デランジェ ラヴィアンローズ D'ERLANGER= KYO,CIPHER/瀧川一郎,SEELA,TETSU/菊池哲 CRAZE,BUG,BODYの原点
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CIPHER/瀧川一郎の歴史

 小学生時代に横浜銀蝿でロックに目覚める。フォークを鳴らす程度だったが、先輩の勧めで中2の終わりにエレキギターを買う。知り合いのバンドで遊び程度で音を出していた。中3の時に見た44MAGNUMのライブに感化されてJIMMYの大ファンに。ラジオに「ジミーの弟」で葉書を出したことが話題になった時「それ、俺なんです」とアピールしてジミーと直接話せるようになる。入っちゃいけないと言われても楽屋に入って行くルールの守れない強引な少年(本人はシャイといつも言い張る)だったそうだ。楽屋でローディーがいないことを聞くと志願し、JIMMYに師事する。おかげで中学の卒業式にも出てないそうです。ジミーがフライングVを使用してればフライングVを、レスポールを使用してればレスポールを入手。ジミーしか見えないマニアだった。
 CIPHERは高校を1日で辞めてるので、中学卒業後はバンドONLYの日々を送る。ある時、接点があった初代ボーカル宮平薫とバンドを結成すると、宮平の同級生だったSEELAを加えてD'ERLANGERの母体ができる。ドラムにシドを加えて44MAGNUMのフォロワーとして積極的な活動を始めた。
 若くして活動・活躍していたD'ERLANGERは、同年代にも尊敬される頭一つ飛び出した存在へと成長し、ついにデビューを果たす。そしてD'ERLANGER解散後の活動…。

D'ERLANGER



SPY(1992/05/18at渋谷公会堂=現:渋谷C.C.LEMONホール)
Vo.藤崎賢一=ROD ジェル・ベイト→AION→MEINKAMPH→JUSTY NASTY→CRAZE→six→ソロ
Gu.瀧川一郎=CIPHER D'ERLANGER→SPYサポート→BODY→CRAZE→吉川晃司サポート→D'ERLANGER
Ba.岸根光 =SHOWY ロゼッタ→Justy Nasty→BLUME→SOL→Stylus
Dr.菊地哲=TETSU ラビット→デッドワイヤー→横須賀SAVER TIGER→MEPHISTOPHELES→D'ERLANGER→Zi:Kill→BODY→CRAZE→D'ERLANGER
 SPYとは、藤崎賢一がJusty Nasty在籍時に発表したソロアルバム「女王陛下は濡れてゆく」に合わせて行った渋谷公会堂ライブの一夜限定バンドである。なんとそこにCIPHERが登場!D'ERLANGER解散後に人前に出るのは初めてで、実に1年半降りであった。D'ERLANGER解散時に「CIPHERと名乗ることが二人に思えて辛かった」と後に語っていたように、この時から名前がCIPHERから「瀧川一郎」表記になる。出で立ちはまさにホストで、真っ白なスーツ上下+金のネックレス+蛇柄の靴+オールバック。白い服は最後観客席に投げたそうだ。ドラムはお馴染の菊地哲。ベースは同じようにソロ活動した者同士でJUSTY NASTYから岸根光が参加。以前イベントでD'ERLANGERとJUSTY NASTYがシャッフルしたことがあった(JUSTY NASTYファンクラブビデオ2巻に収録)が、違う組合せとなった。後々に組むバンドCRAZEは、ベースがSEIICHIに替わっただけのラインナップ。
 このライブの楽屋で初めて”一郎LOVE”なINORANと会う(SUGIZOも)。INORANが映っている楽屋裏ビデオが残っているそうだ。今思うとINORANのレスポールを構えたシルエットは一郎そっくりだったな。気付かなかった。
 CD「女王陛下は濡れてゆく」について。ドラムとベースが完全に打ち込みで、スタイリッシュでポップなビートロックに仕上がっている。COMPLEXに近い音楽性。現在聞き返すと、この時代特有のユニット音楽に聞こえます。初めてのソロとしては上出来なのではないでしょうか。スペシャルサンクスに一郎と哲の名前がアルファベットで記されていますが、ライブはCD発売前なので一郎の登場を予想できた人は少ないハズ(事前情報はあったようです)。SPYという名前はどこからきたのでしょうかね。2曲目にSPY OF LOVEとい曲が収録されてますけども…。
  藤崎の公式ページでは、JUSTY NASTY時代の曲をデビューメンバーによる新録音にてカバーしたCDを販売中。
アルバム
1992/05/25 女王陛下は濡れていく
藤崎賢一公式ページ:http://www.kenichi-fujisaki.com/



