
(写真は、ボブ・ウィーランド著「腕で歩く」より)
「僕は皆と同じだ。たまたま足がないだけなんだよ。(ボブ・ウィーランド)」
最近読んだ感銘の一冊、「腕で歩く」(発行:竹書房)をご紹介します。
2001年9月、読売テレビ「知ってるつもり」(良い長寿番組でしたが翌年3月終了)で放映されたので、ご覧になった方もいるでしょう。
ボブは、著書の冒頭に、「神にできないことは何ひとつない.」(新約聖書 ルカの福音書1:37)との言葉を掲げていますが、両足を失ってからの彼の人生が、まさに神と共に歩む日々であったことを、その言葉が表現しています。
彼は、23歳の時、ベトナム戦争で、地雷により両足を付け根から失って帰国します。大学時代の目標であった大リーガーをあきらめ、自暴自棄になりそうな自分を励まし、リハビリと両腕で歩く訓練によって、他人を頼らずに何でも自分でできるようになります。
「ベトナムのジャングルで、神に見放された、と最初は思った。が、やがて、生かされた、と思うようになったんだ。それから、前向きになった。
……日々生きているのが本当に奇跡だった。………たとえ体力を失っていても、私の精神は何ひとつ損なわれてはいなかった。」
全米パワーリフティング選手権に出場した彼は、137kgの世界新記録を出しますが、「靴をはいていなければならない」との競技ルールによって失格、新記録も優勝も大会への出場さえもはく奪されてしまいます。それでも彼は、くじけずに、
「神は新しい扉をお開けになってから、古い扉をお閉めになる」と信じて、聖書を読む時間と祈る時間が与えられたことに、新しい歩みを始めます。
彼は、「私はここにおります.神よ、私をお遣わしください」と祈り、やがて、新しい道が開かれます。それは国中のハイスクールで講演し、子どもたちに自らの「成功への戦い」の体験を語る機会でした。
そしてさらに、別のドアが開かれます。あるトレーナーとの出会いです。「車椅子から降りて手と胴で歩いたらどうか。失うものはない、得るものがあるだけさ」との言葉に、彼は、車椅子を降りて歩き始めます。そして、トライアスロンやマラソンへの挑戦、さらに、神が与えられたもっともっと大きな計画が待っていました。
それは、アメリカ大陸横断。その計画に、両足をなくした彼が敢然と挑戦するのです。自分の名誉のためではなく、貧しい人々のための寄付を募りながら、ワシントンにあるベトナム戦争戦没者記念碑のゴールへと向かって。
彼は、実際にその一歩を踏み出してから、一歩一歩と歩き続けて、驚くべきことに、なんと3年8ヶ月もの年月を費やして、アメリカ大陸の西海岸から東海岸まで4,500kmを完全踏破してしまったのです。信じられないようなことですが、一日にわずか5km、どんなにがんばっても8qが精一杯。自分の頭のすぐ横をトラックのタイヤが轟音を立てて通り過ぎていく道路を、カメのようにゆっくりゆっくりと、だが確実に前へ前へと進んでいくボブの姿。ゆっくりとした歩みではあっても、しかし、神を信じて最後までやり通す継続の力によって。
ゴールに着いた彼は、ホワイトハウスに招かれて、レーガン大統領から、「あなたのこの困難な旅を成功させた強さはどこから来るのですか?」と聞かれて、ボブは、「私は普通の人間です。でも私には旅行中もいまも聖なる父がついています。神への信仰が私の支えだったのです」と答えています。
絶対に無理だと思えることでも、神には不可能はなく、どんなに簡単なことでも、はじめの一歩を踏み出さない限り何も始まらないこと。その一歩を、次の一歩へとつなげていかなければ目標には到達しないこと。一歩一歩ではあっても、前を向いて歩いていけば着実に目標に到達することを教えられました。
彼が横断途中にハイスクールで講演した時の一節です。
「私は困難に遭う度に神の愛にすがり、そして救われました。神は決して私を裏切りません。神を意識することによって、命がいかに尊いものであるかということも知りました。命には限りがあります。だからこうして、私やあなたたちが生きているということは、宝石や金や銀を得ることよりも貴重な時間です。一瞬だって無駄にするべきではないんです。常にベストを尽くすこと、そして今この時を感謝する気持ちをどうか持ってください.」
彼は、道中招かれた所で、神からの愛と力によって生かされている存在であることを語りながらゴールを目指したのです。
私たちの日常の中にも、難しい問題、どうしようもできない難題が横たわることがあります。あるいは何かをしようと決断し、新しい目標に向かってスタートをする時に、はじめの一歩を踏み出すのに大変な勇気が要ります。この本は、一歩を踏み出して歩みを続けていけさえすれば、きっと素晴らしいゴールが待っているという希望と、その一歩を踏み出す勇気を与えてくれる一冊です。本の原題は「ONE
STEP AT A TIME(一歩ずつ)」
最後にボブは、こう記しています。
「これまでも、これからも、私は主イエス・キリストと共に生きていく。主を思うと自然と力がわいてくる。
ゴールが競技場であろうと、天国の門であろうと、私のレースは一度に一歩ずつ進んでいく。
それが私の人生だから。」
(「紀ノ川チャペル新聞<リバイバル>」2002.6.1発行第19号 (夏号)掲載文を加筆修正)
「神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(新約聖書 エペソ人への手紙1:19)
「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」(旧約聖書 箴言16:3)
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(新約聖書 コリント人への手紙第二4:16〜18)
|