助産師回想録1

          
『なぜ助産師になったか?』







コレを語る前に、なぜ看護師になったかを語りましょう。
かやは早くに父を亡くしました。小学校の高学年です。
中学のとき、母が再婚しました。
で、中三の時。母が弟を出産しました。
逆子だったので帝王切開を受けたのですが、
その時に母親が
『助産婦(当時は師ではなく、婦と呼んでいました)さんて、いい仕事よねぇ。あなたも、なったら?』と言われました。
初めて医療職に関心を持った瞬間でしたね。


その後、まぁ・・・新しい家庭は居心地が悪くてですね、
かやは非常に独立心旺盛な中学生になりました。
早く言えば、さっさと家を出たかったのです。
そのためには、給料の良い看護師は非常に魅力的でした。
助産師と看護師の違いなんて知りませんでしたから、まずは看護師を目指そうと思いました。


高校で衛生看護科に進む道もありました。
そうすると高校卒業後に准看護師の受験資格が得られます。
が、かやは考えました。今すぐ決めるのは早計だ。
高校は普通科に行って、三年考えよう。
一応目標は看護師としつつ、少し猶予を持たせようと。
もうひとつは、なるからには准看護師じゃなくて正看護師になりたかった。
これはですね、将来的に給与や待遇が違ってくるのです。


それで、三年間は普通科の高校に通いました。
その間に少し心が揺れることはありましたが、
第一の目標・・・一人で生きていくためには看護師が一番だというのは変わらず。
結局、地元の看護学校に入学を果たしました。


看護学校の三年間で、各科をすべて勉強し実習もするのですが・・・
この三年間は辛くもあり楽しくもある三年でした。
この三年で、かやは一生分というほど勉強をしました。
学べば学ぶほど知識は頭に入り、面白いように理解を深めた三年でした。


一番好きだった科は、外科でした。
ダイナミックで変化が激しく、看護のしがいもあって楽しかった。
が、患者さんが亡くなるのも一番多い科でした。


次に好きだったのは内科。心電図が好きだった、マニアックなワタクシ。
三年の夏ごろまでは、本気で循環器専門ナースを目指して国立循環器センターへの就職を考えていました。


反して産婦人科は一番嫌いでした。
とにかく厳しい科でした。
助産師は非常に厳しく、実習は学生を苛めるためにあるんじゃないか・・・というほど緊張感みなぎるものでした。
今なら分かるのですが・・・
助産師は看護師とちがって、医師の指示がなくても自らの判断である程度の医療行為が行えます。
看護師は医師の指示が必要です。これは、保健師助産師看護師法という法律で定められています。
ですから、助産師は医師がいなくても正常分娩の介助が行えます。
つまりは、すべて自分の判断により自分が責任を負います。
だから非常に厳しかったのですね。
学生の指導をしていたは、ミスの言い訳にならないのです。
とにかく、飛びかう質問は細かく。指示も厳しくて、よく叱られたものです。
産婦人科の実習が近づくと学生達は暗くなり、ひたすら母性看護学を読みまくっておりました。


分娩も見学させていただきましたが、かやはちっとも感動せず・・・
産婦には天使でも、学生には鬼のような助産師に怯えていた記憶しかありません。





そして、運命の三年生の秋。
元は助産師だった看護学校の先生がおりました。
私の担任ではなかったですし、どういういきさつだったか忘れたのですけど
『あなたは助産婦に向いている。試験を受けてみなさいよ。』というのです。
私は断わりました。
地元に一箇所だけ助産師学校があったのですが、恐ろしく難しくて厳しいと噂を聞いていましたし、
助産師に全く興味がなかったからです。
でも、先生はしつこくて
『看護婦はいつでもできるよ?進学は今しか出来ないから。助産婦が嫌なら看護婦で就職しなよ。』と説得されました。


母に相談したら『それは先生の言う通りよ!』と賛成でしたので、渋々と助産師学校を受けました。
我が校からは三人受けて、受かったのは私だけでした。で、もう行くしかなくなっちゃったのです。
卒業したら循環器病センターに行こう。そんなことを思いながら、何の志もなく進学したのです。


看護師の国家試験に合格。そのまま、助産師を目指して一年間、更に勉強することになりました。
ここで地獄といってもいいような・・・スパルタ助産師教育が待っていました。


助産師学校は定員15名。ですが、二学期には半数が辞めていなくなってます。
酷いときは4名しか卒業生がいませんでした。それだけで、どんなに厳しいかお分かりでしょう?
少数精鋭。たったの一年で、すべての基礎知識と技術を叩き込むのです。
かやの年は根性のすわった人間が多かったようで、珍しいと言われた10名が卒業できました。


ここでの一年で思ったことは、根性がひねくれた強い奴じゃないと助産師にはなれないということです。
きっと看護学校の先生は、そこを見抜いたのでしょう。


で、やっとこさ卒業した時には、友人達が大学を卒業する年と同じでした。


就職は・・・もう看護師なんて戻れるわけなかったのです。騙されました。
助産師は非常に数が少なくて、免許を取ったら嫌でも助産師として働くことを求められるのです。
どこの施設も『助産師をくれ』状態でした。


ここで循環器は諦めました。
先生からも『助産師で十年は働かないと、ほかの科に行っては駄目!技術がしっかり身についてからっ』
と、いさめられまして。


仕方ないので、助産師として地元では大きい総合病院に勤めることにしました。
なぜ、そこにしたか。


『通勤に便利な場所だった』と答え、皆にヒンシュクをかった日が懐かしいです。


すぐに家を出た、かや。
家財道具は最低限のものだけを置き、その後は給料が出るたびに買い足していくような生活でした。



と、いうことで。かやには、全く『○○だから、助産師を目指しました!』なんて志も何もなく。
流されるように助産師になってしまったワケです。



理想に燃える友人達を横目に『すげぇ〜』と関心しているような新人でした。
その年、その病院に就職した新人助産師は、他の学校を卒業してきた子も含めて三人。
五-六年ぶりに入った新人とかで、えらく歓迎されて就職しました。



そして、かやの助産師生活が始まりました。



















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