僕とデランジェの出会いはスコア(楽譜)である。正確に言うならば、それ以前に解散の記事を目にしていたのだが、その時は小さい記事であったし「D'ERLANGER」というアルファベット表記の読み方すらわからないので気にも止めなかったので、無視します。
んで、忘れもしない1991年。高校に入学した僕は、軽音楽部に入ってベースを担当することになり、バクチクやボウイなんかの簡単なものを練習用としてコピーしていてた。夏休みに入る頃には簡単すぎると思い始めて、ワンランク上のスコアを探しに本屋へ通うようになる。しかしこの時代は大ブームを起こしたボウイが解散してから間もないこともあり、邦楽ではビートロック系のものが大半で、満足できるものはなかった。ビートロックのベースといえば、8ビートを刻んでいるだけの動きのないベースが基本ですからね。かといってメタルも好むところではないし。それでも動きのあるベースのスコアはないものかと、いろんな本屋を巡る日々。当時は個人の本屋も多くて、でっかい総合型の本屋がなかったので小回りしてた。そんなある日、新しいスコアを発見。新譜のようだがバンド名の読み方も分からないので、とりあえず手に取ってみると
「あれ?ベースが無いじゃん」
と思った。あまりの動きにギターの楽譜かと思ったのだ。すぐにベースだと気ずくと、歌詞を見て日本のものだと確認(僕は言葉の全くわからない洋楽は全然だめなので)。アルファベット表記の読み方がわからなかったので、アルファベットのつづりを覚えて、少々興奮気味に近くのレンタル屋へ早歩き。(この頃は一週間レンタルなんか無くて一泊二日が主流、新作は当日のみ。今はなきYOU&I)
まあ、そんなこんなでCDを手にしちゃったから、その後のライフスタイルは決まっちゃいました。高校生活の残り2年半は、学校から帰るとラストライブCDの1か2のどっちかに合わせてCD丸一枚分ベースを弾く毎日。ほとんど日課状態。でも、ぜんぜん飽きなかった。デランジェ以上に格好良いバンドも現れなかったしね。スコアが最初に1の方が出たんだけど、ベースプレイとしては2の方が面白かったので、2のスコアが出るまでの間がすごく長く感じたのを覚えています。
CDレンタル屋にはインディーズアルバムの「LA VIE EN ROSE」も置いてあったので(多様化した現在とは社会基盤が違う)今思うと人気だったんだなと思います。ビジュアル系なんて言葉は無い時代でお化粧バンドと呼ばれ、インディーズという言葉を知っている人は殆どいない時代だった。バンドブームのせいかな?
丁度この時のデランジェのアルバムの背帯には、メンバーの顔写真が4人分縦に入っていて、棚に並んでると一際目立っていましたね。探し易いったらありゃしない。今でもCDの背にメンバーの写真を入れるのってあんまり見ないですよね。
スコアが出たあと、バンドコンテストみたいのを見たり出たりしたんだけど、デランジェを聞く機会が何回かありました。ミディアムクラスの学生バンドマンにとってデランジェは動きが多くて面白い素材ですからね。で、決まってドラムがうまい。うまくないとデランジェはやれないということもあるけど、TETSU命な奴らばっかりだったんだろうと思います。男道万歳。
解散前にデランジェの存在を知れなかったのが残念でならないです。デランジェが解散した4ケ月後に高校入ってバンド始めるまでバンド関係は全然知らなくて、世の中のバンドは、テレビでよく見かけたバクチクとかバイセクシャルぐらいしかいないと思ってたからなぁ。Zi:Killは知ってたけど、Xがテレビで運動会(たけしの元気が出るテレビ)やってたのも知らないし。元LUNA SEAのINORANが、小僧時代にCIPHERファンでライブに行ったことあるなんて言ってた。ライブ見たかった。
と思ってたら2007年復活!このサイトを開設したのが2006年3月。12月に復活発表。運命でなくて何であろうか!いや!何ものでもない!…久々に反語使ってみました。
伏線は小出しにあった。CRAZE解散、SEELA脱退、KYOのライブでCIPHERとTETSU目撃、インタビューでKYOが再結成を否定せず、謎のサイト出現(のちに公式ページと判明)、TAIJIがCIPHERをD'ERLANGERのメンバーと紹介、トキのブログにTETSUが再結成したと…
いくつもの要素がありつつも、さすがに17年、無いだろうと思っていた。おたまじゃくしのようなものを親父狩りにする長い年月だ。これからの音に不安はある。だけど今は素直に再結成を喜びたい。