メニュー 蝶にワクワク 花と自然にワクワク 映画にワクワク 聖書にワクワク プロフィル リンク集 掲示板




   怒りの葡萄 (1940年) THE GRAPES OF WRATH
                              〜乳と蜜の流れる新天地を求めて〜

 監督:ジョン・フォード
 原作:ジョン・スタインベック(ピューリッツァ賞受賞作)
 撮影:グレッグ・トーランド 
 音楽:アルフレッド・ニューマン 主題曲「リパブリック賛歌」
 出演:ヘンリー・フォンダ  ジェーン・ダーウェル  ジョン・キャラダイン チャーリー・グレープウィン  ドリス・ボードン ラッセル・シンプソン メエ・マーシュ ワード・ボンド 

1940年アカデミー賞2部門受賞(助演女優賞 ジェーン・ダーウェル、監督賞)5部門ノミネート(作品賞 、主演男優賞 ヘンリー・フォンダ 、脚色賞、編集賞、録音賞)
1940年ニューヨーク映画批評家協会賞2部門受賞(作品賞、監督賞)
1962年ブルーリボン賞 外国作品賞受賞
1962年キネマ旬報ベストテン第3位

 
冒頭、字幕スーパーで物語の背景が簡潔に説明されます。
 『アメリカ中部に砂嵐地帯と呼ぶ乾燥地がある。この乾燥と貧困が多くの農民の生活を不能にした。 これは自然の猛威と経済変動に土地を追われ、安住の地と新しい家を求めて長い旅に出る農民一家の物語である。』

 オクラホマを出発して、遥かカリフォルニアの新天地を目指していた一家が、アリゾナを通過してコロラド川にさしかかった時、父が言います。「来たぞ。乳と蜜の天地カリフォルニアだ。」
このセリフ「乳と蜜の天地」とは聖書(旧約聖書・出エジプト記)にある物語を示唆しています。それは、エジプトで奴隷の身となって過酷な生活を強いられていたイスラエルの民が、神の使命を受けたモーセに導かれて、「乳と蜜の流れるカナンの地」(新天新地)を目指して長い長い荒野の旅を続けていくのです。映画は、聖書の物語をモチーフにしてジョード一家の苦難の旅を描いていきます。モーセはカナンの地を目前にして死んでしまいますが、映画でも、ジョード家の長老がカリフォルニアを目前にして亡くなります。

 そもそも原作のタイトル「怒りの葡萄」が聖書からとられたものだそうです。新約聖書の「ヨハネの黙示録」14章18〜20節からの引用です。聖書では葡萄の木がイエス・キリストを表わしています。葡萄は実りと収穫という神の恵みを象徴しています。
(タイトル・バックに映されていた枯れ木が葡萄の木だったのか、他の木だったのかちょっぴり気になります。) 
「「その鋭いかまを入れ、地のぶどうのふさを刈り集めよ。ぶどうはすでに熟しているのだから。」そこで御使いは地にかまを入れ、地のぶどうを刈り集めて、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ入れた。」(新約聖書 ヨハネの黙示録14:18〜19)

 映画にはこの他にも、聖書を意識させることがあります。
 登場人物の名前に、聖書に出てくる人物の名前が多用されています。トム=疑りぐりやのトマス、ジョン=ヨハネ、ノア=ノアの箱舟のノア、ローザシャン=ローズ・オブ・シャロン(旧約聖書・雅歌(2:1)の「I am the rose of Sharon,And the lily of the valleys.The Beloved」)など。

 また、聖書にはたとえ話が沢山でてきますが、その中にぶどう園の話があります。
聖書(マタイの福音書)に記されたぶどう園の主人はとても良い人で公平・公正な管理人ですが、映画の中では、ぶどう園で働く労務者を毎日集めにくる手配師はまったくこれとは逆で、終始威圧的で労働者を見下した扱いをして、とても安い低賃金しか払いません。
 このように映画には、聖書を意識した描写や扱われ方が随所に多用されていて、監督ジョン・フォードの名作「我が谷は緑なりき」にも通じるところがあります。

 さて、新天地を目指してオンボロトラックで移動する彼らを待っていたのは、不況の嵐の中での厳しい労働条件と悲惨なキャンプ地の現実でした。行く土地、行く土地に新天地を求めてやって来た貧しい農民が溢れていたのです。労働力が過剰になって買い手市場になり、桃摘みや綿摘みの労働の対価がわずか2.5セント。大家族が食べていけるだけの賃金がもらえずに、子供たちはいつも空腹で、過酷さの中で家族が一人減り、また一人減りと悲惨な状態が現実でした。

