・朱分金について

 この品種は明治25年に、初代秋山吉五郎氏が三色出目金とフナ尾の和金及びヒブナの雌雄3種の自由交雑によって得た稚魚のうち、モザイク透明鱗性で雑色性の体色を持った長いフナ尾の稚魚を基礎として、選別淘汰を繰り返して作出したもので、明治33年に当時農商務省水産講習所長だった松原新之助氏によって命名され、明治35年に発表されたといわれている。体色はキャリコと同様、浅葱色を主体として明るい赤と、黒い斑点が混じり、全体的に明るい色調で、尾鰭にも黒い斑点や縞模様が入る個体が良いとされている。最近の朱文錦は色彩的に極端に変わった個体は混じることが少なくなり、ほぼ均一であるが、かつてはたまに更紗の透明鱗の個体が混じっていることがあって、金魚を飼い始めたばかりの頃はそれが珍しくて、朱文錦の入った水槽を覗く度にそういった個体を探したものだった。その当時から知らず知らずのうちに金魚の持つ品種の多様性に惹かれていたのだと思うが、透明鱗性の金魚は朱文錦に限らず黒目が大きい魚が少なからずいて、普通鱗の金魚にはない独特の雰囲気が子供心にも何とも神秘的に見えたものである。更紗で透明鱗の朱文錦は現在ではスケルトンコメット等と呼ばれて別腫として販売されていることが多いようだ。