北海道の観光 【○○○○】のHPテスト用(test-01.html) 川守田孝平のHP

北海道の観光

 浪漫函館・・・・開港150年を迎えた日本最初の国際貿易港・函館は北海道最南端の都市と
  して様々な文化が流入融合し、異国情緒漂う町並みを造って来ました。
きらめきとふれあいの街、
  函館の見所をこれからご紹介して行きます。

 函館の坂道

 函館山の麓には、海に向かって下る幾つもの坂道があります。その道沿いには、明治末期から昭和初期に
 かけて建てられた教会や領事館、そして和洋折衷の商家などが沢山点在していて、坂道散歩は函館の観光
 に欠かせないポイントになっています。

  魚見坂・・・最西端の坂道。この坂から魚群が良く見えたことから名づけられた。坂の一番上に市内最古の
        寺院、高龍寺と外人墓地がある。
  船見坂・・・港に出入りする船が良く見えたことから名づけられた。
  千歳坂・・・近くの神社にあった松ノ木(千歳松)に因んだ名前。
  幸 坂・・・幸町(現弁天町)の誕生に伴い町の名がつけられた。坂の途中に旧ロシア領事館がある。
  姿見坂・・・遊郭の女性の姿が見られたことから名づけられた。
  常盤坂・・・坂の上にあった松の大木に因んで名づけられた。
  弥生坂・・・函館大火後に春のような繁栄を願ったもの。石川啄木が代用教員を勤めた弥生小学校がある。
  東 坂・・・当時の浄源寺(現東本願寺別院)近くにあった通称「東坂」の名残り。中華会館がある。
  基 坂・・・函館の道づくりの基点となった所から名づけられた。明治時代は開拓支庁など行政機関が集中
        して設置されていた。坂の上には「旧函館区公会堂」「旧北海道庁函館支庁庁舎」などがある。
  日和坂・・・港を一望でき空模様がよく判断出来たことから名づけられた。
  八幡坂・・・
  大三坂・・・この坂で宿を営んでいた大三印義兵衛の名前に因んで名づけられた。
  チャチャ登り・・・チャチャはアイヌ語でおじいさんの意。腰を曲げて登る位急坂だったからこの名がついた。
  二十間坂・・・道幅が二十間あることから名づけられた。東本願寺函館別院がある。
  南部坂・・・北方警備のため派遣された南部藩の陣屋があったことから名づけられた。
  谷地坂・・・遊興地として有名だった谷地頭に行く坂だったのでこの名がついた。
  護国神社坂・・・招魂社(現護国神社)に通じることから名づけられた。
  あさり坂・・・あさり貝の殻が数多く発見されたことから名づけられた。
  青柳坂・・・青柳町へ向かう坂ということからこの名がついた。

 函館市文学館


   函館は、安政6年 (1859年)横浜、長崎と共に、わが国最初の国際貿易港としての門戸を開き、西欧諸国
  の影響を受けながら発展してきた。其処には、古い慣習にとらわれない、ハイカラでモダンな生活の営みが
  あった。
  このような歴史的背景の中で、幕末、明治維新以降多くの文人たちが往来し、函館を舞台とした作品を数
  多く発表している。またこの血で生まれ、青春の一時期を過ごし、やがてわが国の文壇で活躍する、優れた
  作家を輩出してきた。
  函館市文学館は、函館縁の作家たちの業績と、風土に根ざした土着の文学空間を視野に入れ、函館が育
  んだ多くの文学者と、文学作品を長く後世に顕彰し、語り継いで行くことを目的に、平成5年4月開館した。

  常設展示の文士たち
  石川啄木・今 東光・長谷川海太郎・高橋掬太郎・久生十蘭・片平庸人・今 日出海・水谷 準・亀井勝一郎・
  長谷川四郎・齋藤 玄・森本貞子・佐藤泰志・井上光晴・梁川剛一・辻 仁成

  函館育ちの文学者
  今  東光(1898〜1977) 直木賞作家・住職
  長谷川海太郎(1900〜35)作家(ペンネーム 林 不忘・牧 逸馬・谷 譲次)
  渡辺紳一郎(1900〜78) 新聞記者、NHK「話の泉」レギュラー
  長谷川四郎(1909〜87) 詩人・劇作家 
  久生 十蘭(1902〜86) 直木賞作家 
  梁川 剛一(1902〜86) 彫刻家・挿絵画家 
  亀井勝一郎(1907〜66) 文学評論家・芸術院会員
  佐藤 泰志(1949〜90) 作家
  辻  仁成(1959〜   作家

  藤村と啄木

  島崎藤村は、函館の網問屋である秦慶治の三女冬子と結婚し、信州の小諸義塾の教師として赴任。明治37
  年函館の秦家を訪ね、その援助を得て「破戒」を自費出版した。この旅から生まれたのが「トラピスト」「突貫」
  である。渡島当別のトラピストに近い、秦家別邸壽楽園に建つ記念碑には藤村の碑文が記されている。

  石川啄木は堀合節子と結婚のあと、貧困の中から新しい生活の場を求めて函館に渡った。文芸誌「紅苜蓿」
  の編集を任された啄木は、弥生小学校の代用教員を勤める傍ら、家族を呼んで青柳町に居を構えた。啄木
  の函館生活は僅か132日であったが、宮崎郁雨宛ての手紙に「死ぬ時は函館で死にたいと思う」と書いている。
  その自筆書簡の一部を刻んだ、啄木一族の墓が立待岬の手前の墓地にある。


  函館のミュージアム

   古きを訪ねて新しきを知る。函館市内に幾つかある資料館、博物館などで見られる歴史に足を伸ばせば、
  函館の魅力はさらに増すことでしょう。

   市立函館博物館・・・函館の歴史や民俗資料など約5万点を展示。
   市立函館博物館五稜郭分館・・・五稜郭築造や箱館戦争関係の資料を展示。
   市立函館博物館郷土資料館・・・旧金森洋物店に明治期の函館風俗資料約90点を展示。
   箱館高田屋嘉兵衛資料館・・・高田屋嘉兵衛ゆかりの品々約500点を展示。
   函館市写真資料館・・・函館の写真文化の歴史を、貴重な資料により紹介。
   函館市北方民族資料館・・・国重要無形文化財を含め約300点を展示。
   北方歴史資料館・・・ロシアとの交流の貴重な資料を展示。
   函館市開港記念館・・・旧イギリス領事館の建物を復元し、開港関連資料を展示。
   函館市文学館・・・函館ゆかりの作家や文人たちの資料を展示。
   青函連絡船記念館摩周丸・・・桟橋に停泊した連絡線摩周丸を利用した資料館。
   大船遺跡埋蔵文化財展示館・・・大船遺跡の発掘情報などを伝える。
   函館市北洋資料館・・・北洋漁業資料のほか航海体験室も利用できる。      

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