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| 尼 僧 物 語 (1959年) THE NUN'S STORY 〜あなたは天に宝を積むことになります〜 |
監督: フレッド・ジンネマン 撮影: フランツ・プラナー 音楽: フランツ・ワックスマン 出演: オードリー・ヘプバーン(ガブリエル・バン・デル・マル=シスター・ルーク) ピーター・フィンチ(外科医フォルテュナティ) エディス・エヴァンス(修道院長マザー・エマニュエル)ペギー・アシュクロフト(マザー・マルセラ)ディーン・ジャガー(父バン・デル・マル博士)ミルドレッド・ダンノック(シスター・マルガリタ) 1959年アカデミー賞 8部門ノミネート(作品賞、主演女優賞オードリー・ヘプバーン、監督賞、脚色賞、撮影賞(カラー)、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞、録音賞) 1959年NY批評家協会賞 2部門受賞(女優賞オードリー・ヘプバーン、監督賞) 1959年ゴールデン・グローブ 優秀賞受賞 1959年英国アカデミー賞 女優賞(国内)受賞(オードリー・ヘプバーン、ペギー・アシュクロフト)ノミネート(作品賞(総合)、男優賞(国内) ピーター・フィンチ) 「『私のために死ぬ者は命を得る。完全を求める者は持てる物を売り、貧者に与え、私に従うが良い。』修道女を志す皆さんのつとめは、神に命を捧げることです。」 医者の娘のガブリエルは、修道院での教えを心に刻み、そして家族と別れを告げます。 この冒頭の言葉は、新約聖書のマタイの福音書10章、19章の次の記述から引用されたものです。ある裕福な青年がイエス・キリストの教えを聞き、その教えについて問いかける場面です。青年は冨を手放すことのできない自分に気づきますが、多くの場合、冨への執着は青年と同じではないでしょうか。しかし、ガブリエルは違っていました。彼女は、裕福な家庭にいるもかかわらず、家族を離れベルギーの植民地コンゴで、看護の奉仕をしようと、反対を押しきって修道院に入ります。 「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイの福音書10章より) 「ひとりの人がイエスのもとに来て言った。『先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。』 イエスは彼に言われた。『なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。』 彼は「どの戒めですか。」と言った。 そこで、イエスは言われた。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 この青年はイエスに言った。『そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。』 イエスは、彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』 ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」(マタイの福音書19章より) 俗世との縁を絶った彼女の厳しい修道生活が始まります。 覚悟していたとはいえ、師長のシスター・マルガリタや、修道院長マザー・エマニュエルのもとで、厳しい修道の日々が課せられます。従順と謙遜、沈黙と没我、絶えざる自己反省の連続、そんな修道院の厳しい戒律と訓練に落伍していく者も出ますが、正式の見習尼となる前日、ガブリエルは、家族と自分を結ぶ唯一のきずなだった黄金の飾りのついた鉛筆を捨ててしまいます。これで彼女と俗世を結ぶものは何もありません。こうして、彼女は見習尼となり、シスター・ルークと呼ばれます。 ![]() 彼女の望みは、看護尼としてコンゴに派遣されることでした。熱帯医学の学校に行くことになり、そこで、同じようにコンゴ行きを望むシスター・ポーリンと一緒になり心の葛藤に苦しみます。マザーは、彼女に、わざと試験に失敗して謙譲を示すことができるかと試練を与えます。しかし、苦しんだ末、彼女は優秀な成績で試験に合格し、シスター・ポーリンとともに学校を卒業します。そして、ブリュセル近郊の精神病療養所での奉仕を経験して、望んでいたコンゴへと派遣されていきます。 修道女として念願のコンゴに行き、そこで自らが結核にかかるほどに忙しく看護の奉仕に身を捧げていたシスターでした。しかし、時代は大きく変わり祖国ベルギーも戦争へと傾いていき、彼女は父が死んだ報せを聞きます。父親を、殺されドイツ兵を赦すことが出来ない心に悩み苦しみ、人間的な感情を捨て去る事が出来ずに、ついに彼女は決心して、静かに修道院を後にします。 『ブラザーサン、シスタームーン』の聖フランチェスコもそうでしたが、この世の富や権威、地位、家族、友人や持てる物のすべての権利を放棄して裸になって従うこととは。知識としてのキリスト者から真実なキリスト者となることの、なんと難しく困難なことかを。考えさせられた一作です。 |