2013
今月の秀句10月

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今月の秀句             大山雅由  

 

走り梅雨蛇笏の里の通し鴨      田中 穣

 

山梨県笛吹市の境川、盆地の中のひっそりとした佇まいが飯田蛇笏の生家、山蘆です。家の裏には、小川がながれていて自然とここで作られたいくつかの句が浮かんできます。

 

秋たつや川瀬にまじる風の音    蛇笏

冬滝のきけば相つぐこだまかな   蛇笏

大寒の一戸も隠れなき故郷     龍太

一月の川一月の谷の中       龍太

 

作者は、蛇笏龍太の面影を求めて、この山間の家を訪れたのでしょう。現在のご当主は俳句にはかかわっておられないようですので、山盧を門外から眺めるだけのことですが、それでも作者は十分に満足なのです。

梅雨に入ったばかりのことでもあり、小川には通し鴨が見られました。それもまた、作者にとってはうれしきことのひとつだったのです。

 

芭蕉玉解きて小蝦の跳ぬる音        玉井信子

 

「芭蕉玉解く」頃と言えば、初夏から梅雨に入ったと思われるころでしょう。芭蕉の葉のみずみずしさと小川に跳ねる小エビとの取り合わせとは、恐れ入った視点の据え方です。一見、古俳句の趣さえ見せるほどのよろしさがあります。

 

玉ときし芭蕉と塔と目には見ゆ    秋櫻子

真白な風に玉解く芭蕉かな      茅舎

 

常日頃から、俳句に没頭していなければ、こういう句は生まれるものではありません。作者の日頃の精進のたまものと言えましょう。

 

まなうらに持ちて帰らむ螢の火    森田京子

 

いっときは、蛍を見るのが難しかったようですが、過度な農薬の使用が抑えられるようになって、あちらこちらで復活が目指されているようです。

しかし、蛍復活にはさまざまな条件があってなかなか思うようには進まないと聞きます。水の問題や餌になるカワニナの入手も大変な様子で、中には外来のカワニナを騙されて押し付けられたなどういうけしからぬ事態さえも引き起こされているようです。外来種のカワニナは蛍の幼虫の餌にはならないのです。

ある日の句会の後で、蛍狩りの話になり、なんとかしてたくさんの蛍を見たいという声を聞きました。清瀬の蛍はビオトープの草むらに二・三匹の淡い光を見ただけだったというのです。栃木県足利市のホタルの里、名草に出掛けることにしました。

史跡・足利学校をちらとかすめながら車は田中の道を進みます。目標物らしきものはまったくありません。道に迷ったかなと不安になるころに雪洞の灯が見えました。そこからは脇道に逸れ、くねくねとしばらく農道を走ると、突然、人影が現れて懐中電灯で誘導されました。

十年ほど前、お元気だった照子先生白陶先生とともに訪れたときには、九時ごろになって山の際や小川から一斉に蛍が飛び立ち、わたしたちの髪にも蛍が降り立ちました。その景が脳裏によみがえったのですが、その夜は、思ったほどの数はでませんでした。

しかし、清瀬から行ったみんなの目には、思っていたよりも数多くの蛍だったようで、感動の声が聞かれました。

「まなうらに持ちて帰らむ」は、その夜の誰もが持った思いだったのです。

 

老いてなほ羽化するつもり更衣    内山玲子

 

かつて、更衣は、陰暦の四月朔日(ついたち)(綿抜の朔日)と十月朔日(後の更衣)と決められていたのですが、昨今は空調設備のお陰で綿入れなどは、日常生活から姿を消してしまったようです。(寒がりの筆者は寒さがつのってくると未だに家では綿入を来て、エアコンはあまり使わないようにしています。)

 

夏くれば衣がへして山賤の

うつぎ垣根もしらがさねなり    藤原俊成

けふははやみあれの月のはじめとて

神の社も衣がへせり    藤原信実

すゞかけも空もすがしき更衣          石田波郷

 

ここでは、初夏のものみな動き出す季節への存問と新生・再生の思いが詠われています。殊に波郷の句は、夏服に着替えた心地よさと青春のみずみずしい抒情が詠い上げられています。

作者は、「老いてなほ羽化するつもり」と、その精神はまだまだ若々しく在りたいものと強く願っているのです。

 

領巾を振る別れは遠し花菖蒲     須賀智子

 

往古、女性が肩から掛けた布のことを「領巾(ひれ)」と呼び、害虫・毒蛇などを払う呪力があると信じられていました。その「領巾を振る」とは、それを振ることで人を招き、或は、別れを惜しむことを意味するようになりました。

名高い松浦佐用姫伝説を見てみましょう。

五三七年、任那・百済を救援するため軍を率いてこの松浦の地にやってきた名門大伴氏の狭手彦(さでひこ)は、軍をとどめている間に、土地の長者の娘「佐用姫」と夫婦の契りを結びました。りりしき美男と絶世の美女とのお話です。出船の日、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山へ駆け登り、身にまとっていた領巾を必死に打ち振ります。しかし、その甲斐なく、軍船は次第に遠ざかり小さくなって行きます。狂気のようになった佐用姫はうずくまり、七日七晩泣き続けてとうとう石になってしまったのです。

 

万代に語り継げとしこの岳に

領巾振りけらし松浦佐用姫(万葉集八七三)

海原の沖行く船を帰れとか

領巾振らしけむ松浦佐用姫(万葉集八七四)

 

作者に、このような悲恋があったのかどうかは知りませんが、ここで「領巾を振る」と言っているのは、おそらくハンカチを振って別れた青春の日のことでもありましょうか。

花菖蒲のあの白い花を見たときに、一瞬、その別れの光景が作者の脳裏をよぎったのでしょう。

 

涼しさや入江に七つ星確か      永島正勝

 

「ヨットマン」正勝氏は、今日はどのあたりを航海しているのでしょうか。インターネット上の「西日本航海記」はかなりの数のヒットを重ねていると聞き及びます。

メールで送られてきた海をテーマにした俳句もおびただしい数となってきています。海をテーマに句をまとめてみたら面白いものになるでしょう。

どこかの島の入江に停泊して北斗七星を見上げている作者の姿がくっきりと浮かんできます。「涼しさや」の季語がよくひびいて気持ちのよい句となりました。

 

新盆や職業欄は未亡人        遠藤真太郎

 

ひと口に「盆・暮れ」と言いますが、「盆」は、日本人にとっては大きな年中行事の一つでした。

近頃は夏の休暇のための道路渋滞が話題になるくらいで、本来の「祖先を祭る」という意味が薄れつつあるのは、現代生活の忙しさの中にあっては仕方のないことなのかも知れません。

特に「新盆」は、「はつぼん、あらぼん、しんぼん」とも言い、田舎では「今年は誰々のところはしんぼんだから、必ず行かなくは・・・」などと言ったものでした。

ところで、この句ですが、実に人を喰ったような句ではありませんか。勿論、傍から見て詠んだものでしょうが、本当に「未亡人」と書いたかどうかはともかく、何ともおかしみのある句となりました。