今月の秀句 大山雅由
尾白鷲俄かに空の狭くなり 須賀智子
猛禽類のなかでは一番大きいのが鷲だそうです。鷹狩の行事から冬季の季題となっていますが、その厳しい姿はいかにも冬に相応しいのではないでしょうか。古くから歌の題材ともなっています。
風たちて沢辺にかけるはやぶさの
はやくも秋の景色なるかな 藤原定家
すだか渡るはゝこが崎をうたがひて
猶木にかへる山烏かな 西行
青空や鷹の羽せゝる岡の松 鬼貫
鷹一つ見つけてうれし伊良古崎 芭蕉
鷹の面きびしく老いて哀れなり 村上鬼城
大鷲の嘴にありたあるぬけ毛かな 高浜虚子
檻の鷲さびしくなれば羽搏つかも 石田波郷
実際に目にする機会が少ないのか、誌上にはあまり鷹や鷲の句が見られませんのでやや多めに挙げてみました。雁吟行でも見かけましたが、注意深く観察していると、さまざまな猛禽類は私たちの身近に見ることできるので、積極的に挑戦してみたいものです。
作者は、福島潟で実際にご覧になったのでしょう。いままでのんびりと飛び回っていた鴨や雁は、鷲や鷹の影を見るとたちまち、さっと空には緊張が走って、あたふたと群れを作り直し、水面に散らばっていた群はかたまってしまいます。
「俄かに空の狭くなり」という断定にその緊張感が実によく表されています。
斑雪土手の葎のきつね色 遠藤 忍
高く積もっていた雪が次第に斑となっていく雪解けの様子がよくわかります。
それまでは一面の雪の原だったのですが、木や草のあるところから雪は解け始めていきます。これが「雪間」です。すでにまぶしい春の光跳ねています。そのなかに、ひときわきつね色の枯が目を引きます。去年の枯葎が黄金色に輝いているのです。これも遅い春を待ちわびた新潟ならではの句ではないでしょうか。
二の丸の消防訓練春近し 吉沢まゆみ
「二の丸」は皇居東御苑の一部で、かつては将軍の別邸やお世継ぎの館があった場所で慶応三年に焼失しました。庭園は小堀遠州によると伝えられています。
「火事と喧嘩は江戸の華」と言いますが、それだけ江戸は火事が多かったのです。木材と紙でできていた江戸の町ですから、お城・武家屋敷にかぎらず町屋であろうが何であろうが、ひとたび出火したらそれこそ大変な騒ぎです。火は風を呼び、風はいっそう火を煽り立てて、またたくまに燃え広がります。江戸の町は四年に一度は大火に見舞われました。つまり四年たったら、江戸全体が新しくなっていたという訳なのです。だから当時の大金持ちはほとんどが材木屋から身を起こした者が多かったのも頷けるというものです。
時代が変わっても火の恐ろしさは少しも変わりません。まして畏きあたりから出火しては一大事です。消防訓練は緊張感につつまれていたに違いありません。それを偶々作者は目にしたのでしょう。或は「出初式」だったのでしょうか。その緊張感とはうらはらに春の訪れを感じていたのです。あかるい光に満ちた光景が浮かんできます。
イースター良き師良き友本の虫 遠藤真太郎
「イースター」復活祭はキリストの復活を祝う大事な日です。春分のあとの満月の日の次の日曜日が当てられますので、年によって違ってきますが、四月の行事です。
さて、前書きには「蝶二氏に」とあります。貴龍堂森山蝶二氏は療養の為に、しばらくの休会を余儀なくされております。その蝶二氏に作者は呼び掛けているのです。あなたは「良き師良き友本の虫です」と。人懐こくて誰にでも親切な蝶二氏の健康をみんなが心配し、早く戻ってきてくれることを祈っています。作者はみんなの願いを五七五に詠んでくれました。
毛皮着る夫人脱ぎどき心得て 金田典子
これは、女性の目から毛皮の女性をずばりと捉えた句と言えましょう。はっとさせるような表現が印象に残ります。
はなやかに着飾った女性が、身ごなしのたびに衆目の目を集め、また、その視線を十分に意識しつつ、まさに「脱ぎどき心得て」の所作には同性の目からしても、心憎いばかりの演出が感じられたのでしょう。シニカルな目で見ているのではなく、直截に感じた所をさっと詠み止めたところが成功したと言えるでしょう。
春塵や思ひの丈の吹き溜まり 山口里奈
こちらも若い女性らしい作品です。若い時には、その時にしか詠めない世界というものがあります。異性と出会い、恋をし、時には恋を失い、さらに恋を得て結婚し、子を持ち育てともに成長していくその過程を五七五に詠み重ねていくことができるというのは、若さならではのことと言えましょう。
指先の記憶辿りて冬満月 (三月号)
けだものの心欲しくて毛皮巻き (四月号)
謗らるる方が好きなり寒鴉 (四月号)
恋猫のまなこ眇めて去りにけり (五月号)
このところの作者の俳句は、自分の内面をよく五七五に詠み止めています。このまま素直に詠み進んで行ったら「里奈の世界」が自然に出来上がっていくことでしょう。
胸白き若きかもめや春の潮 西原瑛子
作者は、喜寿を過ぎて、キリスト者としてのご自身を追い求め、大学で若き学徒と席を並べて学んでいるようです。ギリシア語で聖書を読むため、英語で文法書を読む必要があるとおっしゃっていましたが、原典で聖書を読みたいとの一心からなのです。その挑戦する心にはまったく頭が下がります。
その高揚した気持ちが「胸白き若きかもめ」となりました。
けふ我の誕生日なり花祭 森 廣子
独り暮らしをしておられた作者は、娘さんと一緒にお住まいになって清瀬を離れられたようです。老いや病は避けようもなくやってきますが、それを受け入れて、共に生きていこうとするのが、俳句という文芸のめでたさでありましょう。
今日はお誕生日です。しかもお釈迦様といっしょなのですから、これほどおめでたい誕生日はありません。離れてはいても連中の心は、眼差しはいつもあなたに向けられています。いつまでも句作りができるように心を平らかに持って日々を送っていきましょう。
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