33MAGUNUM(1992/05/23)
Vo.加藤純也 REACTION →GOLDEN BAT→GRAND SLAM→ラジコンレーサー
Gu.瀧川一郎=CIPHER D'ERLANGER→SPYサポート→BODY→CRAZE→吉川晃司サポート→D'ERLANGER
Ba.吉川裕規=BAN 44MAGNUM →GOLDEN BAT→GRAND SLAM→44MAGNUM
Dr.菊地哲=TETSU ラビット→デッドワイヤー→横須賀SAVER TIGER→MEPHISTOPHELES→D'ERLANGER→Zi:Kill→BODY→CRAZE→D'ERLANGER
GRAND SLAMの身内限定特別ライブ。名前からわかるように44MAGUNUMのコピーバンド。44MAGUNUMのローディー仲間である加藤純也(GRAND SLAM)、瀧川一郎、菊地哲に加え、元44MAGUNUMの吉川裕規(当時GRAND SLAM)という面子。自分がビッグになってから、小僧時代に師事していた人と音出すとは、粋な演出。そういうと元44MAGUNUMのメンバーと組んでる加藤のが凄いか。
本家44MAGNUM公式ページ:http://www.44magnum2001.com/
GRAND SLAMファンサイト:http://www.livemedia.co.jp/~takagi/



BODY(1992結成、1994/04/01デビュー、1994/07解散)
Vo.中込広和=初回
イベントライブのみ
?
Vo.木村直樹 DAZZLE→BODY→RIP VAN WINKLE
Gu.瀧川一郎=CIPHER D'ERLANGER→SPYサポート→BODY→CRAZE→吉川晃司サポート→D'ERLANGER
Ba.岡田基樹 DEEP'S→BODY→PULSE
Dr.菊地哲=TETSU ラビット→デッドワイヤー→横須賀SAVER TIGER→MEPHISTOPHELES→D'ERLANGER→Zi:Kill→BODY→CRAZE→D'ERLANGER
 1年半もの間沈黙していた一郎だが、SPYのライブ等を経て思うところがあったのだろうか。ライブ後間もなく、哲と一緒にバンドをやることを決意した。若年の頃からD'ERLANGER一筋だった一郎にとっては、まだ2つ目のバンド。水面下では動いていたものの、たいした活動はなく、デビュー後は3ヶ月で解散と短命に終わった。理由は、経験と実績を誇る元D'ERLANGERメンバーと、ド新人とのギャップと言われている。ライブ映像での岡田基樹は、確かにクールというよりビビリに見える(笑)
 BODYの歴史は非常に短いので、サクッと紹介しましょう。登場は鮮烈、イベントにシークレットで出演して一曲のみ演奏、客の度肝を抜いた。DIE IN CRIESでKYOが出演していたイベントなので、客は興奮倍増。1曲のみという演出も気分を煽るものがあった。後日、新宿アルタでPVを流してイベントを告知。その渋公イベントの後、メジャーよりシングルとアルバムを発売。初となる正式ライブを武道館でやり(通算でも3度目か?D'ERLANGERでもこのクラスのライブはない)ほどなく解散決定。歴史は以上です(笑)
 バンドとしての実績はゼロにもかかわらず、PVが積極的に配信されてレコード会社の期待を感じたが、即解散。D'ERLANGERの時もデビューアルバムのみで解散だから、レコード会社のブラックリスト上位にランクインされたのは間違いない。最初で最後のアルバムFLAMEは、オリコン4位と高成績。解散後にメンバーに無許可でリミックスCDが発売されてしまった。レコード会社の気持ちはわかるが…
 サウンドは、一郎がD'ERLANGER時代からの憧れだった純ビート系。エッジの効いた音。長いことギターに触らなかったので、この時にやりたい音を過去に縛られずに出した結果だそうです。「I LOVE YOU」は当初バラードだった。福井D'ERLANGER時代のHEADLONG CRAZYという曲が、HERESYという曲名で収録されている。
 次に組むバンドCRAZEは、BODY無くして語れない。ライブでは度々、BODYの曲を演奏。「I LOVE YOU」はボーカル違いとバージョン違いで、数度に渡り音源化されている。
シングル
1994/04/01 I LOVE YOU
アルバム
1994/04/21 FLAME
1994/11/21 STARK NAKED FLAME
1995/11/22 FLAME RE-MIX
ビデオ
1994/07/21 VIDEO FLAME
1994/08/21 STARK NAKED FLAME素っ裸の情熱LIVE AT NIPPON BUDOKAN



CRAZE(1994結成、1995/09/06デビュー、2006/01/09解散)
Vo.伊藤可久 DEEP KISS→CRAZE
Vo.濱口正勝 TOY BOYS→CRAZE→RAY-GUNS
Vo.藤崎賢一 ジェル・ベイト→AION→MEINKAMPH→JUSTY NASTY→CRAZE→six→ソロ
Vo.緒方豊和 ASH→Majesty→CRAZE→Thumb Up Boys
Vo.鈴木慎一郎 DEAL→CRAZE→BLOOD
Vo.板谷佑 Zi÷Kill→THE SLUT BANKS→CRAZE その他ユニットAMNESIA、HIDE+TUSK
Gu.瀧川一郎=CIPHER D'ERLANGER→SPYサポート→BODY→CRAZE→吉川晃司サポート→D'ERLANGER
Ba.飯田成一 Zi÷Kill→CRAZE
Dr.菊地哲=TETSU ラビット→デッドワイヤー→横須賀SAVER TIGER→MEPHISTOPHELES→D'ERLANGER→Zi:Kill→BODY→CRAZE→D'ERLANGER
周辺音楽としてメニューいくつか後に独立ページにしました。今すぐ見る→
公式サイト: http://www.tkma.co.jp/craze/



