海の底の人魚のような・・・・幸田弘子の朗読の意味について
辻 邦生

 幸田弘子さんの樋口一葉を聞いてからもう何年になるだろう。幸田さんの朗読のおかげで、私は日本語を書くことの意味に、あらためて眼を 開かれた気がする。
 もともと私は、耳で聞いてわかる文章を、と心がけてきた。近代の散文は印刷を主とし、眼で黙読する文体になっている。文章そのものが 黙読する質へと変わってきている。したがって耳で聞いてわかる文章は、当然、黙読の文章とは違ってくる。だが、その違いは、 文章をやさしく書く書かないのレベルではなく、もっと根本の、生きる姿勢から出ているように思える。
 はじめて幸田さんの一葉を聞いたとき、朗読の持つ(つや) やかな魅力に心を奪われたが、同時に、一葉の文章のわかりやすさに一驚した。というのは、活字本で黙読していたとき、 近代的な感覚の新鮮さは感じたものの、やはり江戸文学の流れを汲む和文脈の文章には一種の抵抗があり、なかなか馴染めなかった記憶が あったからである。
 どうして耳で聞いただけで、いや、耳で聞くほうが、一葉はよくわかるのだろうか、とそのときつくづくと考えたものであった。それはもちろん 幸田さんが一葉を心のなかで完全に噛みくだき、幸田さんの血肉とし、幸田さんの声で朗読しているからだ、と一応は説明はつく。源氏物語の 場合でも、あんなに註釈を必要とする古文が、聞いただけでわかるだろうか、と危倶したが、同じように杷憂であって、それはまるで紫式部が じかに物語を語っているように、よくわかり、心に深く染みこんでくるのである。
 一葉を理解したり、源氏物語を読み解いたりすることは、努力すれば、普通の人にもできることだが、それを、幸田さんのように、文章を深く 味読するようにわからせることは、普通の人には真似できない。
 とくに、幸田さんの朗読を聞いていると、文章の肉体(ボディ) とでもいうべきものが、実体感をもってこちらに迫ってくるような気がする。普通は、文章は情報を伝達する媒体に過ぎず、情報(内容)のほうが 主で、その伝達が終ると、文章は消滅してしまう。
 文章が記号と見なされ、現代人が黙読を行なうという状況も、文章と情報(内容)との、こうした切りはなされた関係と無縁ではない。幸田さんの 朗読の果した業績は多々あるが、その一つは、こうした記号化され空虚になった文章に、肉体(ボディ) ともいうべき実体感を取戻したことだろう。
 樋口一葉を活字本で読んだとき、わかりにくいと思ったのは、言葉を記号と感じ、そこに意味(内容)のみを追い求めていたからであった。しかし 幸田さんの朗読では、その記号と見えたものが、生命ある肉体となって、生き返っている。これは文体が意識されるという以上に、「文章がわかる」 ということが、このような肉体(ボディ) を持った文章の凹凸に沿って心を動かしてゆくことだ、という意味なのである。文章は触感によっても深い了解が得られるのだ。
 西洋でいえば、シェイクスピアやディケンズがそうで、文章が呼吸のなかで生き動いてゆく速度と、了解が成り立ち、情感が動き出す速度とが、 正確に一致する。シェイクスピアは舞台の上で語られるために書かれているし、ディケンズの散文も朗読されることを期待して書かれている。晩年 ディケンズが自作朗読会を行なって大成功をおさめた事実が、このことを証明している。
 この場合、言葉は記号ではなく、生きる場を支える「意味」となっている。私たちは、あたかも言葉など使わずに、家に住み、日常の生活を送って いるが、そうした自明の暮しも、実は言葉による「意味」によって支えられているのである。言葉一つで、そうした日常を破壊することもできるし、逆に、 至福の状態へ高めることもできる。
 幸田さんの朗読に人々が酔うのは、幸田さんのしっとりした慎ましい声や、自在な抑揚、() 、緩急など朗読そのものの持つ魅惑にもよるが、同時に、こうした「生の場」を現前する意味の祝祭に立ち会うのを感じるからだ。それはただ言葉 が朗読されるのではなく、生きる世界が、現実以上に高められた形で詩的な濃さで存在しはじめることなのである。
 こんど鴎外の『即興詩人』を読まれるのは、幸田さんが何よりも詩的な「生の場」を全身で生きる人であることを証明している。鴎外の文章には、 簡潔的確である以上に、深い詩が底のほうに光っている。北国の海の底に人魚の鱗がきらめくようだ。
 とくに若き日の鴎外には異国ふうのロマン的気分が漂って、哀切ささえ感じさせる。『即興詩人』がアンデルセンの故国では読まれず、日本でなお 愛されるのは、鴎外の文章が、詩的な「生の場」を現前させる生きた肉体(ボディ) を持っているからだ。こんどの朗読では、現在見失われている「文学の幸福」を、文章の 肉体(ボディ) の恢復という形で、私たちが味わえることは間違いない。

(小説家  1992年、「幸田弘子の会」パンフレットから再録)