私達は、社会変化の中で ‘何か大切なもの(こと)’ 
を忘れ去ってしまったような 気がしませんか?
 日々 世の中が便利になって行くのは ごく自然
のなりゆきです。水や電気 ガスも整備されている
方が便利で 良いに違いないでしょう。
 しかし 「もの」や「道具」は本来 人間のために作
られたもの であるにもかかわらず 何時の間にか
「もの」や「道具」のまわりで 人間が右往左往して
いるようには 見えませんか? 
実に 滑稽な姿です。
 (きっと 私自身も その人間の中の 一人なの
でしょう)
 人間の体は 以来さまざまに進化してきた。
 その時々の生活環境に合わせて 体の部分部分
が変化し その過程の中で あまり使われない部分
は自然と退化してきた。 たとえ現代人であっても
このような 「進化の一時期」 (あるいは 退化の一
時期)にいることに 変わりはないでしょう。
 便利になることは 結果として人間の構造を変えて
しまうのではないでしょうか。
夜でも昼間と同じ明るさを手に入れた現代人
 季節に関係なく 一年中一定の室内環境を可能に
した私達にとって大切なことは その便利さをいかに
してコントロールするか という個人個人の生活に対
する主体性にあるのでは ないでしょうか
 とはいえ 一方で 高度過密化した現代社会の中
で「個々の生活の場」としての ゆとりある環境を獲得
 することが大変難しい。
 「住居」は社会的生活行為の中で 個としての人間
がそこに帰り 「明日への活力養うための装置」 「心
を活性化するための装置」ではないでしょうか
その時々の ひとりひとりの精神状態 疲労度など
にあわせ 住空間が人を優しく包み込んでくれることが
 望ましいことです。そして「住み手」のひとりひとりが 
住生活に対する主体性を明確にして 適切な「もの」や
 「自然」とのかかわりを 発見して行くことが不可欠で
しょう。そこに‘simple’があるのではないでしょうか
 私達に与えられた「五感」を退化させないためにも 
人間が より人間らしく生活をするための「空間」を
 望みたいものです。

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