瀧川一郎”かなり勝手に”総評
通して見ると、ギタースタイルは時代ごとに大きな変化がありました。でもそれよりも特徴的なのは、一度発表した曲への愛着が非常に強いことだと思います。それはD'ERLANGER時代のアレンジの多さから既に始まっている。スタジオ版とライブ版を聴き比べると、違いが多いのがわかります。何とかバージョンやら、TV用なども…。その労力を新曲作るのに使って欲しかった。実際、当時のファンからは曲数の少なさを指摘する声があった。
曲への執着はバンドをも超えました。D'ERLANGER時代のHEADLONG CRAZYはBODYでHERESYとして再生。BODYのI LOVE YOUとMY SELFはCRAZEの曲がごとき扱いで、しかもI LOVE YOUは藤崎時代と板谷時代の2回もスタジオで新録されている(あとライブ版もあり)。CRAZEのBEAT SO LONELY,ALL NIGHT LONGでは、大胆に別曲のフレーズを長々と流用している。これだけ大量にあると、ネタが少ないという否定的な見方をされても仕方ない。
また、常に自分中心でいられることを望んでいた。まず自分がいて、自分の音に合うボーカルを探すのがスタイル。それはボーカルの交代回数を見ればわかる。D'ERLANGERで2回、BODYで2回、CRAZEで6回、見事である。自分が後ろへ下がるようになるのはCRAZE中期以降ようやく。TUSKとは長い付き合いだけど、音楽の話はしたことがなかったという。一郎が「音楽について他人の意見は聞かない」オーラを出していたからだと思いますよ。勝手な予想だけど。
僕の個人的な考えでは、他メンバーの意見をそれなりに受け入れていく方がレベルアップしていくと思うし、自分以上の音を出す秘訣だと思うので、「常に自分が」というスタイルに固執しすぎるのはあまり良くないと思う。ネタの使い回しとボーカルの交代回数は「常に自分が」というスタイルに固執しすぎの結果だと考えます。しかし、そのスタイルこそが多くのファンを魅了するわけで、実際自分もハマっているワケだから、貫き通してもらいたいです。たとえ僕の好きなギタースタイルから離れても、一郎が口にする「一人の男がギターをかついで生きて行く様」を一生追いかけたいです。
哲との関係は妖しいですね(笑)出会いは44MAGUNUMのローディー。その後、大宮フリークス(ビルが揺れるという怖い理由で閉鎖)のイベントで初めてミュージシャン同士として顔を合わせる。「哲だけど覚えてる?」って声をかけられたそうだ。一緒にバンドをすることが決まると、一郎は自宅から5分程のところに部屋を紹介した。デビューで上京した時も同じアパートの1階2階というから(KYOとSEELAの二人は別々)妖しがられても無理はない。BODY本格始動までは、かなり長い間一緒に遊んでいたようです。ボーイズラブの腐女子にはヨダレのでるネタです。TUSK加入後に丸くなったと思うのは、TUSKと哲の仲の良さにイジケてたんだと思う(笑)
あとは、D'ERLANGER時代にボウイへの興味から音を変えようと思った一郎は、マーシャルからローランドのJCに変えるのだが、哲も一緒にロートタムに切り替えました。二人でこっそり変えたというから、この頃からバンドの方向性は二人の話し合いから決められていたのである。勝手な二人に、SEELAはついていけたけど、福井はついていけなかったんだろうな。一郎は「ビートやグルーブの発信地は哲のドラム」と言っていたから、影のリーダーは哲かもしれない。
では、ギタープレイの変化を流れで
・師匠の背中を追いかけてメタルだったD'ERLANGER初期
・ボウイ等への興味からシングルコイルギターにエフェクターを駆使したD'ERLANGER後期
・長い間ギターに触らなかった為に全部リセットして、その時にやりたい音を追及したBODY時代
・コードストロークだけで自分だとわかる音を追及したCRAZE中期以降。