 ジョード一家にも安住の地はありませんでした。いくつかのキャンプの後、彼らはひと時の安住を得ます。そこは、農務省の農民のための国営キャンプ地でした。人間としての扱いを受ける中で安らぎを得たかのようなひと時でしたが、トムが過って殺人を犯してしまい、追われる身となって彼は一家から離れて一人旅立つことを決心します。

 母はバラバラになっていくことを心配し、トムに一緒にいてくれるようにと頼みますが、そんな母に彼は言います。
 「俺は暗闇のどこにでもいる。母さんの見える所にいる。飢えて騒ぐ者がいればその中にいる。警官が人を殴っていればそこにいる。怒り叫ぶ人の中に、食事の用意ができて笑う子供たちの中に、人が自分の育てた物を食べ、自分の建てた家に住むようになれば、そこにいる。」
 トムは、これからの自分がなすべきことが何かを見据えて、母に語りかけます。母の心配や不安を取り除くために、そして家族たちのために自分がやるべきことを、この時自覚して。
 私には、トムのこの言葉は、イエス・キリストが語られた次のことばとだぶって聞こえてきました。

「そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』」
(新約聖書 マタイの福音書25:32〜40)


 カリフォルニアに着いたとき、ガソリンスタンドの従業員がジョード一家を見て、こう言い放っている場面がありました。「人間じゃない。人間があそこまで惨めになれるわけがない。」
 しかしジョード一家はそんな境遇にあって、家族が一つ所で行動をともにしながら、支えあって生きてきたのです。祖父を頂点にして、一家は互いを尊重しあい、隣人を愛し、家族を大切にしながら。そんな家族から、トムは離れなければならなくなってしまったのです。父や母、弟や妹のこと、彼らの将来を考え、「世の悪を正す」ために身を投じることを選択したトムの目は、殺人者として追われる立場のものではなく、希望を見て光輝いていました。

 ラストは、トムがいなくなった一家が、たくましい母を先頭に、新たな地を求めて出発していく光景を描きます。彼らの行く手には、見えないけれども常にトムの励ましがあることでしょう。名曲「リパプリック賛歌」が流れる中を、庶民のたくましさを乗せたトラックが進んでいきます。悲惨な中にも、けっして希望と勇気を失わない彼らの姿に逞しさを感じさせるラストです。

 主題曲「リパブリッ ク賛歌」の原題は「バトル・ヒム・オブ・ザ・リパブリック」(リパブリック進軍歌)で、勇ましさの中に楽しさが感じられるこのメロディは、日本では「♪♪オタマジャクシはカエルの子、クジラの孫ではないわいな…♪♪」となって、多くの人が口ずさんだ歌となりました。「リパブリック賛歌」そのものが替え歌の替え歌だそうで、そもそもは、ウィリアム・ステッフという人が書いた賛美歌「冥土で会おう、兄弟よ」という歌で、南北戦争の頃には、その題が「ジョン・ブラウンの屍(むくろ)」となり北軍の兵士たちが好んで歌う進軍歌となったそうです。

 ジョン・フォードが描こうとしたのは、この庶民の逞しさです。それは「わが谷は緑なりき」でも描かれていた労働者一家の逞しさと通じるものです。そして、「駅馬車」でも見られましたが、常に弱い立場にある者に注がれているフォードの温かいまなざしが感じられる名作です。

「リパブリック賛歌」

Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord;
He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored;
He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword;
His truth is marching on.

(Chorus:)
  Glory! Glory! Hallelujah!
  Glory! Glory! Hallelujah!
  Glory! Glory! Hallelujah!
  His truth is marching on.

I have seen Him in the watchfires of a hundred circling camps
They have builded Him an altar in the evening dews and damps;
I can read His righteous sentence by the dim and flaring lamps;
His day is marching on.

I have read a fiery gospel writ in burnished rows of steel:
"As ye deal with My contemners, so with you My grace shall deal":
Let the Hero born of woman crush the serpent with His heel,
Since God is marching on.

He has sounded forth the trumpet that shall never call retreat;
He is sifting out the hearts of men before His judgement seat;
Oh, be swift, my soul, to answer Him; be jubilant, my feet;
Our God is marching on.

In the beauty of the lilies Christ was born across the sea,
With a glory in His bosom that transfigures you and me;
As He died to make men holy, let us die to make men free;
While God is marching on.

戻る