今月の秀句 大山雅由
変哲の俳句大好き雪女郎 内山玲子
「変哲」とは、先ごろ鬼籍に入られた俳優小沢昭一のこと。大衆芸能の民俗学研究に独自の境地を切り拓いた俳優(わざをぎ)であり、「やなぎ句会」の主要メンバーでもありました。昨年の末に、『俳句で綴る 変哲半世紀』と題する本が岩波書店より刊行されました。その序文とも言うべき「変哲、またまた最敬礼」で、こんなふうに言っています。
今までに詠んだ句を集めましたら、およそ四千句にもなりました。改めて眺めてみ
ますと、どの句にも「自分」というものがチラチラと出ているように思えます。
いつも句会では、「あなたご自身はどこにいますか」というようなことを言いますが、「自分」というもののない句は味のない蒸留水のようなものです。一句一句は上手く仕立てられていても、作者の顔の見えない句は味気ないものです。
作者のお気に入りの句はどんなものだったのでしょうか。筆者の印象に残った句を、春の中から挙げてみました。
ゲバ棒の落ち目の春のにが笑ひ 惜春やどつと笑いし香具師の輪
春の灯や故国を捨てし皿の芸 まずは葉の香りを吸いて桜餅
野遊びや次男の嫁になるひとも まだ生きている一服や春隣
鮟鱇や嘘かまことか進化論 遠藤真太郎
「鮟鱇」という魚は、見れば見るほどに、妙なヤツだと思えてきます。頭は扁平で大きく、口は馬鹿でかい。「鮟鱇の餌待ち」といって、忍者のように周りの岩に体の色を溶け込ませ、鰭の変形した頭上の房状のもので小魚を誘い込んでぱくりとやるとか。海底の環境に順応してあのような姿かたちになったのだと説明されても、ちょっと懐疑的になっている作者が、ここには、います。「本当かいな・・・まるで動物園のナマケモノのようだけれど、あっちはいかにもその名のように、もそもそと動くが、こいつは、もっと獰猛そうだ・・・」とでも考えているのでしょう。
鮟鱇の腹たぶたぶと曳かれゆく 角川照子
漁師の手に曳かれてゆく鮟鱇が、リアルに描かれて、魚市場の喧騒まで聞えてくるようです。
鬼やらひ北京煙霧に鬼隠れ 赤池秀夫
「鬼はらひ」「追儺」はもともと中国から宮中に伝わり、かつては大晦日に行われていたのが、農村の予祝の行事であった豆撒きと習合して今の形になったようです。中国の追儺はどのように行われるのは分かりませんが、北京に滞在中の作者は、あの追い払われた鬼たちは、悪名高い北京のスモッグの中に隠れてしまっているに違いないと言っています。かつての東京や京浜工業地帯・四日市など各地の大気汚染も相当ひどいものであったと思いますが、それに比しても今の中国のそれは言いようの無いほど酷いもののようです。
今年は、例年以上に花粉症がひどいという人が多いようですが、これもPM何とやらの所為なのでしょうか。
餅花のひとつは鳥の形して 逸見 貴
「餅花」は、柳や榎・桑などの枝に餅や団子をつけて神棚近くに飾ったもの。養蚕のさかんな地での小正月に行われる予祝の行事で、「繭玉」と呼ばれるのは、枝につけた団子が繭の形になっていたから。筆者の子どものころには、神棚と言わず部屋や三和土の土間にも飾る家があったように記憶しています。子供たちにとってもたのしい行事の一つでした。
最近はこうした行事も姿を消しつつあり、郷土博物館などでは、伝承遊びの中でこうした行事を伝えていこうとしているようです。
「ひとつは鳥の形して」というのは、誰かの遊び心が、鳥の形を作り上げてしまったのかも知れません。この句の作者は、そこにふっと目が行ったのです。
さくさくと生きて仮の世名残空 森山蝶二
「さくさく」という擬態語ですが、最近の若い人たちは、「このパソコンはさくさくといかない」とか「ハードデイスクを大容量にしたら、さくさくと動くようになってさ」などと使う例もあって、どうやら「さっさと」と言ったニュアンスがあるような気もしています。元来は、雪・砂・粉などが踏まれたり混ぜ合わされたりして崩れる時の軽快な連続音。また、そのさま(広辞苑)を言うようです。
「軽快に生きて(またはさっさっと・或は、たんたんと生きても)この世は仮の世だなァ、この名残空を見上げるにつけても・・・」と、受け取りかたで、かなりニュアンスが違ったものになってくる句のようです。もっとも、そこがこの作者のねらい目でもあるわけなのですが・・・
「名残空」はあまり目にすることのない季語ですが、大晦日の午後の空と考えればよいでしょう。その空を、作者は、ある種の無常観を抱きながら見上げているのです。
故郷を持ち寄りどんど焼点火 永島正勝
「どんど(焼き)」「とんど」は囃子言葉からきたもので、小正月に山のように積んだ松飾や手習いなどを燃やす行事のこと。「左義長」とも言います。これは、三毬杖とも書いたようですが、「毬杖(ぎちょう)」とは、祝の棒のことで、これを三本の木または竹で結い三脚のようにして立て、それに松飾や手習いなどを巻きつけるようにして最後に注連縄をめぐらしたりして火を放ち、焚き上げるようにしてお正月さまを空に帰すという民間の習俗が結びつきました。
ここでは、それぞれ異なった故郷を持つ住人たちが、その土地特有の正月飾りを持ち寄って「どんど焼」に火を放ったのです。「故郷を持ち寄り」というのが、効かせ処となりました。
大病をさらりと書ける賀状かな 柾谷榮吾
人生八十年の時代とは言っても、ある年齢をすぎると、どこかしらに「がたつき」は来るもので、生活習慣病とでもいうのか、病と折り合いを付けて上手に付き合っていくのが大事になのだといった心境になってきます。筆者も、血糖値に注意しながら、一病息災を心掛けたいと思っていますが、裏返した賀状の隅に何気なく大病のことが掛れていたりすると、一瞬唖然とさせられます。作者も、そんな思いでこの句を詠まれたのでしょう。
その賀状の主の人柄を想像させられる句でもあります。
群れ離れ鴉水浴ぶ寒桜 儀賀洋子
大仰なことは何も言って這いませんが、寒日和の光景を彷彿させられます。どこまでも蒼く晴れわたった空、つまり関東の空でなければ、こうはいきません。水浴びする鴉の立てる水しぶきがまぶしいくらいです。「群れ離れ」と言ったところに、作者のちょっとした屈託があって、それがこの句の「効かせところ」でもありましょう。
歯科医師の腕のすき間や冬の空 山口文美
これは、またなんという面白いところに目を付けたものでしょう。ズキズキと痛む歯の治療に行って、歯科医の腕の隙間から冬の空を見上げたというのです。こんな時、こんな意外な空間を発見したという点が、この句のすべてでしょう。どんなときにも、俳句になるものですね。
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