「お前の弁当見てるとさ、ほんと、貧富の差を感じるぜ。葛葉ぁー」
午後の授業が始まる前の長い休息時間に、教室で弁当を突付いていたライドウは、級友
たちからなんとも返事のしようが無いことを告げられていた。
「魚に卵に黒豆……それ、里芋と大根か? あ、蕨やインゲンまで!」
旨そー、と、涎を垂らさんばかりに詰め寄ってきたむさ苦しい男共に、ライドウは堪ら
ず箱を差し出す。
「黒豆さえ食べられれば、僕は満足ですから」
ひょいひょいと黒豆だけを口に収めれば、途端に伸びてきた箸の洪水が、米粒ひとつ残
さずに平らげられていく。弓月の君高等師範学校はその名の通り、勉強をしたくてもお金
が無いせいで高校へ行けない少年が多数通う場所である。無論、軍属以外で国家のために
なる職へ就きたい富裕層もいるのだが、こうして集られると知ってか、昼休みに姿を見た
ことが無い。気にせず教室で食事をするライドウは、貧困層にとっての救いの神だったの
だ。
「やっぱり、探偵助手って儲かるのか?」
煮しめた大根を頬張っていた級友が、興味津々の体で問い掛けてくる。
「いえ、全然儲からないどころか、うちの所長はツケ塗れですよ」
儲かっていないことはないが、未回収の依頼料もあることでライドウはさり気なく嘘を
吐く。そして、外面の良い笑みを浮かべながら、まだまだ続くだろう質問の回答を用意し
た。
「儲からないのか。なら何でこんなに豪勢なんだ?」
「戴けるのですよ。近所の方々から」
「役得かよ……。まぁそんだけ美形なら、貢ぎたくもなるってところかー」
級友の想像の中では、金持ちモマにしな垂れかかるライドウの姿があるのだろう。或い
は、江戸時代前から続く華族の旦那様に傅くライドウの姿があるのだろう。大凡の見当が
付いてしまう彼らの表情を眺めながら、ライドウは空になった弁当箱を鞄へしまった。
「才色兼備って言うんだよ。殆ど学校来てないってのに、成績は主席同位だぜ?」
食料がなくなっても周囲で歓談を続ける級友たちに、ライドウは心中で、さてどうした
ものか、と考えていた。同年代の者たちと雑談に興じることも、この国を憂いて論議する
ことも厭わないのだが、自然に輪の中へ入っていくことができないのだ。当初、ライドウ
はこの状況を、中身が空っぽの傀儡でしかないからだと思っていたが、帝都に赴任して鳴
海の元で様々な人々と関わっていくうちに、それは違うと分かった。理由は至って単純で、
視点の違いからくるすれ違いだったのだ。
級友たちは国家を成長させるための存在。しかしライドウは、そんな彼らを護るための
存在である。話が合わないのは当然だった。
「葛葉ー。大変だ葛葉!」
そんなことを考えながらぼんやりと級友たちを眺めていると、教室の扉が勢いよく開け
られる。何事か、と振り返った級友たちは、息切れしながら走ってきた別の級友を眺めな
がらざわめいた。
「どうしたのですか?」
「外に、正門に、鴉を肩に乗せたお前がいた」
途端、夢でも見たんだろ、やら、見間違いだろ、と大笑いを始めた級友たちを余所に、
ライドウは机の横から鞄を取って立ち上がった。そして、伝えに来た級友に感謝の意を告
げると、双子の兄です、と微笑み、教室を後にした。
廊下のハンガーフックに掛けていた外套を掴み、羽織ながら校舎の外へ向かう。途中、
すれ違った学年主任教官へと早退を託け、雷堂の待つ正門へと急ぐ。
「仲魔を使えば良かったのに」
そこでどれだけ待っていたのか、雷堂の学帽には枯葉が乗っていた。
「そうしようと、たった今管を出したところだ」
雷堂の足元にいるゴウトが、ライドウの到着に、さっさと終らせるぞ、と鳴く。ライド
ウは頷きながら走りだし、同じく駆けだした雷堂から風呂敷包みを受け取り、管収胴着と
吊り革式ベルトを器用に巻きつける。そしてそこに、愛用のコルトライトニングと陽皇覇
剣を収めた。
「場所と依頼内容を」
弓月の君高等師範学校の坂道を下りながら、誰へともなく問う。
「港東区晴海町旧外国人居留地跡にて怪奇現象多発。悪魔の仕業と思われる」
鳴海から渡された走り書きを暗唱した雷堂に、ライドウが頷く。
「車掌のパス、お持ちですか?」
「ある。我もついていって良いのか?」
「駄目なら鳴海さんが止めていると思いますよ」
「そうか」
駅の改札を抜け、程なくしてやってきた電車へ乗り込む。任務に緊張しているのか、そ
れとも何か別のことを考えているのか、完全な無表情となったライドウは、そこで口を閉
