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| バ ラ バ (1962年) Barabbas 〜あなたは、極悪人のバラバ?キリスト?どちらを選ぶのか?〜 |
監督:リチャード・フライシャー 原作: スウェーデンの作家ペール・ラーゲルクヴィスト (1951年度ノーベル文学賞受賞) 撮影: アルド・トンティ 音楽: マリオ・ナシンベーネ 出演: アンソニー・クイン(盗賊バラバ) シルヴァーナ・マンガーノ(ラケル) アーサー・ケネディ(ユダヤ総督ピラト) ジャック・パランス(隊長トルヴァド) ヴィットリオ・ガスマン(キリスト教徒サハク) アーネスト・ボーグナイン ハリー・アンドリュース ヴァレンティナ・コルテーゼ ケティ・フラード ロイ・マンガーノ(キリスト) 二千年前のエルサレム。年に一度の祭りの日に、重罪人を一人だけ民衆が選び釈放するならわしがありました。そして、その日はイエス・キリストが十字架刑に処せられることになり、ローマのユダヤ総督ピラトは民衆に向かって、問いかけます。 「この者は、民を誤らせたゆえに捕えられた。煽動と冒涜の罪で死刑に処せられる。」 民衆の中から、声があがり、 「ピラト総督、エルサレムには掟があり、祭りのとき、罪人が一名釈放されるはず。」 ピラトは、 「誰にする?多くの者に王と呼ばれる男か?バラバか?」と問い掛けます。 「バラバ、バラバ」と叫ぶ群衆の声に混じって、「ナザレ人イエス、バラバは反逆人であり強盗であり、人殺しです。」」の声も上がりますが、「バラバ、バラバ」のコールに圧倒されてしまい、ピラトは、「ナザレ人を鞭で打ち、磔に処する。」と判決を下します。 聖書には、ピラトと群衆の緊迫したやりとりが次のように記されています。 ピラトは何とかして、イエスを釈放しようとするのですが、ユダヤの指導者たちに煽動された群衆はピラトが思うようには動きません。ピラトが、群衆の暴徒化を恐れてイエスの釈放を決めかねて、ついには群衆の声を聞くが思うようにいかない。そんな情景が詳細に描かれています。 「 ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人をひとりだけ赦免してやっていた。 そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕えられていた。 それで、彼らが集まったとき、ピラトが言った。「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。 また、ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人にはかかわり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」 しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。 しかし、総督は彼らに答えて言った。「あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」 彼らは言った。「バラバだ。」 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」 彼らはいっせいに言った。「十字架につけろ。」 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」 しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」 すると、民衆はみな答えて言った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。」(新約聖書 マタイの福音書27:15〜26) 盗賊バラバに自由が与えられ、牢から釈放されたバラバが町に戻る途中、十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かっていくイエス・キリストと出会い、その苦しみの姿を目の当たりにします。しかし彼は、町の酒場の昔の悪人仲間の所に戻ります。それから間もなく、バラバは、まだ昼間なのに、あたりが闇に包まれていることに気づき、「死のように暗い、光はどうなったのか?」と不安におののき、町中の人々が、異様な光景に不安と恐れを抱きます。太陽が光を失っていました。