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慶應小金井クラブ会員の皆様へ

平成18年10月吉日
初代会長   武神 信之
(昭和43年機械院卒)


【ご挨拶】

 平成16年5月15日、帝国ホテルの三田倶楽部において、約130名の出席の下に創部40周年の祝賀会が開催されました。そしてこの機会に、慶應理工学部体育会軟式野球部OB会をその発祥の地である「小金井」の名前にちなんで「慶應小金井クラブ」と命名しました。

 今後、学部卒業生は、自動的に「慶應小金井クラブ」の会員となり、会員相互の親睦と現役の育成への支援を軸としたクラブの活動に参加したり、また自らが有志を募って支部の設立やイベントを企画したりすることが出来ます。

 さて、その表れとして、大変喜ばしいことに、本年7月「慶應小金井クラブ・名古屋支部」が誕生しました。支部長は、昭和43年卒内藤寛昭君で、その発足懇親会には本部より支部代表幹事となった昭和52年卒勝野哲君と同期の代表幹事宮田輝之君、副代表幹事昭和54年卒大屋公久君が出席され、今後の活動の打ち合わせを含め名古屋支部との懇親を大いに深めました。

 また今回、HPが会員にとってより親しみがあり、且つ交流のし易いコンテンツであることを念頭に、従来のものを改善し新たに立ち上げました。今後は、このHPを中心に、活発に活動して行きたく考えており、会員各位のご協力をよろしくお願い致します。


【歴史と想い出】

 先ず、創部40周年が過ぎて既に風化しつつある理工学部体育会軟式野球部の生い立ちと懐かしい想い出を、会員の皆様へ少しお話しましょう。

 昭和37年、今から44年前、私たちが大学一年の時に工学部へ入学した野球好きの仲間を中心に、15名で軟式野球同好会を結成しました。それが、この野球部の前身の“フェニックス”です。この時の同好会の部長を、当時私達のドイツ語の担当で且つクラス担任であった菊池慎吾教授にお願いしました。
 今思えば、フェニックスのメンバーには、高校時代に野球部で過ごした者が少なく、ただ野球好きが集まり、多摩川土手での厳しい練習、春夏の小諸市営球場などでの楽しい合宿、形ばかりの年間成績表彰を行った納会など、野球にその青春を燃やしました。未だ下級生の居なかった発足当時、昭和42年卒の副会長田中良忠君達、43年卒の内藤寛昭君達が入部してやっと形態が整い、そのフェニックスが昭和39年にめでたく工学部体育会に入会することが出来ました。早稲田・理工を含めた現在のリーグ戦の前身もその時組織しました。

 当時工学部は、中央武蔵小金井駅から徒歩で南へ25分の前原町にあり、登校途中の周辺は殆ど農家で、肥だめ(と言っても、今の方々にはわからないでしょうが・・・)がいたる所にありました。多摩墓地の東隣に位置し、春は桜が満開になり、夏は深い緑が生い茂り、秋は紅葉に染まった木々の下でお弁当を食べる学生生活は、都会の喧騒を離れ、静かに学問に専念できるとても心安らぐ環境でした。

 塾を離れ、40年余りたった私たちにとって、ただ“野球が好き”だから創ったこの野球部が、後輩達のたゆまぬ努力によってこのように長く続いていることは、感無量と言っても過言ではありません。
 特に、昭和48年から日吉への移転が始まりそれが完了するまでの数年間は、新入部員の募集も思うに任せず、部の存亡の危機に瀕したこともありました。しかし、当時現役の昭和44年卒前田丈夫君が、当部ばかりでなく工学部体育会代表として日吉移転に取り組み、彼の献身的な努力によってこの何時を克服し今日があるのだと思います。因みに、その時の副代表が、現在塾長の安西祐一郎君だったそうです。
 このように、私は、後輩達がその時々に、野球部を愛する心と団結への情熱を発揮して問題の解決に当たって来てくれたことを心より感謝しております。

 その後、創部25周年と菊池教授の退職記念の祝賀会を日立のクラブハウスで催した際に、菊池教授の後任に金田一真澄教授のご紹介を受け、部長をお願いいたしました。そして10年前、私がシンガポールに駐在している時、田中良忠君が中心となり昭和44年卒の吉舗信也君達と協力しながら、現在の“慶應小金井クラブ”の前身を結成しました。この名称は、田中良忠君の命名です。

 当初“慶應小金井クラブ”は、OB会の一組織として発足し、昭和45年卒近藤孝則君が率いて現在も続いている「ゴルフ工学研究会」が主体でした。今では野球ならぬゴルフ好きの有志が年に数回コンペを開催し、今年11月3日には名古屋支部の設立を祝って、約20名が静岡カントリークラブに集まり東西対抗コンペが行われる予定です。
 今、この名称がOB会全体の組織の名前に発展し、主にシニアのOBが参加するこのコンペの機会に、私から慶應小金井クラブの最新のトピックスを報告しております。 


【活動の現状と課題】

 さて、現在の活動と検討中の企画を少し挙げて見ましょう。
 創部40年余りが経過し、クラブの会員は、卒業直後の年代から還暦を過ぎた年代まで、大変幅広い年齢層になりました。特に、卒業直後の若い会員は、未だ野球を現役と一緒にプレーする楽しみで、またシニア会員は、ノスタルジーを感じながら余暇利用と昔の仲間との懐かしい出会いを求めて、参加しているように見受けます。

 しかし、30台から40代後半までの会員は、転勤・海外赴任・出向等の会社の事情と結婚・育児・子女教育等の個人的事情に挟まれ、中々イベントに参加して頂けないばかりか音信不通の会員もおられ、連絡がスムーズに取れておりません。
 兎に角、会員は1通のメール・1枚の葉書に対するお返事だけでも年度幹事に連絡され、将来時間が取れた時に是非ご参加下さるようお願いいたします。一方、年度幹事の任に当たられている会員は、クラブに出来るだけ持続的な関心をお持ち頂き、クラブの発展の為にご協力下さるようこの場を借りてお願い申し上げます。


【未来を向けて】

 現在、会員は、学部卒業生から私の年代までの約360名おります。毎年7〜8名ずつ増えてゆくと、創部50周年には約400名弱、100周年には約800名の大所帯になるでしょう。これは、本当に夢のように喜ばしいことです。

 私は、創部者の一人として、今年の11月で63歳になりますが、この間、思いを共有する仲間と色々なイベントを企画し、楽しい有意義な集いを持ってきました。我々にとって、学生時代に青春を燃焼させた旧知の仲間との交流、新しいエネルギーに満ちた若い新しい仲間との出会いは何ものにも変えがたく、自らの健康維持と余暇利用を兼ね出来るだけ多くのイベントに参加したいと思っております。

 人間は皆同じ、若い会員は何れは私達の年齢に達し、そして同じ思いをされるでありましょう。その為にも、末長くクラブを存続させるべく会員相互が協力し合い、そしてクラブにご尽力頂いて、良き仲間との交流を深めて行く事を念じております。

                     以上












慶應小金井クラブ役員名簿

(2005年〜2010年)



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