ざした。基本的に無口な雷堂も手摺へ寄りかかって腕を組み、車窓から町並みを眺めてい
るだけで口は開かない。
やがて、ふたりと二匹は潮風の香る晴海町へと降り立った。
外国の海兵隊員や船員が往来する晴海町の大通りを、黒い書生たちが駆け抜ける。そし
て、海辺に建ち並ぶ外国人居留地区を抜けたところで、ふたりはその足を止めた。
「待っていたよ、葛葉ライドウ君……がふたりいるようだが」
旧外国人居留地跡の前に立っていたのは、会いたくもなければ思い出したくも無い、黒
子の海軍省軍人だった。あからさまに厭な顔をしたライドウが、無言のまま雷堂を振り返
る。雷堂もまた、心底厭そうな顔でライドウに首を振った。
「そう厭な顔をしないでくれ。わざわざ部下を使って依頼の電話を入れたのだから」
海軍省の密偵らしく、鋭い眼光のまま事も無げに伝えた定吉に、ライドウは吐き捨てる
ような溜息を吐いた。
「依頼料は戴けるのですか?」
「あぁ。ポケットマネーというやつだがね」
「それで、貴方を討伐すれば宜しいのですね?」
「ははは、君がそんな冗談を言うとはね。こっちだ」
僅かな笑みすら浮かべず先へ進んだ定吉に、ライドウが舌打ちしながら続く。それを追
った雷堂は、此方の定吉も悪人なのか、と小さく呟いた。
「こう見えても多忙な身でね。この屋敷に留まる蛮力属トゥルダクたちの討伐を依頼す
る。出現予想月齢は満月だ。何、君……たちなら朝飯前だろう。依頼料は任務達成後、鳴
海探偵社へ届けよう。では、これで失礼する」
家財道具の散乱する洋館へとふたりを案内した定吉は、一方的に喋った後、ライドウた
ちの意思を無視して早々に立ち去った。それに対し、今度は雷堂が先に苛立ちを露にする。
「何だあれは。理由も告げずにここの悪魔を討伐しろと言うのか!?」
「使いたいのでしょう。海軍が」
互いに背中を預け、満月を待ちながら苦情を募らせる。
「ポケットマネーと言っていたぞ!?」
「面倒だったのでしょうね」
「自分が受けた任務を放棄か!」
「使えるものなら何でも使うのではないですか」
「信じられん!!」
ダン、と床を踏み鳴らした雷堂は、それでも一本の管を管収胴着から選び出す。静かに
怒りを燃やしていたライドウも、二本の管を指に挟んだ。そして満月の訪れと同時に、開
封の言葉を詠む。
「ベリアル、メタトロン」
「出ませいサンダルフォン。な……二体召喚が可能なのか!?」
背後に現れた二体の仲魔に驚くも、雷堂はサンダルフォンに命令を下しながら目の前の
トゥルダクたちに斬りかかる。限界までシュミットした陰陽葛葉は、如何に物理に強い悪
魔と言えど、二撃必殺だった。
「僕は優秀ですから」
さり気なく自慢するライドウも、ベリアルとメタトロンに命を下す。基本的にマグネタ
イトは敵悪魔の弱点を突くことで奪うため、雷堂より一歩遅れてから斬りかかる。
「あ、其方に一体逃げました」
「ハハ、優秀が聞いて呆れる。戻れサンダルフォン、出ませいアリス」
ライドウ側から流れてきたトゥルダクを切り伏せながら、新たな仲魔を召喚する。
「ソーマでしたら差し上げられますよ?」
仲魔のマグネタイトが尽きたのだろうと判断したライドウが、剣戟のついでで振り返っ
た。しかし雷堂は、回転斬りの最中で口角を吊り上げ、止めた先で防御の型を取ると、今
度はアリスに命令を下す。
「否、些か面倒になったので変えたまでだ」
「面倒? あぁ、遊びたいのですね」
納得したライドウは、次々と現れるトゥルダクをメタトロンと共に片っ端から斬り付け、
マグネタイトを吸収する。雷堂は、アリスの放つマハ・ムドで生き残った悪魔を斬り伏せ
る。
「そろそろだ。どうせなら派手に行こうではないか」
雷堂は周囲をぐるりと一周し、ライドウと闘っていた悪魔も自分のほうへとおびき寄せ
る。そして、範囲内に全てが収まった瞬間、満面の笑みを浮かべて高らかに飛び上がった。
「震天大雷っ!」
そんな雷堂を見上げながらライドウは端に移動し、楽しそうですね、と苦笑する。
残っていた悪魔も、新たに現れた悪魔も、纏めて粉砕した雷堂は、着地後にアリスへと
牛黄丹を投げる。傷付いていたアリスは、キラキラと輝きながら喜び、またしても現れた
トゥルダクの群れにスキップしながら飛び込んでいった。
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