そして、バラバが次に見た光景は、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたキリストの無残な痛ましい姿でした。自分が自由にされたのに、彼の心には平安がありません。さらに三日目の朝、墓石が取り除けられて墓が空になったことを知ります。キリストの信者になっていた彼女のラケルから、死んだ方は、死ぬ前に「互いに愛し合うべし」と語られたと聞かされ、「愛し合え?それで十字架か?」とてもバラバには理解できることではありません。彼は、「死体を盗んで、隠した奴の作り話さ。」ペテロたちが、死体を盗んで隠したと思っているバラバは、使徒たちの集まっている所に出かけていき、、ペテロに言います。「おれは死体を見たぞ。奴は死んだ。」 「そう信じるなら、なぜ来た?あの方はよみがえられた。だから、待っているのだ。」 「正気かよ。なんで網を作るんだ?(ペテロが魚網を編んでいた)海はガリラヤにしかないぞ。」 「漁師をしていたからだが、この町はいま海と同じだ。イエスは、冗談めかして言われた。『将来、人々が魚になる』と。これは重大な冗談で、人々を暗い海から光の国へ救い上げるとい う意味だ。」「あんたは漁師か?魚が迷惑するぜ。苦しみもがいて死ぬだけよ。」 「私たちも苦しみもがいている哀れな魚さ。私も苦しみ、もがいている。そして死ぬ。生きるために死ぬ。そこが魚より恵まれている。人はこの世の暗い海で死んでも、光の世に生き返る。イエスは、この約束を果たされたはずだが、私たちにはまだ確かめられない。よみがえって、我々を導いてくださる。」 「処刑はおれのせいじゃない。」 聖書によれば、イエス・キリストは多くのたとえを用いて人々に分かりやすく真理を教えているが、ペテロたちを弟子にしたときには、彼らが漁師だったので、『人間をとる漁師』という表現を使って、彼らに分かりやすく、その使命を与えています。記述を見てみましょう。 「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。 イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨てて従った。」(新約聖書 マタイの福音書4:18〜20) 再び、悪党の仲間たちの頭になったバラバは、人を襲い殺して捕まってしまい総督ピラトに裁かれます。 ピラトに向かって、バラバは死を覚悟して強気に演説します。 「生きるための戦いよ。邪魔者は消すしか手がねえんだ。おれのナイフも血を吸うが、お前の武器はどうだ。何十万も殺しているぞ。おれも旅の女を襲うが、お前の軍隊は大陸を荒らし回って、それを栄光と呼んでいる。お前は法律の内側で生まれて育った。おれは娼婦の腹から生まれおふくろにさえ呪われた。だが人間としては同類さ。」 しかし、そんなバラバにピラトの言葉が刺さります。「祭りの日に釈放された者は死刑にされない。」 「おれを殺せねえのか?」驚くバラバに、追い討ちをかけるようにピラトが言い放ちます。 「お前の命の尽きるまで、重労働を命じる。シシリーの硫黄山でだ。」 「おれを殺せねえ。ヤツのたくらみだ。生きろって言うんだ。『バラバを殺すな生かしとけ』おれの代わりに死んだ。敵をとりやがった。死んだ方が楽なのに、そうさ、ヤツのたくらみだ。あの光は本物じゃなかった。あの闇も本物じゃなかった。命を意味していたんだ。よし、永久に生きてやるぞ。おれの生命は誰にも取れねえ。この臭え魚ども、殺せるものなら殺してみろ。」 硫黄採掘場で流刑の身となり、ガスの吹き出る地獄のような地下での重労働で多くの囚人が死んでいったり盲人になってしまいます。暗闇の生活を続ける中、一人のキリスト教徒サハクが彼の相棒に なります。ある時、採掘場が崩れて大きな被害があったとき、バラバは怪我をしたキリスト教徒を助けてやって、お陰で二人とも救出されますが、その災害から生き残ったのは二人だけでした。不死身の二人の話を聞いた州総督夫妻が、彼ら二人を闘士養成所へ入れます。そこでサハクは闘技場での戦いに勝ちながら、相手を殺すことを拒み反逆罪に問われ、隊長トルヴァドに処刑されてしまいます。怒ったバラバはトルヴァドと対決し、彼を倒します。皇帝からバラバに自由が与えられます。 バラバはサハクをキリスト教徒の地下墓地に葬り、その直後、ローマが炎上し、キリスト教徒の反乱だと錯覚したバラバは、以前聞いた話を思い出し、今こそ古きものを焼き払うのだと、狂ったように火をつけて回り、そしてまた捕えられます。 何百ものキリスト教徒とともに十字架にかけられたバラバは、「私の魂をおそばにお召し下さい」と静かに神に祈り、平安のうちに死を迎えます。 |