今月の秀句 大山雅由
聖夜劇出番違へる羊の子 森井和子
キリスト教系の学園では、クリスマスにキリストの生誕や受難そして復活を分かりやすく説いた聖詩劇を演じたりするようです。この句では、きっと幼い子供の演じる羊の子が、思いもよらない場面に登場してしまったのでしょう。慌てふためく関係者とその父母そして観客の笑いなどが、読み手に伝わってくるようではありませんか。それを眺めて目を細めて「なんて可愛いらしい・・・」微笑んでいる人々の顔も浮かんできます。
上手くいっても、失敗しても、それはきっと神のご意志に違いないのです。
冬怒濤見てより生気甦り 玉井信子
作者が新潟から現住所に移られて、二年程になりましょうか。転居にともなういろいろなことが一段落してくると、新潟の気候や風土がなつかしくなるようです。句会帰りの道すがら、時折、「冬の新潟」への郷愁の言葉が聞かれます。新潟の新年句会に参加していますから、少し早めに着いて、態々、新潟の浜に出かけ冬の荒波を見に行ったのでしょう。
黒い雲が垂れ込めて佐渡も見えません。シベリアから吹き降ろす風は、大きな波を次々に吹き起し、立っていられないくらいに吹きつけてきます。でも、その冬の怒涛が、却って作者には心地よいのです。
一枚の冬波湾を蔽ふとや 高野素十
冬の濤見しが寝ねても身を撼りぬ 加藤楸邨
生まれ育ったこの荒々しい日本海の怒涛が、作者の身のうちを響動もしているのです。
小春日のこの遠耳の生返事 肥田木利子
作者は、このところとみにお耳が遠くなられたようです。それでも句会には精勤なさっておられ、時折、はっとするような切れ味のいい句を見せて下さいます。
この句、人を喰ったようなところがあって、なかなか俳味があります。
はいはい、わたしは、耳が遠うござんすからね。そんなこと言われたって、よくはわかりませんですよ。まァ、あなたのように、そんな面倒にお考えにならなくったってねェ・・・
はいはい、もう、そうなんです。みなさんの、おっしゃる通りなんですよ・・・と生返事のようでいて、本当はきちんと聞こえているのかな?
蛇口より汲む若水のほとばしり 黒川清虚
「若水」は元日の早暁に汲む水のことで、神棚に供えたり、福茶を沸かしたりするのに用います。
一睡のあと暁闇の若井汲む 福田甲子雄
若水のこぼれてひびく井筒かな 鷹羽狩行
若水や人汲み去れば又湛ふ 赤木格堂
右の例句のように、元来は、身なりを改め、厳粛な気持ちで井戸の水を汲むことを言ったのでしょうが、現代の都会生活のなかでは、それはムリな注文と言うべきでありましょう。こうした古典的な意味の「若水」を汲むことのできる人の、極めて稀な方々ではないでしょうか。すべてが安直になった現代人は、水道の蛇口をひねって元日の朝いちばんの水を「若水」と称して用いるしか手はありません。それでも、一瞬は、厳粛な気持ちになっていることは、確かなのです。
夜も更けて猫と毛布を分かち合ふ 富岡美和
「おひとりさま」という言葉が流行っているようですが、可愛がっている猫や犬のペットが、おひとりさまの心の癒しに役立っているということです。作者は絵筆をとったり、俳句を詠んだりと趣味に生きがいを見出しておられます。興がのってきて創作に没頭していると、つい時間を忘れて深夜に及ぶことも稀ではないのでしょう。足もとに愛猫がすりよってきます。一枚の毛布に一緒に包まっても、まだまだ作者の筆は休むことはありません。
あんぽ柿はるかに島の見え隠れ 猪口鈴枝
「あんぽ柿」は干し柿のことですが、単に干しただけの「干し柿」は乾燥して固くなり時間が経つと糖分の粉を白く吹くのに対し、「あんぽ柿」は渋柿を硫黄で燻蒸して乾燥させる独特の製法で作られ、羊羹のように半生で柔らかい仕上がりとなります。江戸時代には天干し柿(あまぼしがき)と呼んでいたのが、「あんぽ柿」となったようです、
「はるかに島」は佐渡でしょう。作者が干し柿を吊るしているのでもよいし、そういう場所から佐渡を望んだというのでもいいでしょう。
ところで、東京では、暖かすぎて干し柿には適していないという人がいますが、そんなことはありません。ただ、適当な渋柿を手にいれるのが、むずかしい。筆者は、米子市近郊で採れる渋柿を送ってもらって毎年楽しんでいます。皮を剥いたら、荷作り用のビニールの紐に吊るし、それを沸騰したたっぷりの湯に九十秒ほど潜らせます。そうすることによって、全体を殺菌し、そのまま引き上げて風通しのよいところに吊るしておけば、一週間ほどで立派な干し柿が出来上がります。あまり固くないのが好きだったら、やや透きとおったかと思う頃に、やわらかく揉んでやると、しっとりとやわらかな干し柿になります。これを冷凍庫に保存し、自然解凍すれば、真夏に干し柿を楽しむことも可能ですので、興味のある方は、一度お試しの程を。と、これは、脱線気味でしたが、揚句は、いかにも新潟らしい風土性に溢れた句となりました。
通ひ夫いささかなれて冬至かな 大畠 薫
「通ひ夫」とは、これは異なこと――種を明かせば、奥様が急な入院となり、愛妻家の作者は、その病院へ連日の「通ひ夫」となったのです。子供たちがそれぞれ家庭を構え独立し夫婦二人の生活となると、お互いに頼り頼られ、支え合わなくてはならなくなってきます。とは言え、「男子厨房に入らず」でやってきた身にとっては、なかなかに辛いものなのでしょう。それでも、「いささかなれて冬至かな」と言っているところから、南瓜の煮つけくらいはご自身で作ったのでしょうか。
恢復されて無事帰られた奥様を、きっと今よりも一層、大事になさっておられることでしょう.
晝も夜もひたすら手紙書く師走 西原瑛子
墨絵作家として、書家としての素晴らしい才能を発揮されておられる一方で、キリスト者として、様々な奉仕活動に積極的に活躍されておられる作者のバイタリテ―には、いつも驚かされます。ある時、「今日は句会を見学させてください」と言われて、にこやかに座っていた男性が、殺人罪で出所したばかりの人であったと後で聞かされて、見た目ではわからない人間の不思議さに唖然としたこともありました。
この句からも、年も押し詰まって、死刑判決を受けた受刑者や親族からも見放された人たちに「ひたすら手紙書く」作者の姿が浮き上がってきます。喜寿という年齢を感じさせないで、八面六臂(おっと、これは仏教の方で言うこと)の活動をする瑛子さんですが、くれぐれもお躰に注意して欲しいものと願って止みません。
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