今月の秀句 大山雅由 2・21行
黄沙降る小声に歌ふ反戦歌 荒井和子
黄沙は、中国内陸部のタクラマカンやゴビの砂漠さらに乾燥地帯の砂塵が強風によって巻き上げられたもの。大陸では黄塵万丈となり、それが偏西風に乗って日本にやってきます。気象用語としては黄砂と書きます。
気が付くと、朝の車の上が真黄色になっていて驚かされます。かつては遠くはるばると運ばれてきたのだと感慨に浸ったものですが、そんなのどかな空想は昔話になりつつあるようです。昨今では、これに様々な大気汚染物質が結合したPM2・5という厄介なものになると聞きます。
一方、このところ憲法改正論議も盛んになってきている折、首相が戦闘服に身を固め戦車に乗り込む写真が配信されるような事も起きています。
昭和二十二年生まれの筆者は、昭和三十七年に中学三年生でした。そのときの担任だったM先生は、「若い君たちを二度と戦場に送ってはならない。この憲法はそう言っているのだ」と熱く語ったことを思い出します。かつて教え子を戦場に見送った苦い経験があったのでしょう。
どこかきな臭いものがひたひたと迫ってきているのを作者は感じているのです。子どもたちを育ててきた母親として、またかつての教師としての思いがこの句を生んだのではないでしょうか。
虫出しやあすは小雪の混じるらし 長井 清
「虫出し」は、立春のあとに初めて鳴る雷を「春の雷」と言い、啓蟄の頃に鳴るのが多いことから「虫出しの雷」とも言ったようで、西鶴の「好色五人女」にも用例が見られます。「子規時代には「春の雷」「初雷」の作例も見られるが、「春雷」と音読して詠むようになったのは、虚子以降か。その音感が近代俳人たちに好まれたからである」(『日本大歳時記 春』講談社)と山本健吉は記していますが、季節のうつろいを示した季語として、もっと取り上げられてもよいのではないでしょうか。
虫出しやささくれだちし水の面 岸田稚魚
虫出しや山頂へ眉張り通す 吉田鴻司
右の句に対しても決して引けをとらない立派な句と言えましょう。
赤子抱く若き男や風光る 儀賀洋子
最近は、育児をする若い父親を「育メン」と言うのだとか。みずから進んで育児に携わろうとする若い父親はもてもてで、時にはマスコミにも取り上げられモデル並みの人気を博する者もあると聞きます。もっとも「イケメン」との掛け言葉のようなニュアンスで言われ始めたようですから、上手におだてて子育てに参加させようという女性たちの遠謀のような気がしないではありません。
作者は、そういう若い父親を好ましく応援したい気にもなっているのでしょう。あるいは、この父親はご子息でもあるのでしょうか。さわやかな句になりました。
隗創刊号を再読花の下 佐山 勲
作者は、このところ、「隗」誌を創刊号から丹念に再読されておられるとのことです。
で、一言。「隗って、こんなにいい俳誌だっのですね!」だって。だから、だから、そう言っていたでしょう。俳句を本格的に勉強するなら、先ず、「隗」誌をしっかり読みなさいって。・・・もう、何も言うことはありません。
花盛り子規球場に声あがる 木林万里
子規球場とは、上野の文化会館の脇にある正岡子規記念球場のこと。もっぱら草野球のグランドとして使われ、東京都が管理しています。子規が野球の愛好家で、松山に帰ったときにも碧虚らを相手にベースボールに興じたと言われていますが、随筆「筆まかせ」明治二十三年三月二十一日の条には博物館近くの空地で捕手をつとめたと書かれています。
上野の山のお花見で、偶然に見かけた景でしょうが、いい拾い物をしました。じっと部屋にこもって句作りするのも一つの方法でしょうが、自身の目で見た強さというのは何物にも代えがたいものです。明るく気持ちのいい句となりました。
春風や大筆枠を跳びだして 杉田陽子
前後を見ますと、知人の書家の作品を目にしての句のようです。あるいは、実際に製作の場に立ち会ったのかも知れません。
大筆に腕振る漢春の風 陽子
気迫のこもった筆遣いで一気に書き上げるその勢いが、そのまま作者の句に乗り移ったような作品になりました。
学校の山羊にとどくや卒業歌 渡辺らん
近年、家畜と共に生活をするという場面に出会うことが少なくなってきましたが、田舎の小学校での景でしょうか。今まさに卒業式の最中です。卒業歌とはあっても、この節、「蛍の光」ではないでしょう。卒業歌にも、その折々に流行りがあるそうですが、そんなこととは知るすべもなく山羊はのんびりと草を食んでいます。
犬や山羊などの動物が子どもたちの情操をゆたかにすると聞きますが、苦しい時やかなしい時、きっとこの山羊さんは子どもたちの昂ぶる感情をやさしく受け止めてくれたことでしょう。
花筏かき分け上る作業船 山内直之
池の面や小流れの花筏はよく詠まれますが、こちらは労働と密着した花筏となりました。一読、隅田川か皇居のお堀のような場所が浮かびます。
多くの人が花に浮かれて繰り出しますが、仕事の人たちに時は待ってくれません。「作業船」を目に追う作者は、また、土木技師でもあります。その心理の微妙な陰影が一句の奥行きとなりました。
火渡りの行者の呪文春霞 赤池秀夫
各地の修験道の地には、春の山開きに火渡りの行事を行うところがあるようです。護摩壇に火を放ち祝詞が奏上され、護摩壇の火がおさまったところで、山伏が火渡りを行います。熱さに堪え、気迫を込めて呪文が繰り返されます。所によっては、参詣の人たちもこれに参加できるようです。
清浄感と勇壮感にあふれたこの行事によって、春の到来と山入りのよろこびは一気に昂っていくのです。
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