者の思いは複雑です。
波郷生誕百年・没後四十五年の年であれば尚更に、清瀬の療養所から出発していった多くの俳人や芸術家のことが、胸に浮かんでくるのです。
病む父を子の気遣うて時雨道 小川マキ
作者のご主人は癌の告知を受けたようです。平穏に過ごしてきた家族にとって、それはまさに青天の霹靂と言ってもいいでしょう。家族の必死な思いが、この間の俳句から伝わってきます。ご夫妻の間やお子さんとの間で、さまざまな思いが交錯し、時にぶつかり合い理解し合い、手を取り合って涙を流す場面もあったことでしょう。作者は、それを素直に五七五に詠んでおられます。
吸飲の影くつきりと秋没日
おかあさんと呼ぶ夫を看て菊日和
母と子と胸中語り温め酒
一月号にはこうした句が並びました。辛いとき苦しいときであっても、常に五七五と詠みつづけて行くことがなによりも肝要であることを、作者は私たちに教えてくれています。
皺の手に賞状受くる菊日和 内山玲子
第四回石田波郷俳句大会で、作者の作品は、井桁汀風子選に入賞しました。
嬋妍の仏の指や梅ひらく 玲子
第四回大会では、「隗」の関係者延べ二十名の方々が、特選や入選に入りました。日頃の研鑽の賜とよろこんでおります。
いつもきっちりとした句を見せてくださっている作者は、「そろそろ九十歳です。お邪魔になりませんか?」などと微笑まれますが、そんなことは決してありません。むしろ、その作品の若々しいのに驚かされもし、小金井句会のよきお手本となっておられます。これからもなお一層、皆をびっくりさせるような句をたくさん詠んでいって欲しいものです。
炊きあがるころにおいでよ零余子飯 小山洋子
口語俳句ですが、作者の人柄がよく出ていて、やさしい句となりました。
「零余子(むかご)」と言っても、最近は分からない方も多くなってきています。山芋の蔓の先についている小さな実ですが、それを摘んで食すなどということをするのも、俳人ならではのこと。秋になると、松花堂弁当などの端っこに爪楊枝に挿してちょこんと並んでいたりしますが、喰らえども名知らずで、気づかない向きもあることでしょう。
油で素揚げし、後でご飯にまぶすというやり方もあるようですが、炊き込みご飯にしたようです。その口調がそのまま、句になりました。常に口語では困りますが、年に一度くらい、こうした素直な句ができたなら許すことにいたしましょう。
べつたらや売り子の背にも麹花 中村 格
「べつたら」はべったら漬けのことで、十月の恵比寿講で売られる大根を塩と麹で下漬けして砂糖などでつけたもので、日本橋伝馬町の宝田恵比寿神社や新宿区の稲荷鬼王神社の名物となっています。歳時記には一項を立てていませんが、季語として扱ってもよいでしょう。威勢よく声をはりあげている売り子の背にも麹の花が飛び散ったと詠んでいます。いかにも商売の繁盛を願う恵比寿講らしい華やぎがあるではありませんか。
秋天の磐梯山を誇りけり 渡辺らん
作者は会津に縁をお持ちのようです。会津富士とも言われる磐梯山は会津の人々の誇りそのものようです。くっきりすっきりとした気持ちのいい句となりました。
殊に一昨年の三月十一日の東日本大震災の後の会津からは、まったく観光客が姿を消してしまい、ギャラリー活動を通じて多くの知人のいる会津のことはいつも気に掛っていました。NHKの大河ドラマが「八重の桜」というので、これで地元の観光が息を吹き返して欲しいものです。毎回楽しみに見ていますが、画面の向こう側にはいつも会津富士の姿が浮かんでいます。実際には、磐梯山は明治二十一(一八八八)年に噴火しているのですから、今の形の磐梯山が画面に出て来ると変なものなのですが、こればかりは致し方ありません。
冬ざれや山に木を植ゑ牡蠣漁師 永島正勝
冬ざれの山に牡蠣漁師が木を植えていると言っていますが、これはどうしたことなのでしょう。海のゆたかさは山のゆたかさと同義だ・・・というようなことをどこかで聞いたことがある気がします。山の木々がしっかりと地面に根を張って水をゆたかに貯え浄化して、その流れが山を下り、街を通って、河口に流れ込み湾内の養殖牡蠣を育てる、そんな循環があって漁師が山に木を植えるということになったのではないでしょうか。実際にそうしたことがあるのかどうかは詳らかにしませんが、少なくともそんな風に考えてみると、どことなく心まで豊かになったような気がしてくるではありませんか。今度作者に、その辺りのことをじっくりとお聞きしてみたいものです。
冬霧をまつ毛につけて逢ひに来し 上田公子
これはまた、何と作者らしい句でしょう。まつ毛に霧が凝っているなんて、本当にこんなことがあるものでしょうか。そんな詮索は要りません。他人がどう思おうとそう感じたのですから仕方ない。作者がここまできっぱりと言い切っているのです。認めないわけにはいきません。
山の夜を共に語らむ月の熊 長井 清
目の前に熊がいるわけではありません。作者は煌々たる月に向かい合いながら、昼に目にしたあの熊たちも、きっとこの月をみているに違いないと思いをめぐらしているのです。作者の眼裏に映じたイメージがこの句となりました。この山のどこからどこまで知っている作者だからこその句なのです。
一棹にして白鳥の来つつあり 岩田 桂
時折、作者の作品を朝日新聞の「俳壇」の欄で見かけます。機知にとんでいてなかなかよい句を出されていて、感心します。しかし、投稿句の傾向として、どうしても他者(或は選者)の目をどこかに意識して詠んでいるなと思うことがあります。その辺りを感じさせないようになってきたら、また、一段の進歩が望めましょう。
さて、この句ですが、そうしたはからいはまったくありません。単純にして明快でありながら過不足なく景が立ち上がってきます。しみじみとした佳句となりました。
|