・土佐錦魚について

 土佐金(土佐錦魚)はその名のとおり高知県で生まれた金魚で、昭和44年に高知県の天然記念物に指定された品種である。弘化2年(1845年)に須賀克三郎氏が大阪らんちゅうと琉金の交配により作出し、その後長男の須賀亀太郎氏を中心に更に品種の固定と改良に努力した結果、今日の美しい土佐金があるといわれている。飼育の難しい金魚としても有名であるが、その理由として、昭和21年の南海大震災で数が激減し、僅かに生き残った3歳魚2匹と2歳魚4匹の計6匹が田村広衛氏によって発見され、それが今日の土佐金の土台になっていることが挙げられると思う。私も、様々な金魚を飼って、それなりに飼育に自信がつきはじめた頃にこの金魚を飼育したのだが、当時は土佐金の飼育に関する情報はほとんど無いに等しい時代だったので、最初に購入した土佐金は購入後僅か一週間で死なせてしまい、随分自信を無くした記憶がある。その後も何度か購入しては短期間で死なせてしまうことを何度か繰り返した。短期間で死なせてしまったことへのショックは勿論大きかったが、当時の土佐金は今よりもずっと高くて、金銭的なダメージも非常に大きかった。何とか殺さずに飼えるようになったのはそれから何年も経ってからだったのだが、時を同じくして土佐金の愛好家で有名なT氏の本が出版された。実際にT氏を訪ねて稚魚を分譲して貰いに伺ったことがあるのだが、その飼育規模と泳いでいる魚の素晴らしさには感動を通り越してただただ唖然とする他なかった。そこには自分がそれまで土佐金に対して感じていたひ弱さ、虚弱さといったものは微塵も感じられず、どの魚も夏の強い日差しを浴びながら元気にミジンコを追いかけていた。弱いと言われている土佐金も、本来は外で飼育されてきた魚なのだから、室内の水槽で過保護過ぎるほど大切に飼育するのは、むしろ不自然な飼い方なのだとそのとき初めて気が付いたような気がした。水槽飼育を止めて船飼育に切り替えて、上から見た金魚の美しさ、奥深さに気が付いたのも丁度この頃だったと思う。「土佐金は、北海道では無理ですから。」初めてT氏と電話でお話ししたときにそう言われ、ずいぶんそっけないことを言う人だなと思ったものだが、今となってはその言葉の意味が良く分かる気がする。消化器官が弱いことや、特殊な尾鰭の為にひっくり返り易いこと等、寒冷地で飼育するのにこれほど向いていない魚もいないが、そういった不利な条件を克服してでも飼育したくなるだけの魅力を持った品種である。

・鑑賞のポイント

土佐金に関しても私より詳しい方が大勢いらっしゃるし、いい加減なことを書く訳にはいかないので、ここでは一般的な土佐金の見方についてだけ軽くふれておきたい。


1.顔は目幅が狭く、目先が充分にあるものが理想である。特に当歳魚の時はこの目幅が狭く、目先が長い上品な上品な顔を作るのにイトメを与えることが不可欠(赤虫は不可)であるが、与えすぎるとすぐに顔が太くなるので注意を要する。

2.腹部は丸みをおびて豊かに張るものが良い。

3.尾は歳を重ねるにつれて大きく反転するものが理想的である。しかし、当歳時に親魚と同じように尾が開いているものは一見良い土佐金に見えるが、大きくなるにつれて親骨が前に張り出して泳げない魚になってしまうので、当歳魚は尾が開きすぎず、適度な柔らかさを持つものを選ぶと良い。
4.当歳魚が丸鉢というモルタル製の鉢で飼育するのが理想的であるが、大型の洗面器やプランターでも代用出来る。特に当歳魚の時はこのような円形の容器で連続した泳ぎをさせることが、尾鰭の基礎を創る上で重要だと言われている。

5.飼育容器に適度な飼育数で飼育して、エアレーションは尾形が崩れるのでしないほうが良い。

6.酸欠になると鰓蓋が捲れることがあるので気をつけること。軽度のものでは爪切りで捲れた部分を切り取れば綺麗に生え替わるが、鰓蓋の硬い部分まで捲れてしまうと治らないので注意が必要である。

7.水深は15cm程の浅い水深で飼育し、新しい水で飼育するのが望ましい。




土佐金当歳魚。土佐金は色変わりが非常に遅い金魚で、親魚になってから色変わりが始まるものもある程である。

丸手の土佐錦魚。体型は悪くはないが、日当たりの悪い所(室内飼育及び屋根のある場所等)で飼育すると、この魚のように尾が早く前にきてしまう。