吉川晃司サポート(2006/8〜)
 吉川晃司は布袋のギターに惚れて、わざわざボウイの解散を待ってCOMPLEXを結成した経緯を持つ。ビート好きには色めき立つ組み合わせだったが、直前の発表や、アコースティックのみという事実から、単なるサポートと思われた。が、またもサポートとして参加する模様で、TVにも出演してしまった。何時まで続けるのだろうか。吉川晃司のサポートギタリストは、1994年に師匠のジミーも勤めているので、意識しているのかもしれない。
公式サイト: http://www.kikkawa.com/



D'ERLANGER



瀧川一郎”かなり勝手に”総評
 通して見ると、ギタースタイルは時代ごとに大きな変化がありました。でもそれよりも特徴的なのは、一度発表した曲への愛着が非常に強いことだと思います。それはD'ERLANGER時代のアレンジの多さから既に始まっている。スタジオ版とライブ版を聴き比べると、違いが多いのがわかります。何とかバージョンやら、TV用なども…。その労力を新曲作るのに使って欲しかった。実際、当時のファンからは曲数の少なさを指摘する声があった。
 曲への執着はバンドをも超えました。D'ERLANGER時代のHEADLONG CRAZYはBODYでHERESYとして再生。BODYのI LOVE YOUとMY SELFはCRAZEの曲がごとき扱いで、しかもI LOVE YOUは藤崎時代と板谷時代の2回もスタジオで新録されている(あとライブ版もあり)。CRAZEのBEAT SO LONELY,ALL NIGHT LONGでは、大胆に別曲のフレーズを長々と流用している。これだけ大量にあると、ネタが少ないという否定的な見方をされても仕方ない。

 また、常に自分中心でいられることを望んでいた。まず自分がいて、自分の音に合うボーカルを探すのがスタイル。それはボーカルの交代回数を見ればわかる。D'ERLANGERで2回、BODYで2回、CRAZEで6回、見事である。自分が後ろへ下がるようになるのはCRAZE中期以降ようやく。TUSKとは長い付き合いだけど、音楽の話はしたことがなかったという。一郎が「音楽について他人の意見は聞かない」オーラを出していたからだと思いますよ。勝手な予想だけど。
 僕の個人的な考えでは、他メンバーの意見をそれなりに受け入れていく方がレベルアップしていくと思うし、自分以上の音を出す秘訣だと思うので、「常に自分が」というスタイルに固執しすぎるのはあまり良くないと思う。ネタの使い回しとボーカルの交代回数は「常に自分が」というスタイルに固執しすぎの結果だと考えます。しかし、そのスタイルこそが多くのファンを魅了するわけで、実際自分もハマっているワケだから、貫き通してもらいたいです。たとえ僕の好きなギタースタイルから離れても、一郎が口にする「一人の男がギターをかついで生きて行く様」を一生追いかけたいです。

 哲との関係は妖しいですね(笑)出会いは44MAGUNUMのローディー。その後、大宮フリークス(ビルが揺れるという怖い理由で閉鎖)のイベントで初めてミュージシャン同士として顔を合わせる。「哲だけど覚えてる?」って声をかけられたそうだ。一緒にバンドをすることが決まると、一郎は自宅から5分程のところに部屋を紹介した。デビューで上京した時も同じアパートの1階2階というから(KYOとSEELAの二人は別々)妖しがられても無理はない。BODY本格始動までは、かなり長い間一緒に遊んでいたようです。ボーイズラブの腐女子にはヨダレのでるネタです。TUSK加入後に丸くなったと思うのは、TUSKと哲の仲の良さにイジケてたんだと思う(笑)

 あとは、D'ERLANGER時代にボウイへの興味から音を変えようと思った一郎は、マーシャルからローランドのJCに変えるのだが、哲も一緒にロートタムに切り替えました。二人でこっそり変えたというから、この頃からバンドの方向性は二人の話し合いから決められていたのである。勝手な二人に、SEELAはついていけたけど、福井はついていけなかったんだろうな。一郎は「ビートやグルーブの発信地は哲のドラム」と言っていたから、影のリーダーは哲かもしれない。

 では、ギタープレイの変化を流れで
・師匠の背中を追いかけてメタルだったD'ERLANGER初期
・ボウイ等への興味からシングルコイルギターにエフェクターを駆使したD'ERLANGER後期
・長い間ギターに触らなかった為に全部リセットして、その時にやりたい音を追及したBODY時代
・コードストロークだけで自分だとわかる音を追及したCRAZE中期以降。