頂天眼は明治36年に中国から日本に紹介された金魚であり、箕作佳吉博士によって名付けられた。数ある金魚の中でも、この品種は水泡眼と並んで中国金魚の傑作と呼んで良いと思う。一般に流通する頂天眼は品質が今一つのものが多いが、本当に質の良い頂天眼は、決して見飽きることのない独特の魅力がある。

 私がこの品種に初めて出会ったのは昭和58年頃、札幌の五番館西武デパートであったが、今にしてみれば何の変哲もない普通の頂天眼だったものの、憧れの品種の一つだったので「これが頂天眼か」と軽い感動を覚えた記憶がある。それにしても、一体どうすればこんなに奇抜な金魚を創ることが出来たのだろうか。神戸生まれの作家、陳舜臣の小説「闇の金魚」は19世紀末〜20世紀初頭、辛亥革命で清朝が倒れ、革命勢力が台頭するの中国の激動の歴史を描いたもので、私も読んだことがあるのだが、その中で主人公の童承庭と革命家の青年、徐友岳とのやりとりにこんな一節がある。...童承庭はベンチに腰をおろした、宿舎の庭の隅である。大きな桶が置いてあった。高さ80センチで、直径は1メートルもあろうか。それには蓋がかぶせてあったが、蓋の中央に小さな穴があいている。童承庭は、最初、これがなにであるかわからなかった。ある日、彼が庭を散歩していると、徐友岳がその桶の蓋の穴に、なにやら突っ込んでいるのが見えた。「何をしているんですか?」と、童承庭は訊いた。「餌をやっているんだよ」徐友岳は振り返って、にっこり笑った。「餌?何を飼っているんですか?」「金魚さ」そう答えて、徐友岳は片手に持った紙袋から、パン屑のようなものをつまみ出して、例の穴から落とした。「その穴は、餌を入れるためでしたか」直径2センチばかりの小穴の用途が、やっと分かった気がした。ところが、相手は、「ま、餌入れを兼ねてはいるがね」と答えた。...「じゃ、その穴は?......それよりも、いったい金魚を飼うのに、どうして蓋なんかするんですか?いつも蓋をしているようですが、金魚に日光は要らないのですか?」彼がそう訊くと、相手は嬉しそうな表情になった。......「金魚にだって、日光が要らないということはない」「では、どうして蓋を?」と、童承庭は訊いた。...「珍種の金魚をつくっている」徐友岳は、おごそかといってよい口調で答えた。「珍種というと?」「お目にかけよう」徐友岳は、桶の蓋をはずした。...桶の中には水は半分ほどしか入っていない。その浅い水が、はげしく揺れた。.....黒い金魚であった。何匹いるのかわからないが、みんないっせいに、身をよじるように水をはねていた。「どうだね?」徐友岳は得意気に言った。......「変わっているだろう?」と、そばから徐友岳が言った。......「妙なところに目玉がついているなぁ......」「おもしろいだろう?」徐友岳の口調は、ずいぶんと押しつけがましい。......桶の中のの金魚は、背中に目玉をつけていた。金魚の口と尻尾の、ちょうど中間のあたりに、二つの目玉を、寄せ合わせるようにつけている。なんともグロテスクなのだ。「この種の金魚をつくるには、何代にもわたって、闇の中に閉じこめておかねばならんのだ。しかも、栄養はたっぷり与えなければ、すぐに死んでしまう。餌にはずいぶん工夫したものだ。」徐友岳は、餌の入った紙袋を、自分の鼻先に持ってきて、そう言った。「ほう、餌に工夫すれば、目玉が背中のほうにずり落ちるのですか?」と、童承庭は訊いた。「いや、目玉は餌のせいじゃない。蓋だよ、蓋の穴。......この桶のなかの闇は、一条だけ光がさしこむ。細い光線だ。この穴からね。生物というものは、向日葵みたいに、光のほうに向かうんだ。目玉のある動物は、その目玉を光に向ける。一条の光は、ほとんどまっすぐにさしこむ。その光をとらえやすくするために、桶のなかの金魚は、一代ごとに目玉をうしろ、......つまり背中のほうに移動させる。......ずいぶん手塩にかけたが、どうやら苦労が報われたよ」.....

 .闇の金魚は小説であるし、闇の中で何代にも渡って改良すれば目玉が上に向くのかと言われれば疑問がある。実際はマルコか赤出目金の突然変異を改良したものだろうと思うのだが、いずれにしても、中国人の奇抜なものを追求する執念のようなものを感じずにはいられない。この金魚をじっくりと観察していると、道化師のような可笑しさのなかに、心なしかどことなく悲しげな表情を見てとることができる。金魚にとっては酷だけれど、頂天眼が見せる一見ひょうきんでありながらどこか悲しげな表情は、他の金魚にはない魅力の一つと言えるかもしれない。

・頂天眼について
・頂天眼各種

日本では水泡眼に比べて人気は今一つだが、それは優秀な頂天眼の流通が極端に少ないことも理由として挙げられるのではないかと思う。下の画像のような頂天眼が沢山流通するようになれば、この品種ももっと評価されるようになるのではないだろうか。

昭和40年代に発行された金魚の飼育本には。左の画像のような素晴らしい頂天眼がしばしば紹介されている。現在出回っている頂天眼は目が上を向いている以外は長手、細身で橙黄色の今一つぱっとしない印象の個体が多いが、この画像のようにやや胴がつまっていて、尾鰭が長い魚が本来の頂天眼の姿ではないかと思う。(松井佳一著 昭和43年発行「金魚と錦鯉」より)

キャリコ模様の頂天眼はかなり早くから作出が試みられていて、この画像の魚のように相当完成度の高い個体が作出されたこともあったようだが、残念ながら現在のところ一般に広く流通するまでには至っていない。キャリコ水泡眼のように一般に流通するようになれば人気品種になる可能性は充分にありそうだ。(松井佳一著「金魚大鑑」より)

素赤の頂天眼だが胴が詰まっていて、現在流通しているものとはだいぶ趣が異なる。(フィッシュマガジン1974年11月号より)

上の画像と同魚。このような立派な魚がもっと出回るようになれば、頂天眼の愛好家ももっと増えるに違いない。

現在一般的に良く見かけるタイプの魚。